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■焼石岳縦走 2001年7月20・21日晴れ雨晴れ
【平ヶ岳登山口より山中テント泊】

 朝一番で横浜を出発し、柴やんと新幹線の白河駅で待ち合わせる。
国道289号線を西に進み田島経由檜枝岐方面を目指すが、甲子温泉で道が狭くなり、そのまま道なりに進むうちにまた元の道に戻ってしまった。
「失敗失敗どこかで分岐を見落としてしまった。」と思いもう一度注意深く進むものの、やはり元の道に戻ってしまった。
 柴やんの地図を見ると確かに国道289号線はつながっている。
道路地図は、いやに古びた色をしているので発行日を確認すると20年以上前の地図である。長い歳月の間に道はなくなっていた・・・・

 今日は時間のかかる平ヶ岳に登ろうとしているのだ。当初の計画では予定通りでも目一杯である。一瞬頭の中で「今回の山行は三本槍岳(那須)に急遽変更」との考えが浮かぶ。しかし平ヶ岳登頂の計画は1年越しである。昨年の6月に計画していたが、雪のため急遽「会津駒ヶ岳+燧ヶ岳」に変わってしまった曰く因縁のある山なのだ。

 諦めるな。結局東北自動車道まで戻り、那須インターより尾瀬の登山口御池経由で平ヶ岳登山口を目指すこととした。登山口には11時半に着いた。既に計画より1時間半遅れてしまっている。急いで身支度を整え出発する。
一日目
【写真】下山したときの駐車場


 登山口の駐車場は、30台ほど止まれるスペースがあった。写真は翌日下山した後の駐車場風景であるがであるが、11時半の出発時にはほぼ満杯であった。


下大倉沢を渡る。天候が悪いときには徒渉に苦労するらしい。

林道を少し歩くと登山口の案内が出ている。
右手に折れ下台倉山を目指す。


【写真】下台倉山への登り
やせ尾根をひたすら登る。

尾根の途中からは、燧ヶ岳が見渡せた。
途中で昼食を食べていると小さなザックで下山してくる若者がいた。
朝4時に出発し山頂と玉子石を巡り早くも下りてきたらしい。荷物が少なくし、かつ健脚であれば十分日帰りが可能であるようだ。下台倉山には13時50分着。

 そこから台倉山までは、なだらかな道が続く。台倉山14時50分着。
台倉清水は登山道より10mほど下ったところにある。
水量のそう多くない沢であった。
水場の近くはキャンプ禁止であるが、いくらかのスペースがありテントを張っている登山者もいた。

次の水場である白沢清水は、たまり水のように見え汲む気が起こらない。水の補給は台倉清水で済ませて置いた方がよい。
白沢清水15時55分着。

 下台倉山からはずっと長いなだらかな道が続いてきたが、池の岳への最後の登りは急だ。しかし、登り切ったときに突然目の前の視界が開け、姫の池が目に飛び込む時が感激の一瞬である。池の岳着17時30分。
テン場まではそこから20分ほどだ。
 平らな場所は既に一杯だったため、少し上まで上がり急いでテントを張る。張り終えると同時に強い雨が降ってきた。
晩飯はテントから顔を出し作っていたのであるが、フライが熱い鍋とふれ少し穴を空けてしまった。
テン場の上には雪渓が残っており、水は申し分なく豊富に流れていた。

 夜は雨も上がり、雲が切れるときには見える星は、手が届きそうに感じられた。

二日目
 朝起きてみると靄がかかっていた。
テントを張ったまま手ぶらで平ヶ岳山頂を目指す。


山頂に通じる道はえぐられており、足元も悪い。
テン場から30分ほどで山頂に着くも、
相変わらず靄っており展望は利かない。



 30分ほど天候の回復を待つがダメだった。
下り始めると徐々に陽が差してきた。
テン場に戻ったときには平ヶ岳山頂の全容が綺麗に現れた。
                                              
 何故平らなのかは右を参照下さい。


晴れたところで玉子石を目指す。

越後の山々も見渡せた。




 その後はテン場に戻りのんびりと朝食を食べた。
8時過ぎには早くも玉子石方面から次々と登山者が現れてきた。
林道から登ってきた方達なのであろう。よく腹を立てている発言も聞くが、特段の感情はもたなかった。

 時間を忘れて過ごし、昼過ぎには下山した。

                                              以上


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