平成17年
(2005)
4月3日(日)午前10時〜 那賀町(旧相生町)内山 千引の岩(ちびきのいわ) 看板設営除幕式 記念パンフレット・桃まんじゅう 贈呈 参加者 約150名 |
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【看板】 千 引 の 岩 この大岩は、『古事記や日本書紀』に書かれた「千引の岩・千人所引の磐石」と推定される。 日本最古の歴史書『古事記』には 「国造りの途中で亡くなった妻、伊邪那美命を追って黄泉の国の比婆山へ会いに行った伊邪那岐命は、「見てはいけない」と言われた妻の醜い亡骸を見たため妖怪達に追われるはめとなった。 逃げる途中に投げつけた、髪を束ねた葛や櫛が、山葡萄や竹の子に変わる。それを追っ手が食べる間に逃げたが、なおも追ってくるので坂本にあった桃の実を投げつけると追っ手は逃げ帰ってしまった。最後に伊邪那美命が追いかけてきたので、伊邪那岐命は、千人で引くような大岩で道を塞いだ。 黄泉の国から逃げ帰った伊邪那岐命が、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原で、禊ぎ祓いすると天照大御神と月読命と須佐之男命が生まれた。」 と書かれている。 『古事記』の物語は、徳島県内の地名に当てはまる所が多く、上記の物語は、徳島県の山川町から阿南市見能林町までの地域を舞台として繰り広げられた物語と考えられる。 平安時代に書かれた『延喜式神名帳』(九二七年)には、全国に一社のみ、伊射奈美神社が記録され、徳島県美馬市以外にはない。 黄泉の物語は、この式内社 伊射奈美神社がある穴吹町舞中島から始まった。高越山を経て「カズラを投げたら実が生った」と書かれる上勝町には、雄中面・生実の地名があり、相生町竹ガ谷の旧八面神社には、「櫛から竹の子が生えた」と書かれる竹を型取った燈籠がある。「桃を投げた」と書かれる丹生谷地域には、百合・桃の木坂・桃付等の地名があり、神社には桃を型取った木彫りや瓦がある。また、相生町には、昔からヨミ坂と呼ばれる坂もある。 黄泉の坂を逃げ帰った伊邪那岐命が、四国最東端の阿南市見能林町(打樋川)で禊ぎ祓いをすると、天照大御神と月読命と須佐之男命が生まれた。 以上のことから、この大岩群は『古事記』等に書かれる「千引の岩」にあてはまる。
阿波古事記研究会 |
平成17年
(2005)
7月3日(日)午後1時半〜4時半 阿南市文化会館(夢ホール) 「古事記に書かれた阿波」 谷川 健一氏(日本地名研究所 所長)講演会 |
平成17年
(2005)
10月16日(日) 神山町鬼籠野元山 天岩戸(あまのいわと)立岩神社 看板設営除幕式 (2基) 記念パンフレット・天岩戸まんじゅう 贈呈 参加者 約150名 |
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【神社用看板】 天岩戸立岩神社
阿波国の風土記に 「空よりふり下りたる山の大きなるは 阿波国にふり下りたるを、天の元山といい その山のくだけて、大和国にふりつきたるを 天香具山というとなんもうす」 と書かれるように、奈良県の香具山の天岩戸神社には、当神社の御神体と同形の御神体が天岩戸として祀られています。
阿波古事記研究会 |
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【道路用看板】 天岩戸立岩神社 徳島県名西郡神山町鬼籠野字元山七四六 この天岩戸立岩神社の御神体は、『古事記や日本書紀』に書かれる「天の岩戸」と考えられます。 鳥居をくぐって横道を200m奥に入ると天岩戸立岩神社の御神体・天の岩戸があります。 古事記には「天の岩戸の神事の際には、天香山からサカキを採り…アメノウズメは、天香山のヒカゲノカズラをたすきにかけの天香山のマサキをかぶり、天香山の笹を手に持ち、神がかりして舞い踊った」と書かれています。 『阿波の風土記』 空よりふり下りたる山の大きなるは阿波国にふり下りたるを、天の元山といい その山のくだけて、大和国にふりつきたるを天香具山というとなんともうす 『伊予の国の風土記』 伊与の郡。郡家より東北のかたに天山あり。天山と名づくるゆえは、倭に天加具山あり。天より天降りし時、二つに分かれて、片端は倭の国に天降り、片端はこの土に天降りき。よりて天山というもとなり。 と書かれているように、阿波の神山の元山が倭の天香山です。古事記の天の岩戸の物語には、天香山から種々のものを集めて神事をしたと書かれています。 また、天の岩戸を開けた手力男神は、「手力男神は佐那那県に坐す」と古事記に書かれています。 佐那那県は佐那河内のことで、元山から東に山を超えた佐那河内村の天岩戸別神社に祀られています。 天照大御神の御霊は、孫の邇邇芸命によって徳島市国府町の気延山(高千穂峰)に降臨し、天石門別神は、全国の各地に広がって行くのです。
阿波古事記研究会 |