| 7月 |
| (13)新川の亀 |
 新川に草刈機のモーター音が響く。その草刈機が何か堅いものに当たって強いショックを受けた。また、不法投棄の金物であろう。今まではバイク・自転車・農機具・ワイヤーなどいろいろ遭遇したが、今回は何んであろう。そこには亀の甲羅があった。亀の死骸だろうか?甲羅で丈夫なんだな。 草刈機にぶつかりながらキズも付いていないぞ。足で退かそうとし、その感触から「あれ!生きている亀の感じだぞ」と、カメラを取り出しジィーと待つこと何分たった事だろう。それもその筈、亀だって驚いた事だろう。うかつには動けない。ようやく動き出し、水路に入って顔を出したところをパチリ。30分位は時が流れただろうか。6月13日のことでした。
ここで過去に新川で撮影した「亀」を紹介しておきましょう。右上が新川の道路を新川方面に渡りきった亀、2002年8月29日撮影。右下がのんびりと語ろぐ?亀、2003年7月27日撮影。
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| (14)新川の生き物を知るには「郷土博物館」が一番 |
 新川の生き物を知るには郷土博物館が一番でしょう。旧村上小学校跡に建てられた郷土博物館では「新川流域の自然と人々のかかわりの変遷」として常設展示しております。一方、八千代市のホームページでは「八千代市の中央を流れる新川(しんかわ)と、その流域(りゅういき)に住む動物の剥製(はくせい)や植物の標本(ひょうほん)を展示しています。また、新川が印旛沼(いんばぬま)に流れていたころのようす、電車や国道の開通、団地や工業団地の造成(ぞうせい)など、八千代市域の変遷(へんせん)についても紹介しています。」と紹介しております。やはり、新川を知るには「郷土博物館」一番です。 ついでに、八千代市のホームページの地図をそのまま添付しておきます。写真は常設展示内容の看板とともに撮影した郷土博物館(左上)と新川の生き物を展示しているコーナー(右下)。いずれも、2006年7月15日撮影。ただ、亀の標本は有りませんでした。新川の亀は家庭から放されて住み着いているのかも知れませんネ。クサカメの標本などはほしいですね。
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| 8月 |
| (15)大和田機場 |
新川のセールスポイントして「下流・上流の入れる川」の紹介をこの「新川アラカルト」の1月に掲載し、大和田機場を取り上げましたが、この大和田機場は印旛沼の洪水を防ぐのみではなく、利根川水系の各地域の特徴に沿った産業や豊かな生態系に深く深く係わっております。この「水」の大切さをふれあいの中から体験と実感で学んでもらおうと毎年「大和田機場<水>ふれあい祭り」が行われ、今年もその季節がやってきました。 右の写真は水資源機構千葉用水総合事業所が新川各地に張り出したポスターですが、大勢の方に「水」の大切さを生かす自らの楽しい生活の構築の意味でも参加してほしい祭りと思います。小さい写真で醜いので拡大写真を「八千代のお祭り」の方に載せます。。左側写真は放流時の大和田機場です。 |
| (16)新川の歴史 |
大和田機場と言えば、新川の開削の歴史に触れない訳には行かないでしょう。新川の開削の歴史は徳川家康の江戸入府から始まります。家康は1590年(天正18年)に入府後、すぐ(1594年)利根川の江戸への流れ込みを銚子に流す工事に着手しております。この工事のお陰で江戸は洪水から救われるのみでなく、水運等交通の発達・農業を始めとする産業の発達で磐石の態勢へ進みますが、その一方、大雨の度、印旛沼は利根川からの逆流で洪水の歴史に突入します。 江戸時代にはこの水害や農業増産の目的で3度の大工事(花見川に放流する工事)が実施されますが、いずれも失敗し、現在に至ったのは1963年(昭和38年)からの印旛沼総合開発事業で1969年(昭和44年)に大和田排水機場の完成で実現となった次第です。なんと、第1回目の工事、1724年(享保9年)より実施した平戸の染谷源右衛門(代表)等から数えて280年近くもかかった事になります。この染谷源右衛門の偉業に学ぼうと毎年秋に源右衛門なべ祭りが新川土手で清掃ボランティアの仲間たちの手によって開催さてれおります(写真左上)。右下の写真は当時の工事を伝える絵。新川の歴史を知るのも「郷土博物館」が一番。 |