飛鳥は日本文化のふるさとといわれる。こころ惹かれるものがあり、何度訪れたことだろう。遺跡や古墳、遺物から歴史の流れを、謎めいた石造物もこころ踊らす。点在する社寺や山々、田園のたたずまいが懐かしい。万葉の歌をおもいながら冬野川や飛石あたりの散策もうれしいもの。記紀に照らして神代、古代に想いを馳せるなどなどやってると、なんと、その地が自分のルーツのひとつと知った時の驚き!
昔の戸籍をみると奈良県高市郡高市村畑です。私達の家族の会話では大和。やまとの稲渕、坂田、畑でした。
84歳の父と30数年ぶりに訪れた風景は感無量でした。祖母や曾祖母(父からよくきいていた)や先祖の目に写っていたそれが、今、私の目にフィルターを取って写ったのですから。
稲渕川の山中「飛鳥川坐宇須多岐比売命神社」にくると突然「この神社の高い階段の横を登ったら、うちの山にヒョイと出た。近道や」と叫んだ父。(10歳頃までの記憶です)このことがずっと頭にひっかかっていました。ドクターエンドー徳島でしゃべっていると「司馬とか畑の郷」といったら「秦氏の関係やネ」と言われ、はっと気が付きました。
大和朝廷とともにあった秦氏の一派だと…、武器、馬具、その他の製鉄。もちろん、仏像(鞍作止利(法隆寺))もつくるグループです。
そう、あの崖にはりついた、谷から強風が吹きあげる高い集落。昔、あの土地には若い衆もいっぱいおり、祭りも盛ん。狭いところに八幡様も寺もあったとのこと。(もののけ姫をみた人は、正にあれ。ピタリです。)
長男の高校進学で、大阪の八尾にいたことがあります。近くに鞍作というところその他、古代からのままの地名が付いている地域です。くねくねと細い道、たたずまい。妙に気になるところでした。デジャブー(既視感)というものだったのでしょうか。つまり、行ったり来たりしながら、阿波〜淡路島〜難波(父の父方。お寺までみつけている。)〜河内〜飛鳥を辿っていたのです。というと、徳島は、たぶん「八多村」あたりがもともとの出身だろうと…。
縁もゆかりもない徳島に住みついたのが、私の長年の不思議でした。
何方かが気づかせられ、私に何をせよとおっしゃるのでしょうか?
皆様方は偶然の一致とみるか、思い込みの激しいおばさんとみるか。それも神縁、仏縁でしょうか?さ! あなたはどうとらえましょうか?
エピソード、体験、気づきの過程。証拠といえるべきものたくさんあります。オカルトととる人もあるでしょう。
興味のある方は、蜂谷までどうぞ。所詮歴史は、特に古代史は仮説の上に想像も加わり、実証が出てあがり。こんなとらえ方になると、時の流れも身近になって、興味も楽しさも倍増です。勉強もはかどり、知識も増える。阿波古事記の集まりも、思わぬ情報があります。益々のめり込むと…楽しいなぁ…。
私にとって神話の世界の古事記がぐっと現実的で人間的な存在になってきました!
河内平野は古代、潟湖でした。神武天皇東征伝承では、船で生駒日下が第一歩。関西で生まれ育った私に古老の伝えたエピソードがくっついてきます。ワクワクしています。
本題は次回になってしまいました。乞! ご期待下さい。