豊橋(吉田)地方の凧の歴史と豊橋凧保存会の活動

江戸時代

豊橋地方の凧は、歴史が古く江戸中期(享保12年、1727年)ごろには存在していたという。

三河国吉田城主松平伊豆守配下の吉田組と、遠江国の浜松城主松平豊後守配下の浜松組が、徳川家所縁の地三方原古戦場において凧合戦が行われた。この時の提案者は吉田城主松平伊豆守だったという。合戦の様子も古文書に、「吉田組と浜松組の双方負けず劣らず凧合戦の妙技を披露した」とある。

江戸末期(文化14年、1817年)幕府が地方の風俗文化について調査するために発した「諸国風俗問状」に対する返書である「三河国吉田領答書」(下記)に当時の状況が詳しく記されている。その頃は凧の事を正式には紙鳶と言っていたのか?

        三河国吉田領答書

 小児等紙鳶(俗にタコとのみいう)をあぐる事、三月の末よりやや小さき(美濃紙半片斗り)をあげて次第に大になり、五日を限とす、武家は六日を限とす、槍、幟などを建るも六日を限とす、俗に六日シャウブという、此日一日は男子出陣の留守にて、家は女の家なりなどといふなり、(但、これみな武家のみのこと)此紙鳶三十年斗り前迄は互いに競ひて大きなるを作りしかば、大直紙にて二千枚余なるものを作りたり、さる大なるには骨は竹にては弱ければ、大竹を二つ割りとして其中へ杉の木の細きを入などせり、近年追々に大なるを禁じて大直紙二十五枚を限とせり、此紙鳶にウナリという物を付る事なり、ウナリは鯨の髭を巾三四分、厚さは大直紙なほどにして、長さは四尺余までもあるを、(此ウナリ売買にあるなり、長短は紙鳶の大小にしたがひて)竹を二つ割りとして彼ウナリを弦とし張て、紙鳶の頭の骨に結付けてあぐるなり、(ブンブンともグワングワンとも鳴るなり)一つの紙鳶にウナリ二挺、三挺も付るなり、多くを付るを巧みなりとす、故に四月の末よりしては、風のよき日は彼ウナリの音空に充ちて、いといとかしましきなり。但、此紙鳶を五月迄あぐることは三河遠江に限る、中にも東三河のみとおぼしきなり、西三河岡崎などは三月三日を限るやうにおぼえたり、されば吉田領の中にても、額田郡、加茂郡などは三日を限りたるべしと思はる、猶可尋。

明治時代

 豊橋地方の凧は盛んであったことは古老の話からも知る事が出来るが、出版物にも載っているのでそれを引用する。日本奇風俗(明治41年、大畑匡山著)には日本の凧揚げが盛んな地方として、土佐の凧揚げ、三河豊橋地方の凧揚げ、肥前長崎地方の凧揚げを挙げている。

         大畑匡山著「日本奇風俗」から

 三河豊橋地方の凧揚げもずいぶん盛んなもので、毎年五月頃より始まりて旧端午の節句頃まで行なふ。この頃になると或いは高く或いは低く天空一面に飛ぶ凧の数は殆ど数え切れぬといっても宜しいくらいだ。其の種類は沢山あるが大概は、けろり、やつはな、べたばり、奴凧、扇凧、鯰凧、などで、その他は各自その好みでこしらえて名を付けるから限りがない。とにかく、凧揚げの盛んな土地だといふのはたとへば素封家に男子が生れるとその町の若者から大凧をこしらえて祝いに贈る。これを受ける家では予めその準備をしておいて、まず一同を馳走する。さて、いよいよ凧揚げとなると、毎日大勢の若者は広野へ繰り出して、彼の町のは一千枚だ、この町は二千枚だ、三千枚だとその紙数の多いのを競争する。これらの凧になると普通傘紙を用い、その骨は樋に用いる太い丸竹である。また、これを揚げるにも大勢かかって大業だ。しかしそれには菰樽、弁当、柏餅、等の用意があって、皆ここに集まって飲み食ひをする。算盤もっては素より合わぬ勘定なれど、同地ではこの祝いを受けるのが名誉である。

昭和時代

 昭和期にはいって10年ごろまでは、豊橋の凧もたくさん揚がっていたが、太平洋戦争の起きる頃から揚げる事ができなくなってきた。

 大戦が終わり、数年は凧が各地で復活した。古くから凧揚げの盛んだった豊橋の前芝町、梅薮町や宝飯郡の御津町の辺りでは一時は空が見えなくなるほど凧が揚がった。しかしそれ以後は揚げる場所がなくなったこと、遊びの多様化、テレビの出現等色々な事情が重なって衰退してきた。

豊橋凧保存会の設立

 この伝統ある豊橋の凧およびその文化が衰退し、完全な民俗資料となって歴史博物館に飾られるようになっては淋しいと、豊橋の凧を保存継承するために豊橋凧保存会は昭和45年(1960年)に設立された。それ以来、豊橋市の支援も頂き継続的に活動を続けている。主な年間行事は次のようである。

凧展示会(豊橋文化会館、1月上旬)

新春凧揚げ大会(神野埠頭緑地公園、1月3日)

豊橋凧揚げ祭り(豊橋総合スポーツ公園、4月29日)

豊橋港祭り協賛凧揚げ(神野埠頭緑地公園、8月上旬)

全国凧揚げ大会in豊橋(豊橋総合スポーツ公園、9月最終土・日)

凧作り指導(園児、小、中学校、子供会などを対象として年間10回以上)

現在の会員数   40名

門戸を限りなく広く、敷居を限りなく低くして、会員を常時受け入れています。また凧作りのベテランにより懇切丁寧に材料の竹取りから豊橋伝統のケロリ凧・八花凧の作り方、凧の揚げ方等お教えいたしています。

御一緒に豊橋凧文化継承に健康な汗しませんか。

 

豊橋凧保存会連絡先  会長  辻村良夫   0532−61−2936

                           副会長 谷山育男   0532−31−4728