No.16 発行2001/06/20

見直しました 阿波を!

天羽菜美

 途中からであるけど、今、阿波古事記研究会の方々といっしょに徳島大学の公開授業、考古学からみた「とくしま」に出席している。
 教室を見わたすと、年齢層は高い…またしても場違いかと感じました。考古学に興味をもつのは、やはり年配の人なのだろうか。同世代の姿が見られないのは残念な気がする。
 ともあれ最近では新聞をにぎわす数々の発掘、発見があるせいかブームというか古代を見直す動きがあるようだ。
 公開授業を聞いてみて古墳は近畿に集中しており、あくまでもそちらが中心地。そんな考えに対して、今までの解釈やランク付けされると小さな存在だった阿波の古墳が突然、表舞台に躍り出てきたといった風だ。
 残すところあと数回の勉強会、暑さに負けず頑張って行こうと思っています。




前方後円墳も阿波が発祥の地

天羽クリニック院長 医学博士 天羽達郎

(写真左)古事記学会代表理事
中京大学 菅野雅雄教授と筆者

 『専門分野の発展をもっとも阻害するのはその道の専門家である。なぜなら彼等は長年の専門家の常識に囚われて新しい発想ができなくなり、さらに新規参入の若い血を異端として排除してしまうからである。』と言われている。
 今回6月10日の大阪における古事記学会に出席した際、三村さんの質問に対する受け応えを聞いていて、そんなことを思い出してしまった。思い過ごしであろうか。なにしろ説得力というか迫力というか、熱気のようなものが、あまり感じられなかったのだ。
 それにひきかえ徳島大学の公開講座の1つで、『考古学から見た「とくしま」像』は本当に面白い。最近の徳島香川における古墳の発掘調査からすると、従来の常識をひっくり返すような結果が出ている。それを直接手掛けた北條芳隆先生が講師であるから何しろ講義に迫力がある。それはこうだ。
 まず三角縁神獣鏡であるが、卑弥呼が魏から貰った100枚の鏡の但し書きに『魏の威信を倭の各地に示せ』とある。それにしたがい権威の象徴『威信財』として卑弥呼に靡いた各地の豪族にその鏡が配られた。このような状態を三角縁神獣鏡の分有関係といい、同じ鋳型で作られた鏡が古墳時代には近畿から各地に分配され、その範囲がそのまま中央の勢力圏となったと考えられる。古墳についても同様の関係が成り立ち、その大きさで豪族の格付けがなされている。最古の段階の巨大な前方後円墳は奈良の箸墓古墳で全長は286mである。これと同じ形で1/2,1/3,1/4,1/6の大きさのものがその格に応じて次々と各地に作られている。なぜか1/5のものがなく、その縮尺における分母は2,3,4,6,と12の約数になっている。そして被葬者の頭の位置は北枕である。そこでは箸墓古墳と同じ設計図が使われ同じ宗教哲学で埋葬され、副葬品には先の三角縁神獣鏡が使われている。これら大形の古墳は近畿地方に多く見られ、ついで岡山そのあと関東山陰北陸九州と続く。すなわち中央の近畿にまず巨大古墳が発達しそれが地方へ拡散していき、大形古墳のない所は文化の遅れた未開の地、化外の地と考えられてきた。徳島はまさにそれであった。一番大きいものでも1/8、石井町にある古墳は1/17でしかない。しかも形が違う。が、ここで意外な発見があった。よく調べてみると箸墓古墳よりもこちらの方が数十年古いのである。委細はこの際省くが、そこには箸墓の祖型といった特徴があり、しかも被葬者の頭の位置は北枕もあるがほとんどが西枕である。北枕の思想は儒教と共に入って来、それ以前は東であったり西であったり、どちらかと言えばばらばらであったのが、それにともない統一されるようになった。大形前方後円墳で北枕というのは時代が新しいのだ。さらに驚くべきことは徳島の古墳に使われている同じ阿波産の石が近畿地方の古墳に使われているという。徳島の古墳が近畿へ伝搬した可能性が強いのだ。この辺の話になると講師の北條先生には一段と熱が入ってくる。しかしこの説が正しいと強く主張すれば先生の師匠筋の大先生に反旗を翻すことになり、北條先生はそこにある種のためらいを感じておられるようだ。しかしそんなことは気にすることはない。医学界ではよくあることだ。最近ではヘリコバクタ・ピロリ(Helicobacter pylori)というばい菌の話がある。これまでは胃の中は胃液で強い酸性(pH1〜2)が保たれるため、ばい菌は生存できないというのが専門家の常識だった。それをぶち壊したのはまだ専門家の常識ができていないオーストラリアの若い医者だった。しかもこのばい菌は胃の中で生存できるだけでなく、胃・十二指腸潰瘍の原因菌であることが分かって世界中が仰天した。偉い先生方の潰瘍成因説は、この一発で吹っ飛んでしまったのだ。
 このような現象が起こるのは、必ず物的証拠を掴んでから議論するからだ。古事記の研究ではこの物的証拠で裏を取る方法がないので、若者が権威者の牙城を崩すことは極めて困難である。しかし、北條先生の古墳の研究で、古事記の世界は阿波だったということの確たる物的証拠が掴めるかも知れない。考えただけで気が弾む。北條先生にエールを送ろう。




徳島大学「公開授業」
5月10日より毎木曜7月12日迄 10回
【講座とくしま学】
考古学からみた「とくしま」像

埋蔵文化財調査室  北條芳隆助教授

 受講レポート

6月14日 第6回目
 讃岐型前方後円墳
 前方後円墳の祖形・原形は鳴門市萩原にあった萩原噴丘墓である。
 中山大塚古墳(奈良県)の発掘により、前方後円墳の円噴の祖形が阿波の積石塚にあることを確信した。古墳の上に敷かれる葺き石は、積み石塚のなごりである。資料の実体を重視する見方の必要性を講義された。「徳島」に身を置かなければ気づかない事実。

6月21日 第7回目
 前方後円墳の終焉と列島の政治的統合
 阿波の青石が運ばれ、畿内の古墳の竪穴式石室が築かれている事実。

6月28日 第8回目
 前方後円墳時代における中央と周辺
 阿波で古墳が築かれなくなってから畿内に巨大古墳が築かれる。
阿波は100年早く古墳時代の終焉をむかえている。

 徳島に赴任して来たことを喜んでおられたことが印象的に残りました。

 当会からの受講者は、佐藤文昭会長、天羽達郎、天羽菜美、広瀬泰治、蜂谷やす子、横田奈美枝、渡部初美、三村隆範の計7名




サークル アマテラス 発会しました。
只今ビデオ制作中 12月9日(日)製作発表会


お 知 ら せ
8月 1日(水) 阿南古事記研究会  富岡公民館 図書室
毎第1水曜 午後7時30分〜9時30分
7月11日(水) 徳島古事記研究会  昭和町公民館 2F
毎第2水曜 午後7時30分〜9時30分