H11.12.11

第31回オフライン例会メンバーズトーク 

いかさし


 

皆さん、今晩は只今紹介のありましたイカサシこと一関勉です。

 

私がYOKOネットに入会しましてから2年半になります。

今まで何度か総会、オフミに出席しまして、ようやくメンバー皆さんの顔と名前が一致し始めてきましたが、今回のトークを機にさらに皆さんと末永いお付き合いをと願っています。

さて、溝さんからのメンバートーク依頼を引き受けた時に即座に、思いつきで一番の趣味の話をしょうと決めました。

話の前にまずお詫びをしなくてはなりません。皆さんの手元には私の趣味 1、何とか 2、マラソン などとなっておりますが、期待を裏切って申し訳ありません。「違う!」のです。

 

さて、私の趣味といいますか、生涯の楽しみ、安らぎ、あこがれとは、それは、マラソンでもスキーでもなく、ましてや刺身のツマでもなく、それは海に潜ることなのです。皆さんの中にもダイビングが趣味と言う方もおられるとおもいます。


今日は大好きな海やエピソード等を話したいと思います。この頃はNHK講座あり、いろいろな雑誌も出ていますし、海外へのツアーもズ随分ありまして、ダイビング人口も増えてきました。

 

ダイビングスーツ、これはウェットスーツというのですがこのスーツのベストにボンベが着いていて着たり脱いだりが簡単になりました。今は、ファスナー付で衣類を着るのと同じです。

私が始めた頃のは頭からかぶるタイプが一般的でした。これは、いったん海へ入って体を濡れせ滑りをよくさせて着るのです。すべりが悪くて必死にもがきなだら着ることになり苦労したものです。

 

海へ入ると浮力で潜れないのです、そこで腰に重りをつけます。四角い鉛をいくつもつけるのです。鉛の適正ウエイトは体重の1/10が目安で私の場合7kg程度です。

 

これは、レギュレーターです。タンクに詰められた約200気圧の空気を、ダイバーがいる水圧と同じ圧力に減圧して、体内に必要な量を供給する為の器具です。一段減圧部、二段減圧部、中圧ホースからなっています。スキューバダイビングの命ともいわれる存在です。

 

 

さて、海へ潜るもうひとつの方法、それは素潜りです。

 

ボンベを背負って潜ると、長い時間 海の中でゆっくり出来るという楽しさがありますが、素潜りはもちろん時間も短く、重しも着けませんから、潜る技や肺活量がモノをいい、楽しさも違ってきます。

素もぐりには素潜りの素晴らしい楽しさがあるのですよ。

 

     積丹での赤ハラ採り

私は、素潜りで水中銃を持ち、よく魚採りをします。特にスリルがあって面白いのは、赤ハラ(別名ユゴイ)採りです。この魚は海では群れをなして泳いでいます。鯛系の平っぽい魚は、泳ぎが緩慢で採り易いのですが、赤ハラは泳ぎがすばやくそーと群に近づき其の中の一匹に狙いを定めて水中銃をうちます。命中の確率は10%位でしょうか。それだけに、命中した時の喜びはひとしおです。外れた時は、其の群は、一瞬にして散ります。次の群を探すのが一苦労なのです。

 

     瀬棚海岸でのタコ採り

タコは、瀬棚のようなリアス式海岸の岩場では、早朝5kgもある大タコが浅瀬に来る習性があります。私は、そーっと外から岩場に近づき海中を見ます。「いたー!」外から狙いを定め水中銃をうちます。命中してからが大変なのです。タコは力強く、頭を先頭に必死でまるでロッケト弾のようにもがき逃げます。墨を噴射するので、体をザブーンと海中に飛び込み捕まえようとしても真っ暗な海の中で、逮捕出きるのはまれです。殆どは、タコに命中したヤスの所を引きちぎり、逃げられます。

 

     海中でのタコ採り

だから、タコ採りは、水中でアクアラングを使い、5から10m位の岩穴にいるタコを見つけ、素手で捕まえます。それもそーと近づき腕を伸ばして、腕にタコをまとわりつかせます。もしもタコの太い足が、顔にまとわりでもしたら、レギュレターをてきめんはずされ、息が出来なくなり命とりになる場合があります。タコ採りは本当に危険なのです。

 

 

一体私は何時頃から潜り始めたのでしょうか。

 

 

◎小学校時代

 

● 小学校4年生迄何も履かずにスッポンポンだった。以後、黒フンドシ時代が小学生後期迄続いた。

     北海道随一汚い函館市松倉川の河口で、素潜りで2〜3メータの浅瀬の岩場でトンボメガネをかけ川蟹を採って、たらふく食って飢えを凌いだ。これが、素潜り人生のスタートであった。

 

◎中学生時代

 

     函館で唯一あった屋外温泉プール(グランドホテル)ではいつも塀を乗り越えて、無賃入場の常習犯であり、温泉であったせいか濁ったプールで、潜って女性タッチ遊びをよくした。又、水中メガネや小銭がプールの底に落ちており、トレビの泉の盗人みたいで結構な稼ぎであった。

 

◎高校時代

 

     函館山の裏側の外人墓地の近くに穴間という所があり、泳ぐより吊り橋からの4〜5メータの海中への飛び込みに熱中し、腹をしこたまうって気絶しそうになった。

     そこには洞窟があり、10メータ位も薄暗い奥に入ると、コウモリがウヨウヨおり未知の世界をかいま見る事が出来た。又、洞窟の中の海は、クラゲの棲家でもあり、其の触手に刺され酸性の毒液で体中が腫上がり、其のたびに体に小便をかけ中和し、砂で揉んで毒液を肌から、取り去った。

