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■鳥海山 2002年08月07日霧
【滝の小屋より行者岳往復】

 念願の鳥海山を訪ねることが出来た。

 所用で山形県の余目まで行く機会があり、その後レンタカーを借りて鳥海山を目指す。通常遠方の用事に合わせて山に登るときは、事前にザックをホテルに宅急便で送り、荷物・背広等それまでの身の回りの品は家に送り返していたのだが、今回は急だったため登山靴・ザック・その他日帰り用具一式の荷物を布バックに詰めて電車で出かけた。

 荷詰めの時にストックの収まりが悪い。無理矢理チャックを閉め朝の満員電車に乗り込んでからふと見ると、安物の布ザックの縫い目をブチ破り飛び出してしまっていた。「アチャー」と思うもののどうしようもなく、飛び出したまま持ち歩く羽目になってしまった。

 所用先では大変アンバイが悪かったです。(-_-;)ハイ。
 

 

 夜の10時頃に今日の宿泊場所である鳥海山荘に到着した(遅れる旨は事前に伝えてあります)。
山小屋に近い雑魚寝を想像していたのだが、シティーホテルより立派で感じが良い宿だった。


 美しく親切なフロント嬢曰く
「お待ちしておりました。明日は鳥海山ですか。昨日宿泊の方が心字雪渓で道に迷われていましたよ。警察の方と一緒に戻ってこられました。お気をつけて。」
オイオイオイ。寝る前に心配させるなよなあ〜。

 既に夕食は鶴岡の料亭(エッラソー)で済ませていたので、温泉に入り後は結局は寝るだけであった。

 朝食は7時からと登山者にとっては遅かった。
昼のおにぎりをいただき、鳥海高原ラインの一番上に位置する駐車場まで車を急がせた。

 駐車場のルート案内板
7時50分 駐車場出発。
滝の小屋に向かう途中からガスが出てきた。
15分ほどで滝の小屋到着。          滝の小屋
視界はどんどん悪くなってきていた。

 

八丁坂を河原宿小屋を目指して登る。
途中このあたりが白糸の滝かな?
確信のないまま登り8時50分に河原宿小屋に着く。

 昨日の美しいフロント嬢の言葉が頭をよぎる。
そうだ。小屋の人に状況を確認しよう。
 「コンコン。すみません心字雪渓の様子を伺いたいのですが、初めて来たのですがガスっているとルートは分かりづらいでしょうか?。」

 小屋の人曰く
 「小屋の前の小川に沿って行って、雪が出てきたら登って、大雪渓が終わったら小雪渓を目指して、ケルンがあるから渡って、その後登れば薊坂の入り口だ。雪渓を登らなくても左には夏道もあるよ。このくらいのガスなら全然心配いらないアルヨ。」との言葉に半信半疑安心する。
(本当はもっとちゃんと丁寧に教えたのですが、イメージとしてはその位easyな感じでした。)

 小川に沿って雪渓の端を目指していると、男の人が下りてきた。
 「雪渓の様子はどうですか。?」
 「いや〜、今行ってきたのだけど途中で夏道も分からなくなり、どうしようもなくなって下りてきたところですよ。参った参った。」

 あれれ、話が随分違うじゃないですか。いやだなあ〜。

 平日なので登山者は少ない。

 雪渓の取り付きでは、たまたまご夫婦の方がアイゼンを付けていた。
少し話をすると、山形の方でもう何度も心字雪渓を登っているらしい。
お言葉に甘えて一緒に登らせてもらうことにした。良かった(^o^)

 ご夫婦も山慣れているようで、順調なペースで登る。
話しているとご主人は昨年サラリーマンを引退し、今は山形近辺の山歩きをしながら高山植物の写真を撮ることを楽しみにしているらしい。宣伝料も入ってくるようなホームページも開いているとのこと。
仙台、山形の山の話をしながら更に登ると雪渓が終わった。
  
 視界はこんなもの
しかしこのあたりから、何度も登っているベテランが「おかしいな」と言い出す。どうも今年は雪が通常年より随分と少ないようだ。後で分かったのだが、通常は大雪渓、小雪渓と二つに別れているところが、今年は三つに別れてしまっていた。特に道など無い斜面を上を目指して進む。アイゼンを付けたりはずしたりを繰り返しどうにか薊坂に到着した。

 お礼を言い別れてから薊坂を登る(結構急登です)。
視界が利かぬまま外輪山の一角である伏拝岳に到着する。
外輪山沿いに行者岳を経由して七高山を目指す。
                                 行者岳から大物忌神社への下りハシゴは通行禁止

 行者岳を越しところで山岳部らしき学生集団5名とすれ違う。
「どこまで行ってきたのですか。」と聞くと
「百宅口登山コースの先まで行ったのですが、強風で飛ばされそうになり身の危険を感じて帰ってきたところです。」と返答されてしまった。

 しかし、ココまで来て簡単には引き下がれない。
またまた「お気をつけて」との言葉に見送られ先に進む。
ちょっとの時間差があれば風も収まるかもしれない。でもあんな若者が身の危険とはどんな風であろうか。

 直ぐに分かった。
風で飛ばされそうで進めない。
岩陰に隠れる(この時の岩が虫穴岩かな?)。
しばらく待てども風は一向に収まる気配がない。

 11時20分 風の中で考えた。
 「ここで名誉ある撤退をすれば、もう一度鳥海山に来ることが出来る。
  それがいい。それがいい。天気が晴れているときもう一度くるのがいい。」

 これで決まった。
今来た道を引き返していると、先ほどの山形のご夫婦がやってきた。
一応、この先の状況を説明した。
 途中でチョウカイフスマが見えたよと教えられ注意しながら歩いていたが、結局見付け損ねてしまった。

 帰りは薊坂の入り口まで下ると、夏道の印が見つかった。
夏道を歩いたり雪渓を横切ったり繰り返しながら下る。
一番見通しが利いたときの写真

不安になったり安心したりしながら雪渓を下っていると
ザツ ザツ と音がしてきた。
スキーヤーが練習をしていたのだ。
ガスで先が見えない中、スプーンカットの上を滑るってどんな感覚なのだろうか。

 やっと雪渓の下の小川まで着きホッとして大休止。

 少しの傷心と次への期待を持って朝来た道を下る。

 14時30分 駐車場に戻る。

 ここは予定していた通り、鳥海山荘で温泉につかることとした。
 湯船で下山してきた若者と話すと、やはり新山までは行けなかったらしい。

 「また来るから待ってろよ」とガスの中にある鳥海山に心で声をかけ、庄内空港に向かって車を走らせた。



以上
 


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