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■越後三山縦走 2000年8月12・13・14日晴れ時々小雨 【大崎登山口より八海山、中ノ岳、越後駒ヶ岳を経て駒ノ湯へ】 |
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初めての縦走がいきなり「越後三山」に行くことになってしまった。と言っても最初に山名を聴いたときには???。一体どこにあるどんな山かは、全くわからなかった。そのころは仙台に住んでいたため、盆休みは東北の山(イメージとしては飯豊連峰か朝日連峰)を縦走のデビュー戦にしたいと思っていたのであるが、一緒に行くこととなった山のベテラン二人、徳さんと柴やんは、既に東北の山は登り尽くしている。「今年は越後を攻めよう」との合い言葉に初心者の私が口を挟む余地はなかった。 早速エアリアマップ「越後三山」を買って調べて見ると、危険マークがあちらこちらに記載してある。インターネットで検索してみれば、バテバテになった記録や落っこちて危うく命を落としそうになった記録とか、初心者の不安を駆り立てるものばかり。中でも夏の炎天下に縦走中水が無くなった人のページには、「水は最低でも4Lは持参すべし」との遺言にも似た言葉が記載されていた。何でわざわざそんなところに行かねばならないのか・・・・。 もう一つ気がかりなことがあった。2ヶ月ほど前に秋田の丁岳(ひのとだけ−それまでの経験では一番ハードであった)に登ったときから左手中指を捻挫していた。整形外科で治療をしていたが、なかなか痛みが取れず指を曲げることが出来ない状態だった。このままでは鎖場でも左手は使えない。何とかならないかなと悶々としていたのであるが、山行の前日にはっとひらめき特性ギブスを作ることに成功した。特性ギブスとは銘打ったものの中身はだだのクリップである。5pほどの普通よりちょっとしっかりとしたクリップを中指に当て、テープでぐるぐる巻けば結構しっかりと固定され指は曲がらない。つまり痛くない。ものを掴んで試してみると、他の指4本で力入れて握れば何とかなりそうだ。「よし。これで万全だ。」と自己暗示にかけ山行の日を迎えたのであった。 |
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【写真】三合目からの眺望 |
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翌朝は5時20分に小屋を出発する。今日はの大日岳の岩場とオカメノゾキを通過する今回縦走のハイライトである。日は少し陰り気味なので、一切日陰のない中ノ岳までの途を考えれば、多少ほっとした。徳やんはせっかく運び上げた水を「こんな量はナンセンスだ。」などとつぶやきつつ半分ほど捨てていた。初心者が持ち込んだインターネット情報より長年の自分の経験に目覚めてしまったらしい。結果を言えば御月山の先の祓川の水場まで私は約3Lの水を消費した。カラカラの真夏の炎天下で有れば、4Lも誇張でないかもしれない。 さて、八海山八ツ峰に向かうこととしよう。 経過にかかる時間は1時間ほどと距離は短いが、鎖と梯子が連続する。 特性ギブスの効き目は上々で、左手中指の痛みは気にならない。滑ったらかなり下まで落っこちていくななどと少しビクビクしながら、初めての岩場を体験する。鎖が有るのでそれほどは往生することも無かったが、短いものの途中で通過した垂直の梯子が一番怖かった。最後は大日岳から20mほどの下りである。不思議と恐怖心は全く無し。鎖が無くても手足だけのフリーで降りられそうに思ったのは錯覚だったのであろうか。とにかく全員無事に通過する。 そこからは五竜岳を経てオカメノゾキまで一気に下る。しばらく歩いていると、かなり先に例の九州グループが5人並んで歩いているのが見えた。本当に駒の小屋までは行けるのかなと頭をよぎる。今回の山行は小屋泊まりを前提にしているので寝具は一切持ってきてないらしい。人のことより自分の足元を注意した方が良さそうだ。かなり急なになり、笹藪の中を下っていく。笹竹のの上に靴が乗るとつるっと滑り転倒する。