新川を散歩していると「逆水橋」というちょっと変わった名前の橋、又は地名に興味を覚えた。調査しようと思いながら、十数年立ってしまった。昨年の「旬の新川」、今年の「新川の橋」のホームページを作成しながら、今年中に必ずと心に決めていたが、もう半年過ぎてしまった。ここで先に延ばしたら・・・・と思い、図書館に足を運んだら、案の上、資料館に良い資料があった。
この資料を参考に「逆水」の言われと伝承訪問に欠かせない「西福寺」「水神神社」「日の宮神社」を訪問することとした。が、調査不十分で再調査としたい。 「逆水」の発祥について<史談八千代 第5号(1980年11月)より>
土地の古老は”川は湖沼から流れ出すもので、湖沼に流入するものではない。だから此の土地を逆水というのだ。”と熱っぽく語ってくれた。そこで反論の意味から、千葉歴史散歩の中から村田一男先生の文から引用すると、“印旛沼は「十日照ったら旱魃、三日振ったら水害」といわれ、ひとたび利根川が洪水になると、印旛沼に逆流し、沼水はあふれ、周辺の河川まで氾濫させる「あばれ沼」であった。という、説明と古老の伝える地名由来の違いはどこにあるのだろう。
それは干拓と治水における、この土地の人達の平戸川の水を江戸湾(東京湾)へ落とせたらという願望と落とそうという執念が古老の語る地名由来になったのではないだろうか・・・。
それかあらぬか江戸期において三度の大工事を起こしているのである。然しそれも三度とも失敗に終わり、数々の哀話、悲話を生んでいる。
大正11年安食水門の完成に依って大洪水から解放され、昭和44年に平戸川の水は東京湾に排出された。遂に宿願の願望であった「川は湖沼より流れ出すもの」になったのである。逆水ではなくなったが、逆水の地名は水とのたたかいによって生まれた記念すべき栄光ある地名だと私は思うのである。<佐野嶂太郎>
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