洋服作りで最もむずかしいのは、生地選びだ。
生地をうまく選べるようになるにはどうしたらいいのか。
経験を積むことだと私は今まで答えてきたのだが、
経験だって答えはウソだ。
経験ではない。知識を積むことだ。
作りもの好きというか、
ソーイング好きのイラツクところは、
知識をあとまわしにすることのような気がする。
よく、職人は体で覚えるとかいうでしょ。
モノ作りにはどうしても体験を重視する面がある。
本物の職人になるんならそれでいいと思うし、
「流行とはぜんぜん無縁の、技術を極めてこそ光るもの」
みたいな場合はいいだろうけど、
洋服作りの場合は体験よりもセンスが大事だ。
センスがよくなるには、知識を積むことだ。
センスのよしあしは、生まれつきのもので、
どうにもならないものだと書いたこともあるし、
実際私は今でもそう思っている。
でも、センスのよしあしは生まれつきのものだからこそ、
知識を積むことによってしか克服できないような気がする。
手作りはダサい、の根拠になっている、
きれいに縫えるのにダサい服しか作れない人というのは、
体験を積むことによって知識のなさが克服できると
思い込んでいるのだと思う。
同じことの反復運動は、
生まれつきのセンスのわるさを助長することはあっても
その逆に効力を発揮してはくれない気がする。
体験重視なのはオンナの本能なんだろうか。
オンナはオンナであり続けるために、
知識や学習を拒絶するもので、
本能とか体験とかを重視するようにできているのかもしれない。
オンナが服を作る場合、
下手に家庭科を経験しているのがアダになっている、
といった人がいる。
私が教室で、
そうしろとひとこともいわないのに勝手に「フリーアーム」で縫う人は多い。
家庭科以来なんですぅ、
はじめてなんですぅ、といいながら、
サッサと「あの部分」をはずして「フリーアーム」で縫う。
「フリーアーム」で縫うことだけを体で覚えているのだ。
まったくムダな記憶力のよさである。
夏の教室では、必ず「サッカー」を持ってくる人がいる。
家庭科の教材でよく使用されるんだか、推奨されるんだか、
洋裁好きな母親がよくパジャマを縫ってくれたんだか、
サッカーもフリーアームと並ぶ、ムダな記憶力のよさの賜物である。
サッカーは正しくはシアサッカーといって、
日本語ではしじら織り。
デコボコしているというか、部分的に縮んだようになっている生地だ。
子供のころ、私の服はたいてい、洋裁学校を出た叔母の手作りだった。
叔母はセンスがよかったから、
かわいいサッカーのワンピースもごくまれにあったのだが、
私はパジャマみたいなサッカーが嫌いだった。
もともとサッカーは肌に直接触れて涼しいように
凹凸を作って織られた生地で、パジャマや浴衣用の生地だ。
元をたどれば、暑いインドの生地だ。
夏の服にサッカーを使用したのは、
昔の人はインド原産だという知識を持っていて、
使用したんじゃないだろうか。
夏の教室にサッカー、
どんなデザインの服でもとりあえず夏はサッカー、
パジャマや甚平じゃないのにサッカー、
というのは学習の結果ではない。
夏はサッカー、って体が覚えているだけだ。
【注】:フリーアームで縫うと安定が悪く、生地がよれやすくきれいに仕上がらない場合が多い。しかし、ミシン店がフリーアームをウリにしてミシンを売るため、家庭科では、服作りの知識の乏しい(教えるのは服作りだけじゃないからねえ)先生がそれをウノミにしてフリーアームで教える。フリーアームにする根拠は説明できないくせにフリーアームで縫えと教える。
