あ          橋本 純平

ドクター・エンドー最終日 平 澄子

 この日は,ドクターエンドー最終日です。朝早くからお客様が待ってくれていました。青汁を飲みながら「今日が最後やけん。味わって飲もう。」と言ってチビリチビリ飲んでいました。それから始まって次々とお客様が来て下さいました。

 皆で食べようと言ってお茶菓子をさげて,いつも気の付くYさん。ネパール大好き人間で,親切でやさしい方です。

 私は昼間集金に出ていましたが,その間美馬さんが店内を盛り上げてくれていました。昼休みを利用して,ちょこっと顔を出ししてくれたやすよちゃん。皆々ありがとうございます。

 昼間来て下さった近所の御婦人の方が夕方もう一度最後のコーヒーを飲みに来て下さった。何でも話せる気さくなお母さんみたいな感じです。上品でとってもおしゃれな女性です。

 長々と書きましたが一人一人書きたいくらいみなさんとの想い出がいっぱいあります。最終日は,43名の方がお見えになり励ましのお言葉をいただきました。この場をかりてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

天の岩戸が開くとき 人は神に帰る 65
  真瑠吾視比古 ( まるごしひこ )      三村 隆範

 ドクターエンドーは,平成23年(2011)12月20日をもち28年の幕を下ろしました。その間に学んだことが,「真瑠吾視比古」でした。

 平成元年(1988)12月にドクターエンドーをオープンして,翌年から店の情報誌「カムトゥゲザー」を発行し,その編集後記のペンネームに快生・快笑・ 人見毒喰 ( ひとみどっく ) 苦労 ( くろう ) ( ) 風味 ( ふうみ ) 雲上 ( くものうえ ) 快生 ( かいせい ) ( こい ) ( から ) 愛会 ( あいへ ) などを使っていましたが,平成16年(2004)1月頃より「 真瑠吾視比古 ( まるごしひこ ) 」と使い始めました。それは,この「波阿波」の前進「阿の波風」を発行する年のことです。

 「 真瑠吾視比古 ( まるごしひこ ) 」は,読みのとおり丸腰の男という意味で,「真の魂を我にみる男」というつもりで使い始めました。また地位・名誉・財産がなくても,すでに自分の中に玉(瑠璃)があるからそれでやっていけると思ったのです。しかし,最初は名前を理屈っぽくつけただけで,月日が今日まで経ちました。その間,それを自分に言い聞かせていたわけですが,今日名実ともに「 真瑠吾視比古 ( まるごしひこ ) 」に近づいた訳です。

 先月12月のNO.24号で「喜びの素」を持ってますか?と書きましたが,誰もが既に玉(瑠璃),すなわち喜びの素を持っているのですが,それに気がつきません。また,持っていると気づいていても,持っているだけでは,何の喜びも湧き出しません。「喜びの素」を使ってこそ喜びが湧き出してくるのです。

 仕事を通じ,そんな理屈を生活の中でためしてきました。これまで道楽のような生き方をして「社長さんだからできる」と思われて来ましたが,今回いよいよ仕事を離れ名実ともに「 真瑠吾視比古 ( まるごしひこ ) 」の暮らしが始まったのです。