No.10 発行2000/12/20

坂東孝代

 私は、桑野町から阿南市見能林町青木へお嫁に来て、もう約20年になります。
 その頃の青木周辺は、まだ住宅も少なく田圃のあぜ道に太い松の木が何本も生えていました。
 「何で、田圃の中に松が生えているのだろう」と不思議に感じました。阿波志にも「式内社、賀志波比売神社は、もと北麓にあり、林木蒼然、古松1株、其大きさ比なし」と書かれています。もっと昔は、潅木の生い茂る青木ヶ原が広がっていたことでしょう。
 徳島の共鳴塾やいろんな勉強会に出席して、「青木に住んでいるんです。」と言うと「へぇ〜、歴史的な所に住んでいるんですねぇ」とよく言われ、最初は、よく分かりませんでしたが、その頃から段々と歴史に興味が湧いてきました。
 「邪馬壱国は阿波だった」を読むと「阿波岐は、阿波木で、昔、桑の木のことを阿波木といった。」と書いてあり、私の生まれ育った所、桑野も禊ぎ払いに関係しているのかなぁ、と思いをめぐらせていますとワクワクしてきます。
 三本松ロイヤルホテル元社長の上枝さんとお話していますと「一度、青木行ってみたい」と興味深そうにおっしゃってました。ぜひ、研究会で「阿波岐原をゆく」ツアーを企画して、阿南市見能林周辺を訪ねて欲しいと思っています。




阿波岐原考

三村隆範

 お正月は神社に初詣。神主さんの奏上される大祓の祓い言葉は、竺筑日向(つくしのひむか)の橘(たちばな)の小門(をど)の阿波岐原(あわきはら)に払いたまいし時に成りませる・・・と続く。日本人なら1度は耳にした言葉だ。
 今回は、この「阿波岐原(あわきはら)」を当会報名とした意味合いを考えみようと思う。上記のように祓い言葉として奏上される「竺筑日向・・」は、古事記の中に書かれていて、イザナギ命が黄泉の国から逃げ帰り、その汚れを祓うために禊ぎ祓いをしたシーンとして書かれている。その禊ぎ祓いをした時に天照大御神と月読命と建速須佐之男命が誕生し、イザナギ命は、天照大御神に高天原を月読命に夜の食国を建速須佐之男命に海原を治めるよう命じた。
 つまり阿波岐原は、天照大御神をはじめとする3貴子が誕生された地であり、阿波岐原を当会報名に用いたわけは、この阿波岐原が、阿波と書かれているように徳島県阿南市見能林町にあるからである。竺筑日向の橘の小門の阿波岐原をこの部分だけから判断すると「九州の日向(ひゅうが)の・・・・」と読み禊ぎをした阿波岐原を九州の日向(宮崎県)に解釈しようと九州の地名を探し求めるが、ほとんどの文献が最後にたどり着くのは、所在不明で終わりとなる。
 阿波岐原の地を求めようとするならば、「九州の日向」というような字面でとらえるのではなく、古事記の物語にそってとらえるとまた、違った一面が見える。
 その「阿波岐原」が、徳島県阿南市見能林町になるというのが、次の説明である。
 ツクシ・ヒュウガを「日本地名事典」吉田茂樹著から見れば、「(前略)などある。筆者は一応「ツク(尽)シ(方向)で、西の端の地かと考える。」とある。(コンサイスの地名事典なども同じように見える。)
 一方、ヒュウガは日に向かう地を「ヒムカ(日向)」と称し、これから「ヒムカシ(東)」という語が生じたという。
 上記のようにツクシには、尽きると言う意味はあっても西を示す意味はない。ヒムカは、ヒムカ・ヒムカシ・ヒンガシ・東と変化してきた。つまり、竺筑日向とは東に尽きた橘の小門の阿波岐原という地である。国生みで生まれた地の一番東の橘といえば、阿波の人ならば、すぐ阿南市の橘を思い浮かべるであろう。
 ここで、問題となるのが、「小門」です。狭い水門とか小さな港という意味です。先般、澤田氏より、寺戸恒夫氏の「那賀川平野の古地形の復元」という資料をいただきました。それによると古代、見能林付近は海だったというのです。かろうじて見能林八幡神社のある小山、柏野周辺は島があり、沖には、長く連なる島(中林・大潟周辺)が横たわっていた。つまり狭い海峡になっていた。そこを「小門」と表現したのである。「橘湾を見下ろす津乃峰は港に入って来る船の目印の山」と津乃峰神社の林宮司はいう。また、見能林町に青木・柏野(旧村名、橿原村)があり、柏野には、古くから式内社、賀志波比売神社が祀られている。日本書紀には、「天照大御神を天に送った。」と書かれ、天照大御神は出雲で生まれ高天原に送られたのである。故に筆者は、天照大御神は、阿南市で誕生し、幼名を賀志波比売と呼ばれたと考えている。
 古事記から伝わる、天照大御神の偉大さ、また、すごさを感じさせる阿波の力まで書けなかったのは残念であるが、さらに詳しく研究しようとするなら、下記の冊子を参考にしていただきたい。
 阿波と古事記1・2篇参照




徳島古事記研究会 会長 佐藤文昭

 昨年の7月より始まりました徳島古事記研究会もはや半年、会員の皆様と一緒に研究活動(内2回の現地調査も含めて)は、驚きと感動の連続でした。
 阿南古事記研究会 陶久敏郎会長や三村氏ほか会員の皆様に助けられ楽しく活動が出来たことは、大変うれしく思います。「ありがとうございました。」
 太古から続く阿波の歴史研究をこれからも大切にして、有意義な時間が過ごせるよう活動したいものだと思っております。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。




阿南古事記研究会 会長 陶久敏郎

 新年明けましておめでとうございます。
 阿南古事記研究会も、お陰で2年目を迎えることができました。会員の皆様、今年も楽しく勉強していきましょう。
 日本の21世紀の扉は、古事記が開く!!
 古事記の世界に、日本の未来が広がる!!
 そう言っても過言ではない時代の到来を感じます。
 まず、私達が1歩前へ踏み出しましょう。




◆◆◆ お 知 ら せ ◆◆◆

1月17日(水) 阿南古事記研究会   富岡公民館 図書室
通常毎第1水曜   午後7時30分〜9時30分
1月10日(水) 徳島古事記研究会    昭和町公民館 2F
毎第2水曜     午後7時30分〜9時30分