徳さんも右に左にこけていた。 昨日は特に危ないコースも無かったため、私がマイペースで先頭を歩かせてもらっていたが、今日は徳さん、私、柴やんの順番だ。周りの人に迷惑をかけなくて済むよう注意しながら進む。 そうこうしているうちに、夏は草木で有る程度視界が遮られるため、左右切り立った難所を意識することもなく、知らぬ間にオカメノゾキを通過してしまったらしい。今度は登りに変わるものの相変わらず鎖場が次から次へと続く。かなり長い鎖場の所で九州グループに追いついた。元気そうな二人とバテバテ気味の3人であった。先に行かせてもらうことにした。 (実はこの九州グループとは、越後三山を縦走した翌日の巻機山まで抜きつ抜かれつの関係となる。九州の山岳会のメンバーで100名山を目指しているそうだ。後で文を書くときに名前があった方が便利なので、あだ名を付けておくことにする。元気組−「マッスル(男)」と「駕籠婆さん(女)・・理由は巻機編でわかる」 バテバテ組−「お荷物婆さん(女)」「初老の人(男)」「ハイカー兄さん(男)・・二泊の山行であるがザックは日帰り並に小さかった。」と名付けておこう。 出雲先をしばらく過ぎたあたりだと思うが、少し開けたところで昼食とした。休憩していると先ほどの元気組、マッスルと駕籠婆さんが二人だけでやってきた。他の方達はと聞くと「遅いので置いていく。」との返事である。私たち3人はきょとんとするばかりであった。先ほど、お荷物婆さんはかなり疲れている様子であった。ここは姥捨て山ではない。いったいあのグループに何があったのであろうか。 二人の足取りは、恐ろしく速かった。自分たちも昼食後すぐ出発したのであるが、直後は二人の姿が見え隠れしていたが、そのうち全く見えなくなってしまった。 目の前には丸い形の山がよく見えるようになってきた。あれが御月山かなあ、でもちょっと早過ぎるなあなどと思いつつ、結構いいペースで13時半には御月山に到着した。徳さんの様子が少しおかしい。どうも足を攣ったようだ。弱いところを見せたがらないのか、少しマッサージしてから行くから先に水場まで行っていて欲しいと言われる。難所は通り越した。足取り軽く祓川の水場まで行く。豊富な水と開けた景色で大変気持ちが良いところである。キャンプは禁止ながら中にはテントを張る人もいると聞く。後は中ノ岳避難小屋までの登りをわずかに残すのみ。靴を脱いで足を冷水に浸け、大休憩とした。お湯和沸かしコーヒーを入れる。最近のインスタントコーヒー(コーヒー豆を挽いたやつ。なんて呼べばいいんだろう?)は実に旨い。飲む場所がいいのと水が美味しいからかな。徳さんも到着し柴やんと3人で実にゆったりとした時間を過ごす。 1時間ほどすると学生アベック二人組が到着した。名古屋の大学の山岳部の人たちらしい。女性が先輩で男性が後輩の様子。その他の関係は不明である。 九州バテバテ組の様子を聞くと、しばらく前に追い抜いてきたとのこと。さらに30分ほどすると我先に駆けるようにして3人が水場にやってきた。物も言わずに水を飲み続けている。よほど喉が乾いていたのであろう。やっと落ち着きを取り戻したようなので声をかけると、水が切れて死にそうな思いでやっとたどり着いたとのこと。お荷物婆さんは腰も立たない様子でへたり込んでいたが、そのうちもそもそと食事の用意に取りかかる。長年の積み重ねで、何があっても飯を作り続けてきた習性が体を動かすのであろうか。食への執念は凄まじい。ハイカー兄さんは水を飲んだ後は急に元気を取り戻したようだ。これなら心配は無いだろう。 学生アベックは中ノ岳に向かって先立った。我々もバテバテ組を後にして、中ノ岳までの最後の登りに取りかかる。休憩しすぎたためなのか足がやたらと重い。学生アベックのザックは馬鹿でかく、かなり重そうである。先に行かせてもらい頂上を目指すが、足が重い。10分歩いては休憩。5分歩いては休憩。もうすぐ先に避難小屋があるのは分かるがなんせ足が出ない。こういうのがシャリバテなのかなあ。なんか少し違うような気もする。あえて名付ければ「安堵バテ」かもしれない。連れの二人には先に行ってもらい、しばらく遅れてやっと避難小屋についた。 小屋は1階と2階に別れていた。