No.14 発行2001/04/20

飛鳥と古事記と阿波 その2

蜂谷やす子

 古事記研究会に参加してよかったのは、子供の頃の?(疑問)が解けてきたことです。
 神話、伝説、昔話がたいへん好きな女の子でしたが、距離感覚や物理的なことが引っ掛かったままこの年まで来てしまいました。
 阿波から晴れた日は、遙か紀州が見えるのです。はての九州から見えもしない大和に行こうと想うのでしょうか? 私達より何倍も視力のあった阿波の古代の人が、想いをはせ、計画を練り実行したのです。古事記は事実を基に創作して書かれていると思います。そのわからないパズルが解けるのも近い将来ではないでしょうか。
 白肩の津で敗れた神武天皇は、熊野から八咫烏(やたからす)の導引で十津川沿いに山越えして吉野に出た??。だいたいの口語訳はそうなっています。
 吉野までたどり着く道は、役(えん)の行者の昔から、そこは断崖絶壁、岩谷ばかりの曲がりくねった難所中の難所です。その上、大峯山系は日本一の多雨地帯。神武天皇の頃は、今以上に危険な所です。子供の頃、近所のおじさん連中が、山伏姿で修行に行くのに、冗談半分に「水盃しはったか」と声がかかるほどの山系です。浪速で敗れ、大勢の犠牲もあったのに、食料や武器持って、1000メートル以上の高い険しい所を山越えて行くか…?が子供心に疑問?でした。
 古事記を初めてじっくり読み合わせてみて、「ヘッ!」と思いました。山越えしたとは何も書いてないのです。「じゃ、どこから上陸したのか、そして、どこを通って大和に入ったのか?」と考えあぐねるうち、気がつきました。
 我がご先祖は、飛鳥村の山頂近くの集落で大和が一望できます。柏森、芋峠をへて吉野、宇陀、国楠経由で伊勢へのルートがあるのです。
 それと、進軍の時の久米歌です。
「神風の 伊勢の海の 大石に 這(は)ひ廻(もとほ)ろふ 細螺(しただみ)の い這ひ廻(もとほ)り 撃ちてし止む」伊勢湾から入ると日を背負って西進出来ます。それと、伊雑宮も気になるし、天孫降臨の後、思金神は五十鈴川のほとりの皇大神宮、猿田比古も伊勢と関係あり、阿耶訶(あざか)(松阪)では貝に手をはさまれ溺死の言い伝え。要するに、その地域は息のかかった部族のいる場所です。そこで英気を養い、弓矢を集め、食料も調達。登由宇気比売、天照大御神を祀り戦勝祈願をした後、伊勢神宮に至ったのではないでしょうか。ここから吉野には出やすいのです。
 十津川と北山川の分岐点近く、熊座社で高木神のお告げで転身。磯伝いの船旅となったのでしょう。その後の大和朝廷と伊勢・尾張との関わりも納得がいきます。
 一度、大和から国見峠越えて伊勢方面を辿ってみようと思っています。
自分の足で古代の地を歩く楽しみが、またひとつ増えました。
 皆様も、ロマンを追って、大和から伊勢をご一緒に訪ねてみませんか。




十種(とくさ)の神宝(かむたから)

正木 学

 古代の呪術信仰としての十種の神宝について。
 十種の神宝とは、物部の祖神饒速日命(にぎはやひのみこと)が皇祖天神の勅命により天磐船(あまのいわふね)に乗て河内国に天降しとき皇祖天神より天璽(あまつしるし)十種の瑞宝を授かったものという。その十種の神宝とは奥津鏡(おきつかがみ)・邊津鏡(へつかがみ)・八握剣(やつかのつるぎ)・生玉(いくたま)・足玉(たるたま)・死返玉(まかるがえしのたま)・道返玉(ちかえしのたま)・蛇比禮(おろちのひれ)・蜂比禮(はちのひれ)・品物比禮(ものぐさもののひれ)をいう。
 この宝を用いて「一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむななやここのたり)」といいて、「ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ」、かくもうせば死者も生きかえるという。これを鎮魂法(ちんこんほう)といい、饒速日命は、鎮魂法を修め離遊(りゅう)の運魂(うんこん)を招きて身体の中府(ちゅうふ)に鎮め、長生久視(ちょうせいきゅうし)の道を得て、永く生存したという。
 奥津鏡・邊津鏡は、鏡に神霊が宿るという古代信仰
 八握剣は、神霊の宿る神剣
 生玉は、長寿を得る霊力のある玉
 足玉は、欲しいもの授けてくれる霊力のある玉
 死返玉は、死者を蘇生させる霊力のある玉
 道返玉は、旅人が無事に帰れるようにしてくれる玉
 蛇比禮・蜂比禮は、蛇・蜂をおい払う霊力のある布切れ。
 古事記には領巾(ひれ)が魔除けの呪(のろ)いとしての例として、大穴牟遅神(大国主神)が、須勢理毘売を嫁るため、須佐能男命を訪ねるが娘の婿として、適当な人物であるか試す場面がある。大穴牟遅は蛇の部屋に寝かされるが、須勢理毘売より渡された、蛇除けの領巾により、この領巾を三たびふりて打ちはらいたまへといいて難をのがれたとある。
 品物比禮は、万物をおい払う霊力のある布切。とされているが、足玉・道返玉にはことなる解釈もある。古代の日本には、武内宿禰(すくね)のように約300年生きた人もいるらしい。現代の人からすれば信じることのできないことであるが、古代には不老不死や長寿を可能にする医学があったのか興味はつきない。




徳島大学「公開授業」受講
 5月10日より毎木曜7月12日迄10回
【講座とくしま学】
考古学からみた「とくしま」像

埋蔵文化財調査室   北條芳隆助教授

 5月10日、徳島大学の公開講座に、当会から佐藤文昭会長、広瀬泰治、蜂谷やす子、横田奈美枝、渡部初美、三村隆範の計5名が受講しています。
 講義の中で、北條芳隆講師は徳島に赴任して9年間になるが、徳島にはなぜか古くて小さな前方後円墳が多いというのです。パンフレットには、「特に前方後円墳の時代についての考察には主眼をおきたいと想います。『とくしま』の意外な過去を見いだせるからです。」意味深なメッセージに今後の講義を楽しみにしています。




お 知 ら せ
5月16日(水)阿南古事記研究会  富岡公民館 図書室
 毎第1水曜 午後7時30分〜9時30分
5月 9日(水)徳島古事記研究会  昭和町公民館 2F
 毎第2水曜 午後7時30分〜9時30分