阿波古事記研究会 活動記録 2006

平成18年 (2006)
4月16日(日)
名東郡佐那河内村
天岩戸別(あまのいわとわけ)神社 看板設営除幕式
記念パンフレット・力持ちタジカラオ饅頭 贈呈
参加者 約100名



記念パンフレット

力持ちタジカラオ饅頭
【看板】
天岩戸別神社   徳島県名東郡佐那河内村上字牛木屋十五番地
当神社には「天の岩戸」を開けた天手力男神、天照皇太神(左)豊受皇太神(右)をお祀りし上古より三所大神宮とも呼ばれ崇敬されました。

手力男神の塚

 手力男神は、天照大御神を導き出すため天の岩戸を開けた神様です。
 その手力男神は「古事記」や「先代旧事本紀」に「手力男神は佐那那縣に坐す」と書かれています。佐那河内村は「古くは佐那縣と呼ばれた」と「村史」に記録され、現在もこの天岩戸別神社に手力男神をお祀りしています。
 地名の牛木屋は、「大人木屋」とも書かれ、「牛」は「大人」のことで「主」の事です。つまり佐那那縣の主が住まいした地にあたります。
 この磐坐は「手力男神の塚」と呼ばれ、西方6kmにある天岩戸立岩神社(神山町鬼籠野元山)の御神体、天岩戸を模したと思われます。また、奈良県の香具山にある天岩戸神社にも同形式の磐坐が御神体としてお祀りされています。
 以上のことから神山町にある天岩戸が、徳島市の気延山にある式内社の天石門別八倉比売神社を始めとする全国各地の「天石門別」の付く九社の式内社に広がったものと考えられます。その一例として島根県浜田市の「大祭天石門彦神社」の社伝(看板)に「古代、阿波忌部氏の一族がこの地を開拓して祀った」と書かれています。
 現在地より、天岩戸別神社に向かって下る途中にある棚田跡を奥に進むと奥の院と呼ばれる古墳のような塚があります。
 その周辺は、昭和の中頃まで数軒の家がありました。

阿波古事記研究会