我々とは逆コースで明日八海山に向かう予定の人や写真を撮るため何日かこもっている人も居た。2階には九州元気組が既にくつろいでいた。やはり、ばてたメンバーを考え越後駒ヶ岳まで行くのは諦めたとのこと。幸い中ノ岳の避難小屋には毛布が結構用意されていたため、バテバテ組の分まで確保していた。どうやらこのグループの場合には、途中で分離するのが生活の知恵、いや山歩きの知恵らしい。全国をトップシーズンの時に渡り歩く場合に、先行隊が早く小屋に着き遅延隊の分まで寝床を確保する。遅延隊は小屋からあふれることを心配することなく、余裕を持ってバテバテペースで進む。そしてまた合体する。そのような暗黙の掟が存在するようである。元気組が小屋に着いた時間を聞くと2時前には着いていたとのこと。この二人だけなら、十分駒の小屋まで行くことが出来たであろう。オカメノゾキの場所が確認できたかと聞くと、岩の上にペンキで書いてあったという。同じ道を通ってきたはずなのだが、我々は一体何故気がつかなかったのであろうか。不思議だ。 一服した後、わずかに離れた中ノ岳山頂まで足を延ばす。ガスが出て展望は無かった。翌年平ヶ岳に登った際には、向こうからはすぐ近くに中ノ岳を見ることが出来た。 小屋はやはり昨日同じく15名ほどが宿泊。 牛丼を食べ、ウィスキーを飲んで19時就寝する。 【写真】中ノ岳山頂 |
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三日目 | ||
中ノ岳避難小屋を5時20分に出発する。笹藪には朝露がびっしりつついているため、スパッツをしているもののズボンはすぐにびしょぬれとなる。朝方はガスっていたが段々と展望が開けてきた。八海山の八ツ峰が遠望できる。昨日苦労して越えてきたオカメノゾキの下って登り返した稜線もはっきり見えてきた。檜廊下は少し変わったところ。稜線上を木に根をが覆い、またいだりくぐったりしながらゆっくりと進む。時々足元がきれ落ちており、注意しなくてはならない。天狗平、グシガハナ分岐まで順調に歩くものの、駒ヶ岳の登りにかけて昨日の足重パターンが再来。なかなか前に足が出ない。一本道なので徳さん、柴やんには頂上まで先に行ってもらい、一休憩することにした。キットカットのチョコレートを2枚食べ5分ほど休むと元気が出てきた。気を取り戻し再び頂上を目指す。先ほどの足重がウソのように、あっという間に山頂に到着し二人と合流する。 天気はすっかり晴れて、一昨日から歩いてきた道のりが全て見渡せた。満足感と感慨深い一時を過ごす。 駒の小屋には9時30分着。100名山だけあってさすがに人が多い。小屋の横の水場の水量はすごかった。お湯を沸かしコーヒーを飲もうとするが、時間がないとの言葉に遅れた責任を感じてすごすごと片づける。 後は駒ノ湯に向けて下山のみ。遅れを取り戻すため、ハイギヤーに切り替えて小倉山まで一気に下る。小倉尾根途中で昼食をとるが炎天下での熱々ラーメンとなり、シチュエーションを後悔する。途中また、九州バテバテ組を追い越し、多少の鎖場を経て駒ノ湯に到着。九州元気組は早々に着いていた。三人で無事生還を果たしビールで祝杯をあげる。 駒ノ湯は男女混浴であった。温泉は35度程とぬるく何時間でも入っていられそうな湯であった。事実自分は湯船に浸かって15分ほどで出たのであるが、先に入っていた人たちは、10人ほどいたと思うが誰1人先に出た人は居なかった。 初めての縦走は、天候にも恵まれ無事下山できたことで大変充実感を持つことが出来た。ゆったりと味わうと言うより無我夢中であったが、それはそれで仕方がないかもしれない。下山後の風呂とビールは最高だね。 駒ノ湯からはタクシーで八海神社まで戻り(8000円位)、車で翌日の巻機山登山の拠点地である、清水の民宿に向かった。 (巻機山に続く) |
ワンポイントアドバイス |
<参考コースタイム> 1、縦走コースは要所要所でコース全体を見渡せる。 2、中ノ岳避難小屋からは佐渡島が見える(今回はガスで見れませんでした) 3、越後駒ヶ岳からの展望は素晴らしかった。 <注意点>
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