本丸・表

これが本丸「表」の間取である。 上、左から右に[1]「大広間」、[2]「白書院」、[3]「黒書院」を見ることができる。大広間も白書院も本丸の中では格式の高い殿舎で、この二つをつなぐのが「松の廊下」(左上・赤色)である。この廊下で元禄14年(1701)3月、浅野長矩が吉良義央を傷つけるという刃傷沙汰がおき、のち赤穂浪士の討入りへと発展した。白書院の広縁では、家光の代から御前試合が行われた。「大広間」は西側に上段、中段、下段があり、その東隣に、二之間、続いて三之間、松之間がある。「白書院」は上段、下段が西側に、帝鑑之間と連歌之間が東隣にある。「黒書院」は庭を間にして白書院の北側にあり、竹の廊下で結ばれている。上段、下段を西側にとり、東側には西湖之間、囲炉裏之間がある。間取図の次の段、左から「柳の間」、「溜間御次」、「帝鑑之間」、「雁之間」、「芙蓉之間」、「御右筆」、「大廊下」、「御用部屋」、「溜間」などを見ることができる。これらの部屋にどのような役人が詰めていたのだろうか。このページ下にまとめてみた。尚、本丸の玄関は間取図の下、左にある。  

[1]大広間 四位以上の外様国持大名詰所。伊達、細川、島津、毛利、黒田、池田、浅野など有力外様大名と御三家の分家大名が列席した。
(1)柳の間 四位以下の外様国持大名および高家の詰所。
(2)帝鑑之間 城主格譜代大名とそれに準じる交代寄合などが詰めた。
(3)菊之間 大番頭、書院番頭、小姓組番頭。
(4)御目付部屋 若年寄の支配下にあった目付はこの部屋に、老中の支配下にあった大目付は芙蓉之間に詰めた。
(5)雁之間 譜代の中堅大名が詰めた。
(6)芙蓉之間 寺社奉行、町奉行、勘定奉行、大目付、駿府城代、奏者番、他遠国奉行など。
(7)溜之間 老中が黒書院で将軍に謁見し、政務を言上するときの控えの部屋で、徳川氏と縁のある高松松平、会津松平、井伊の三家が詰めていた。
(8)御右筆 右筆(文書・記録の作成など現在の書記にあたる)には表右筆と裏右筆がある。奥右筆は機密書類なども扱った。
(9)御用部屋 大老、老中、若年寄がここで政務を執り、幕政の最高方針を決めていたといわれる。
(10)桔梗の間 御番医師の詰所で襖に桔梗の絵が描かれていた。
大廊下 畳敷きの廊下兼事務室になっており、上、下に分かれていた。上の部屋には徳川御三家と御三卿、下の部屋には前田家、島津家など最高位の大名が詰めた。