 

◎サラリーマンの20代前期

 

     函館港の赤防波堤から穴間までの3マイル遠泳大会に出て、寒さを防ぐ為に体にオリーブ油を塗って泳いだが寒さで体の痙攣に悩まされながらも完泳出来るスイマーでもあった。

     室蘭が初任地で、地球岬の付近でよく潜りウニ採りに熱中して、自分は生くさいウニが大嫌いな為に殆ど食べず、人に与える喜び初めて知った。

 

◎サラリーマンの20代後期

 

     苫小牧が第2の赴任地であり、25歳で初めてスキューバダイビングの器具を買い、初潜りが支笏湖でPADIのスキューバダイビングのライセンスを取った。練習は専ら支笏湖河畔の河口で湖底は4〜5メータもある長い草が生い茂った所で、たまにヒメマスを垣間見る事が出来た。一寸と湖の沖に出ると、急に深くなり丸裸の大木が横たわっており、あそこで入水自殺して未だに浮き上がってこない死人がいるようで薄き身の悪い思いをした。

 

     私の専らの狩猟地は苫小牧港であった。勿論遊泳禁止であったが漁業権はない。ある時当時人気のあったキックボクサーの斎藤天心が港で潜って遊んでいるのを発見した。それを見て港で泳いではいけないという、罪悪感が瞬く間にうせた。確かに、苫小牧では泳ぐ所がなく、港で泳いだとしたも見ていた人から咎められることは皆無であった。本当に苫小牧人は寛大なのだ。港では、「密漁という言葉」はないのだ。

 

     苫小牧港は当時、本当に海の産物の宝庫であった。ウニやなまこ、そしてホタテなど200気圧のボンベを背負い一潜り1時間位で10kgも採れる。当時そんなにアクアラングをする者がいなかったので、私の独壇場みたいなもので本当によく採った。酒のつまみでは私は職場の仲間からよく声がかかり、港で潜りの買出しによく出かけることになった。

 

     一潜りでタライに一つ採るものだから、随分人にも振る周り偶に居酒屋にも卸した事もあった。当然お金は取らないから、そこでの飲み代を払わなくてもいい事もあった。私は港では苫小牧随一の狩猟人の一人であったのだ。

 

     ある時方向を誤り港の沖深く潜ってしまった事があった。すると、真上に、あのどでかいフェーリーの船腹が見えるではないか。私がそれに気づかず浮上したらたちまちスクリューに絡まり瞬く間に命を落としていただろう。又、命の綱のボンベのエヤーがなくなっているのに気づかず、採集に夢中になり過ぎ、息が苦しくなり、あわてて浮上し潜水病になる寸前に見舞われたこともあった。

 

     当時、信じられないかも知れないが私は、苫小牧東部開発の国家備蓄や厚真火発の市民運動などの隠れ闘士であったから、マスメデェアによく登場し、苫小牧ではそれなりの著名人であったようで、名前はよく知られていたようだ。その為か私に寛大な苫小牧にも唯一敵がいた。海上保安庁のパトロール船なのだった。「一関君、ここは遊泳禁止です。直ちに港の海から退去しなさい!」あの甲高いスピカーで怒鳴り散らすのだ。私はこれにはまいった。

 

 

◎スクーバダイビングでのエピソード

 

     沖縄の海での体験

今、沖縄の海は、あの万博以来本当に汚れてしまいました。雨でも降ると茶褐色の水が海に流れ込み、あの青い海がみにくい色に変わります。潜る場所によっては、あのすばらしいサンゴ礁が死にたえて居ます。鬼ヒトデの異常繁殖もあるのでしょうが、サンゴ礁の墓場を元の状態にするには、何十年かかるのでしょうか。奄美の人々の飛行場反対運動を行う気持ちは、痛くわかります。

 

     西表島でのショキングな出来事

西表でマンタを見れればと思って、潜ったことがあります。ところが、潜った所で、東海大学生が溺れ死にました。二日酔いか何かで心臓麻痺を起こしたそうです。偶然にも、其の方の両親が住んでいるところが、苫小牧市で、それも知ってる人でした。私は葬儀に列席し、其のときの西表島の光景を一部始終お話をしてあげました。これも何かの縁だと両親が涙ぐんでいた様を今でも強烈に覚えています。

 

◎私の将来のあるべき姿。

 

こんな海大好きな私のことを「陸(おか)の上に居るのは仮の姿で、海の中に居る時が本来の姿に戻る」と言った人が居ます。ま、今の私は干しワカメみたいなもんです?

以前 潜りにいった時に一人のオジさんを見かけました。年は60過ぎくらいで、膝までの短いズボンと云うか長い短パンにヨレヨレのランニングシャッツ、顔も体も真っ黒に日に焼けてだか酒焼けだかわからないけどとにかくいい色をしている。彼の仕事場の小屋には小さいテーブルとイス、1升ビンがあって、ダイバーが来るとボンベにエアーを入れたり、海の話をしているのです。「いいなー」と思いました。私の理想の姿がそこにあったのです。日がな1日大好きな海を見たり、泳いだり、潜ったり、そして夜は月を眺めながら酒を飲む、これ以上の幸せはない、と思って居ります。

 

つたない話をご清聴ありがとうございました。

 

 

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