No.13 発行2001/03/20

飛鳥と古事記と阿波

蜂谷やす子

 飛鳥は日本文化のふるさとといわれる。こころ惹かれるものがあり、何度訪れたことだろう。遺跡や古墳、遺物から歴史の流れを、謎めいた石造物もこころ踊らす。点在する社寺や山々、田園のたたずまいが懐かしい。万葉の歌をおもいながら冬野川や飛石あたりの散策もうれしいもの。記紀に照らして神代、古代に想いを馳せるなどなどやってると、なんと、その地が自分のルーツのひとつと知った時の驚き!
 昔の戸籍をみると奈良県高市郡高市村畑です。私達の家族の会話では大和。やまとの稲渕、坂田、畑でした。
 84歳の父と30数年ぶりに訪れた風景は感無量でした。祖母や曾祖母(父からよくきいていた)や先祖の目に写っていたそれが、今、私の目にフィルターを取って写ったのですから。
 稲渕川の山中「飛鳥川坐宇須多岐比売命神社」にくると突然「この神社の高い階段の横を登ったら、うちの山にヒョイと出た。近道や」と叫んだ父。(10歳頃までの記憶です)このことがずっと頭にひっかかっていました。ドクターエンドー徳島でしゃべっていると「司馬とか畑の郷」といったら「秦氏の関係やネ」と言われ、はっと気が付きました。
 大和朝廷とともにあった秦氏の一派だと…、武器、馬具、その他の製鉄。もちろん、仏像(鞍作止利(法隆寺))もつくるグループです。
 そう、あの崖にはりついた、谷から強風が吹きあげる高い集落。昔、あの土地には若い衆もいっぱいおり、祭りも盛ん。狭いところに八幡様も寺もあったとのこと。(もののけ姫をみた人は、正にあれ。ピタリです。)
 長男の高校進学で、大阪の八尾にいたことがあります。近くに鞍作というところその他、古代からのままの地名が付いている地域です。くねくねと細い道、たたずまい。妙に気になるところでした。デジャブー(既視感)というものだったのでしょうか。つまり、行ったり来たりしながら、阿波〜淡路島〜難波(父の父方。お寺までみつけている。)〜河内〜飛鳥を辿っていたのです。というと、徳島は、たぶん「八多村」あたりがもともとの出身だろうと…。
 縁もゆかりもない徳島に住みついたのが、私の長年の不思議でした。
 何方かが気づかせられ、私に何をせよとおっしゃるのでしょうか?
 皆様方は偶然の一致とみるか、思い込みの激しいおばさんとみるか。それも神縁、仏縁でしょうか?さ! あなたはどうとらえましょうか?
 エピソード、体験、気づきの過程。証拠といえるべきものたくさんあります。オカルトととる人もあるでしょう。
 興味のある方は、蜂谷までどうぞ。所詮歴史は、特に古代史は仮説の上に想像も加わり、実証が出てあがり。こんなとらえ方になると、時の流れも身近になって、興味も楽しさも倍増です。勉強もはかどり、知識も増える。阿波古事記の集まりも、思わぬ情報があります。益々のめり込むと…楽しいなぁ…。
 私にとって神話の世界の古事記がぐっと現実的で人間的な存在になってきました!
 河内平野は古代、潟湖でした。神武天皇東征伝承では、船で生駒日下が第一歩。関西で生まれ育った私に古老の伝えたエピソードがくっついてきます。ワクワクしています。
 本題は次回になってしまいました。乞! ご期待下さい。




阿波弁と古事記

徳島古事記研究会会長 佐藤文昭

 阿波で育った私は、古事記を読んでいると、何か妙に親しみを感じるのです。なぜ、そんな風に感じるのかと、ずっとそう思っていました。先日、「風土記」を買って読んでいて、ハッとしました。
 風土記逸文の阿波国に、勝間井が書かれていたのです。
「阿波の国の風土記にいう、勝間(かつま)の井の冷水。此より出づ。勝間の井というわけは、倭建天皇(やまとたけるすめらみこと)が、すなわち大御櫛笥(おおみくしげ)を忘れたので、勝間という。
粟人は、櫛笥を勝間というなり。」
以下 略
 風土記の中に、勝間という言葉は阿波弁(方言)であると書いてある。粟人(阿波の人)は櫛笥を勝間と言っていたのである。勝間は、日本最古の書物、古事記の中にも、阿波(徳島)の言葉が出てくるのです。
 古事記の「海幸と山幸」の物語の中で書かれています。
 兄の海幸彦と弟の山幸彦が、それぞれの道具を取り替えて兄は山に猟に出かけ、弟は海に漁に出かけました。弟は兄に借りた釣り針を無くし、海辺で困っていました。
 その時、塩椎神が現れて牙間勝間(まなしかつま)の小船を造り、綿津見神の宮(竜宮)へ行き豊玉比売に逢って、釣り針を探し出す話が書かれている。
 また、日本書紀には、「海神(わたつみ)の乗る駿馬(すぐれたるうま)は、橘の小戸(おど)にあり」とも書かれている。
 塩椎神が{すなわち牙間勝間(まなしかつま)の小船を造り}とあります。牙間勝間とは、目の堅くつまった竹籠の小船で、日本書紀にも無目籠とあります。
 注には、勝間は、竹で編んだ籠をいうとあり、今も、ヴェトナムでは細い竹で編んだお椀型の小船が用いられているのです。写真は先日のテレビ放送「世界ふしぎ発見」で放映された、ヴェトナムの竹籠の小船です。
 古事記の中の重要な豊玉比売を祀る式内社は、阿波にしかありません。
 本居宣長も、「古事記伝」の中で、なぜ、阿波だけにあるのか?と書いています。この事を皆さんどう思われますか?
 他にも、姓におきて、日下を「くさか」名におきて帯を「たらし」と読む。とわざわざ言わなくても、徳島には多い名前ですよね、日下さん。天帯(あまたらし){天からなが〜いフンドシ}等言いますよね。




身近な事柄が、
古事記という書物の中に出てくる驚き。

一緒に読みませんか? 古事記は、阿波弁で読めるのです。
阿南、徳島古事記研究会は、どなたでも自由に参加できます。
一度いらしてみて下さい。お待ちしています。




お 知 ら せ
5月16日(水)阿南古事記研究会 富岡公民館 図書室
毎第1水曜   午後7時30分〜9時30分
5月 9日(水)徳島古事記研究会 昭和町公民館 2F
毎第2水曜   午後7時30分〜9時30分