生まれた時から、人はそれぞれ大きさの違う
「椀」を持っているとします。
それは成長するたびに変わってきます
そして、上のほうから液体がぽたぽた垂れてきます
液体は甘くもなく苦くもなく、水みたいなものと考えてください
受け止めるために「椀」は使います。
ずっと液体を貯めているとそのうち「椀」から
液体があふれてきます
その時あなたはどうしますか?
その液体を捨ててまた新たに貯めますか?
そのまま溢れてくるのをじっと見つめていますか?
それか布なのでこぼれた液体をふき取りますか?
その中でしてはいけないことがあります
「椀」を交換してはいけないことです
人の感情は水みたいなものだ
感情が溢れ出たとき人はさまざまなモーションを起こす
嬉しさが最高潮になると大きな声で幸せを伝えるようになる
怒りが堪えきれなくなると、モノや人にやつ当たりしてしまう
悲しみが心に広がった時吐き出すかのように嗚咽を漏らし泣く
楽しさをかみ締めて、笑みがおなかが痛くなるほどの笑いに変化する
自分で自分を傷つけることもぼくは感情の表れだと思う。
誰に話すこともなく、ぶつけることもできず
自分の罪をどうすれば償えるか・・・そう考えたとき
自分にぶつけるしかない
馬鹿なことかもしれない
頭で考えて止められるものではない
命を軽んじているわけではない
だから、その人を「怖い」と言っていけないと思う
それはその人を追い込む禁断の言葉
ぼくにはそれが少しだけわかるんです
でも、笑って生きてます
ちょっと笑って
少し怒って
いっぱい泣いて
そして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
楽しいことを沢山作っていけば
心臓のちょっと下にある「椀」も成長するでしょう
心という名の「椀」が