三木家古文書について(その11)
               三木 信夫

<南朝安堵状>(1352年)


(訳)
      花押
阿波国種野山内 三木村の事
本知行と為して 相違有るべからず
領掌の旨
仰せに依て執達件の如し
正平七年(1352年)七月 日
        阿波守為仲奉
三木左衛門尉殿

 これは,南朝方の為仲が,主君の命を奉じて三木村の本領を安堵したもので,三木氏村宛の文書である。

<南朝宛行状>(1360年)


(訳)
        花押
阿波国高越寺庄内
西庄御恩として知行すべき之旨
仰せに依て執達件の如し
正平十五年(1360年)八月三日 出雲守時有奉
三木太郎兵衛尉殿

 時有の主君(袖花押の主)の命により,恩賞として現在の山川町にある高越寺庄内西庄を三木氏村に与えたもの。

Kさんの○ン○は木の○ン○!
祖母が語った阿波の民話(その2)

               天羽 達郎

 ある時商人のKさんが帰り道いつもの山の峠を夜通りかかると,若いきれいな娘はんが出てきました。そして「遊ばんか,遊ばんか」といい,つくまんであそこを見せて誘いをかけてきました。そこは狸が出てきてよく人を化かす所だと聞いていたので,これは狸に違いないと思い,誘いに乗った振りをして,股の間に樫の棒を挟み,いたす構えをして思いっきり棒を突っ込んだら,ぎゃあと言う叫び声をあげて逃げていった。「その娘はんはやっぱり2匹の狸が化けておったんで,1匹は顔の方に化けもう1匹は逆さまにぶら下がって口を開けて待っていたんやってなあ――」。その後Kさんが同じ場所を通るといつも「Kさんの○ン○は木の○ン○! Kさんの○ン○は木の○ン○!」と何処からともなく狸が囃すのが「聞こえてくるんやと」。そう言いながら祖母はいつも面白そうにほっほっほっと笑いながら話してくれました。しかもKさんは実在の人物で本当にあった話だということでした。

暑い熱い厚い阿波と古事記
               大西 時子

 正真正銘の夏空です。気ぜわしく日々が過ぎて行きます。取りあえず今日のことを精一杯。
 昨日は午後七時から8月の古事記研究会。受講希望者第一弾として徳島大学考古学の先生をお訪ねしました。先生は埋蔵文化財青石研究の第一人者で眉山裾野の三谷遺跡で出土した石棒の特異性に着目し研究をされています。縄文末期から弥生前期に祭祀用に使われている石棒は全て阿波産の青石の加工品でこちらから運ばれ