無 常           本多 幸代

 朝,瀬戸内寂聴さんの法話を聞きながら片づけをしていましたら,「無常」と言う言葉が耳に残りました。
 調べてみると,
「世の中すべての物は,常に変化し不変なものはない」
「この世の中の一切のものは常に 生滅 ( しょうめつ ) 流転 ( るてん ) して,永遠不変のものはないということ」
とありました。
 人生のはかないこと,また,そのさま。
「無常な人の世」「諸行無常」
 この二つは少し淋しいことばだけど,確に物事は常に動いているのです。
 私も次にむかって進んでいかなくてはと,自分を見つめなおす言葉でした。

 今年10才になる愛犬コロは,いつも元気いっぱいです。
 散歩の時もひっぱられて,私が後をついて行く感じです。
 散歩コースに広い空き地があって,いつもそこを通って30分程一周して帰るのですが,来年の2月にその空き地に薬局屋さんが出来るみたいで,今月から工事にかかるそうです。
 薬局屋さんが近いのは便利が良いのですが,散歩コースを変更するのは,少し残念です。
 又,途中茶色のネコに会うのも楽しみの一つです。コロは尾をふっていますが,あちらは背中を立てておこっています。
 いつの日か仲良くなる事を願って毎日歩きましょう。

天の岩戸が開くとき 人は神に帰る 63
 
指示待ち人間       三村隆範

 基本的にすべてのものは,「指示待ち」である。
 「裸の王様」の話に書かれている様に,多くの人間は,何らかの指示によって動くのです。
 周りの人が「王様は,立派な服を着ている」とみんなが言えば,たとえ王様が裸で歩いていても多くの人は,「立派な服を着ている」と言うのです。
 これはおとぎ話で,私達は,実際にそんなことはしていないと思っていますが,実は「裸の王様」の話に書かれているようなことを毎日しているのです。
 自分の見たまま,聞いたままを話している様に思っていますが,実は,そうではないのです。
 多くの人の判断の基準は,
 偉い先生が言ってる。
 上の人に言われた。
 みんなが言ってる。かに依っている。自分を持っているようで,案外,自分が無い。自分が無い様で自分が現れるのは,自分の気に入らない事が起こった時である。その時チャンスがやってきたのです。
 すべてのものは,「指示待ち」である。と最初に書いたように,本来指示待ちは人間であるが,何の指示に従っているかが問題である。
 宇宙自然の中で生かされている人間ですが,先に書いたように,人間は人間社会の中で生きていて,言葉を介して人の指示に従ってしまうのです。風の音からそれを気づき,その指示に従うことは無いのです。
 それを見て自分で考えようとせず,他人の言う事に従うことは楽ですが,「彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば,二人とも穴に落ちてしまう。」と聖書に書かれているように,最後は苦しみの世界となるのです。自分の中に判断する力を持っているのですから「みんなが,多くの人が,そうしているから」という人の意見だけに頼らず,自らがよく見て考えないと物事の本質に,いつも触れることは無い。

 はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは,あなたがたが見ているものを見たかったが,見ることができず,あなたがたが聞いているものを聞きたかったが,聞けなかったのである。【マタイによる福音書 / 13章 17節】