古事記の物語は、出雲と高天原を登ったり降りたりする話です。それは、出雲と高天原が接している所を示しています。 |
【古事記のあらすじ】 はじめ高天原(木屋平)に神様が現れました。イザナギとイザナミの神はオノコロ島(舞中島)に降り、ヒルコ・淡島(吉野川市(旧麻植地区)・善入寺島)を開拓したが、うまくいかなかったので、改めて淡路島から国を広げ始めました。しかし国を広げる途中、イザナミの神は亡くなり出雲国と伯伎国の境の比婆山(吉野川下流と上流の境、岩津にそびえる高越山)に葬りました。 |
【国重要文化財 三木家】 |
オノコロ島から淡島 黒い部分が古事記に書かれる日本(やまと)
国の成り立ち 淡道(あわじ)の穂(ほ)の狭別島(さわけじま)(淡路島) 出雲といえば、現在はで島根県の事ですが、「古事記」や「日本書紀」には国生みに出雲が書かれていませんから、出雲は島根県の事ではありません。 |
古代の四国は、伊予の二名島と呼ばれた。 |
阿波は、伊の国と呼ばれた。 阿波の海岸部が、出雲 祖谷・伊島など「イ」のつく地名はたくさんある。神山町に「猪の頭(いのかしら)」があり、徳島県の周辺に「猪の鼻(いのはな)」がある。 「鼻」は、端を意味し、「頭」は、中央を意味する。 阿波(イの国)の海岸部、イの国の面をイツ面(イツモ)といった。 |
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式内社、山方比古神社(金山神社)八尺鏡(やたのかがみ)製作推定地と天津麻羅(あまつまら)(立岩神社)に関係する古事記の部分。 天の安の河(かわ)の河上の天(あま)の堅石(かたしは)を取り、天(あま)の金山(かなやま)の鐵(まがね)を取りて、鍛人天津麻羅(かぬちあまつまら)を求(ま)きて、伊斯許理度売命(いしこりどめみこと)に科(おほ)せて鏡を作らしめ、玉祖命(たまのよのみこと)に科せて、八尺勾玉(やさかのまがたま)の五百箇(いほつ)の御統(みすまる)の珠を作らしめて、天児屋命(あめのこやねのみこと)、布刀玉命(ふとたまのみこと)を召(め)しで、天(あめ)の香山(かぐやま)の眞男鹿(まをしか)の肩を内扱(うつぬ)きに抜きて、天(あま)の香山の天(あま)の朱櫻(ははか)を取りて、占合(うらな)ひまかなはしめて、天(あま)の香山の五百箇(いほつ)眞賢木(まさかき)を根こじにこじて、上枝(ほつえ)に八尺の勾玉の五百箇(いほつ)の御統(みすまる)の玉を取り著け、中枝(なかつえ)に八尺鏡(やたかがみ)を取り繋(か)け、下枝(しづえ)に自和幣(しらにきて)、青和幣(あおにきて)を取り垂(し)でて、この種種(くさぐさ)の物は、布刀玉命(ふとたまのみこと)、太御幣(ふとみてぐら)と取り持ちて、天児屋命(あめのこやねのみこと)、太詔戸言祷(ふとのりとごとほ)き白(まを)して、天手力男神(あめのたぢからをのかみ)、戸の掖(わき)に隠(かく)り立ちて、天宇受売命(あめのううずめのみこと)、天(あま)の香山の天(あま)の日影(ひかげ)を手次(たすき)に繋(か)けて、天(あま)の眞拆(まさき)を鬘(かづら)として、天(あま)の香山の小竹葉(ささば)を手草(てぐさ)に結(ゆ)ひて、天(あま)の石屋戸(いはやと)に槽伏(うけふせ)せて踏(ふ)み轟(とどろ)こし、神懸(かみがか)りして、胸乳(むなち)をかき出(い)で裳緒(もひも)を陰(ほと)に押(お)し垂(た)れき。ここに高天(あま)の原と動(よ)みて、八百萬の神共(とも)に咲(わら)ひき。 注)日本書紀に、阿波忌部の祖、天日鷲が書かれている。 |
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神山町元山 立岩神社―天香具山―天岩戸と 手力男神塚(天岩戸別神社)関係する古事記と風土記。 次に登由宇気神、こは外宮の度相に坐す神ぞ。次に天石戸別神、亦の名は櫛石窓神と謂ひ、亦の名は豐石窓神と謂う。この神は御門の神なり。次に手力男神は佐那那縣に坐す。故、その天屋命は、中臣連等の祖。布刀玉命は忌部首等の祖。天宇受命は、猿女君等の祖。伊斯許理度賣命は、作鏡連等の祖。玉祖命は、玉祖連等の祖。故ここに天津日子番能邇邇藝命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重たな雲を押し分けて、稜威の道別きて、天の浮橋にうきじまり、そり立たして、竺柴の日向の高千穂のくじふる嶺に天降りまさしめき。 |
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大和国の風土紀 (神代紀口訣三) 日本古典全書 朝日新聞社 風土記にいわく、天の上に山あり、分れて地に堕ちき。 一片は伊予の国の天山(あめやま)と為り。 一片は大和の国の香山と為りき。 阿波の風土記 (万葉集註釈 巻第三) 日本古典文学大系2 岩波書店 阿波国の風土記のごとくは、そらより降り下りたる山のおおきなるは、 阿波国に降り下りたるを、天のもと山と云い、 その山のくだけて、大和国に降り着きたるを、天香久山というとなん申(まおす)。 伊予国風土記 (釈日本紀 巻七) 日本古典文学大系2 岩波書店 伊予の国の風土記に曰(い)はく、伊与(いよ)の郡(こうり)。郡家(こおりのみやけ)より東北(うしとら)のかたに天山(あめやま)あり。天山(あめやま)と名づくる由(ゆえ)は、倭(やまと)に天加具山(あめのかぐやま)あり。 天(あめ)より天降りし時、二つに分かれて、片端は倭の国に天降り、片端はこの土に天降りき。因りて天山(あめやま)と謂ふ、本なり。 (其の御影を敬禮ひて、久米寺に奉れり。) 各国の風土記をくらべると阿波国に、元の香具山があった。 |
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高天原をゆく (1) 渋野古墳群 (2) 金山比古神社(八尺鏡製作推定地) (3) 立岩神社(天津) (4) 大宮八幡神社 (5) 根郷 古墳 (6) 天岩戸別神社 (7) 手力男命塚 (8) 鯨石 (9) 立岩神社 元山 (10) 上一宮大粟神社 |
以上のように、これらの御神体の形態を考える上で、【松本一男著「老子入門」】を参考に引用します。
(読み下し) 谷神(こくしん)は死せず、是れを玄牝(げんぴん)とい謂う。 【意味】 天地(あま)を創造する谷神(道)は、死滅することのないものである。これを“母なるもの”ともいう。母なるものの門こそは、天(あま)地を造り出したるものであるから万物を生み出す生命力の根源だといえる。万物の生みの親である谷神は、太古より永遠に存在し続け、これを用いれば、生めども生めども尽きることはない。 【解説】 大地の裂け目である谷では、水が湧き、雲が起こり、流れが生まれる。古代人の眼には谷間は神秘的な力の源泉として映った。また、女性のシンボルに似ている。女性のシンボルから人が生まれ出る。このような意味で、谷や女性のシンボルが原始宗教の対象として崇拝されていたことは、想像に難しくない。(中略) |
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