No.3 発行2000/05/30

天羽 菜美

 古事記を物語として読んだとき、なんかどこかで聞いた事のある様な話だなと感じた。話の冒頭、混沌としたものの中から天と地が分かれる話はギリシア神話を思い出したし、次々に誕生する神々は旧約聖書の果てしなく続く系図が頭に浮かんだ。子供の時は小さなエピソードしか聞かなかったが、古事記を通して読むとそれがどこの時代の誰なのか興味がわいてくる。歴史の教科書や参考書では本当にあった話ではないときっちり書かれていたので、おとぎ話を聞くように読んでいた。古事記の価値として他の国の神話ほど大事にされていないと感じたのは私だけだろうか。天皇が日本の国を作っていく話なので今の我が国で内容を教科書に取り入れにくいのだろうが、おかげで古事記について他の人はどんなとらえ方をしているのか知るすべはあまりなかった。
  ところが古事記研究会と称する会が現れ、古事記や風土記から、我が阿波の地形や地名を鍵に、古代への探索をしている事を知った。出席してみると、それは古事記を語る会ではなく阿波は古代日本発祥の地だったことを考える会といえる。
 勉強会自体は少しばかり古事記をかじったぐらいでは意見も言えない。もっともっと本を読んだり調べないと(特に地理オンチだと苦しい)話についてゆけない。それに古事記をかじったがゆえの思い込みもある。
 まず、イザナギとイザナミが天沼矛(あめのぬぼこ)で作った島は、淤能碁呂島(おのころじま)とあったが私は淡路島と信じて疑わなかったし、物語にあまり関係ないと思い、陳列した国生みや神生みには大した注意も払わなかった。その中で大宜都比売(おおげつひめ)という名で生まれた阿波の国は再度神生みで女神として誕生する。
 古代阿波としての価値は文献だけでなく、最近の発掘に関しても注目されるだろう。阿南市内でも、青銅の鏡や銅鐸等の出土品、古墳の発掘は昔からあり、さらに鳴門の古墳と、まだまだ何か出てきそうな阿波の国だ。




大和国の風土紀(神代紀口訣三) 日本古典全書  朝日新聞社
 風土記にいわく、天の上に山あり、分れて地に堕ちき。
 一片は伊予の国の天山(あめやま)と為り
 一片は大和の国の香山と為りき。 
阿波の風土記 (万葉集註釈 巻第三) 日本古典文学大系2 岩波書店
  阿波国の風土記のごとくは、そらより降り下りたる山のおおきなるは、
  阿波国に降り下りたるを、天のもと山と云い、
 その山のくだけて、大和国に降り着きたるを、天香久山というとなん申(まおす)。
伊予国風土記 (釈日本紀 巻七) 日本古典文学大系2 岩波書店
 伊予の国の風土記に曰(い)はく、伊与(いよ)の郡(こうり)。郡家(こおりのみやけ)より東北(うしとら)のかたに天山(あめやま)あり。
天山(あめやま)と名づくる由(ゆえ)は、倭(やまと)に天加具山(あめのかぐやま)あり。 天(あめ)より天降りし時、二つに分かれて、片端は倭の国に天降り、片端はこの土に天降りき。因りて天山(あめやま)と謂ふ、本なり。
(其の御影を敬禮ひて、久米寺に奉れり。)
各国の風土記をくらべると阿波国に、元の香具山があった。
それは、阿波弁のカグ(欠ける)が、キーポイントとなり、
7月9日(日)に神山町元山に行けば、それが解明される。
 ぜひ、あなたも参加して、自分の目で確認して下さい。 



古事記を読みなおして、
阿波の徳島を見なおしませんか。

佐藤 文昭

 7年前、102才で亡くなった、祖母が話していた事を思い出す。
 私の祖先は、上板町佐藤塚(第十堰付近の地名)より川内町へ移り住んだ。
 吉野川西部の方を空(そら)とか、上(かみ)と呼び、「日の峰さんが光ると雨が降る」と聞かされ、幼い頃、雨が降りそうだと南の山を眺めた。
 鳴門のホテルで10年勤めていたが、周りには、歴史のある神社、仏閣、遺跡、文化、伝承があり荒廃はしているが、不思議がいっぱい。
 東京へ行った折も、徳島からと言うと「天皇の古里ですね」と言われたり、京都言葉の素は、阿波言葉と言われたり、大嘗祭の際に、徳島は、重要な場所であると聞いていた。研究会に参加してお話を聞き、謎が解けはじめ喜びを感じています。
 今、TV、新聞等で報道されている、子供たちの事件を見ていると、警察、学校、病院は責任のなすくりあい。昔ならここで、神とか仏が、心の問題を抱え悩む子供を見守り指導していたのだと思う。国の首相が神の国問題発言で賑わっておりますが、良くも悪くも、明治の頃は、天皇を中心として、身分制度を無くしたわけだし、神は精神、仏は身体と、この神仏を解体したのは明治のころ、私達の日本の神社の数を減らしたのは、戦後のことだと聞きました。
 古事記を読みなおして、世界の命の郷、阿波の徳島を一緒に研究しませんか。




3回 研究会メモ
◎イザナギ命とイザナミ命は、淤能碁呂島(おのころじま)に天降り、淡路島、四国、九州と国を生んでいった。
◎四国は、伊予の二名島と呼ばれ、伊の国と予の国があったことがわかる。
◎伊の国が四国東半部(阿波)で、予の国は、四国西半部となる。
◎阿波国は、大宜都比売(おおげつひめ)(食の神)、讃岐国は飯依比古とある、またの名からも食(飯)を中心にしている。
◎ 伊の国の海岸部(面)を 伊面(いつも)と呼び、出雲と表記されたのではないだろうか。
◎畿内のまたの名、天御虚空豊秋津根別と書かれ、根別は根をわけたことを意味している。九州は白日別、豊日別、建日別とすべて別の国である。
別の国から根別の国ができたとは考えられない。

7月9日(日) 高天原めぐり散策会
多家良町〜佐那河内〜神山〜国府の予定 山歩きのできる服装
朝8時集合 四国セント歯科 弁当持参

7月10日(月)より 徳島古事記研究会 発足します。
昭和町公民館 午後7時30分〜9時30分

阿南古事記研究会
お 知 ら せ

6月7日(水)
富岡公民館 図書室
午後7時30分より
参加 無 料

第3回 研究会の参加者
平成12年5月10日 富岡公民館にて                          
阿南市 陶久敏郎 三村隆範 坂東康宏 坂東孝代 天羽達郎 天羽菜美
徳島市 蜂谷やす子 佐藤文昭 横田奈美枝