鶏のけたたましい声で、僕は叩き起こされた。
 寝ぽけ眼をこすりつつ、布団からもそもそ抜け出し 障子を開けると、
田舎の朝の風景が広がっていた。
 僕がいつも起き出す時間より、ずっと早いの だろう。空はうっすら
と紫がかっている。
 僕はずるずると四つんばいのまま、部屋に戻ろうとした。


 歌が
  聞こえた。


 僕は、再び障子から顔を覗かせた。

 誰が 歌っているのだろう。
 その声からは、年齢も性別も判別がつかなかった。
 どこから聞こえてくる のかも曖昧だったが、その歌は、けたたましく
鳴く鶏の声も忘れさせるほど、朝の空気に響いていた。

 それはひどく美しく、どこか物悲しい旋律だった。


 ぎしりという音を真横に聞き、僕は びくりと身を竦ませた。
 音の方を見ると、いつの間にか老婆が横に佇んでいた。歌に気を
取られて いて、彼女がこんなに近くまで来ていた事に気がつかな
かったようだ。
 僕がとっさに何も言えず、 口を開閉していると、「目が覚めたか」
と無表情で訊いてきた。僕が無言で頷くと、老婆も同じく頷いた。
 不意に彼女はついっと腕を上げ、指を差した。つられるように顔を
向けると、小さな庭のはじに 井戸があった。
「顔はあすこで洗え。飯の支度はすぐに出来る」
 老婆はそれだけ言うと、ゆっくりと すり足のような歩き方で、一番
奥の部屋へと消えていった。
 僕はろくに返答も出来ず、大分時間を 置いてから、老婆の背中に
頷き返した。

 数分後、僕は老婆に言われた通り井戸から水を汲み、 顔を洗った。
 縁側から外に出る際、下に揃えてあった家人の下駄を拝借した。
この狭い家には老婆 以外にも誰か住んで居るのだろう、下駄は男物
だった。
 顔を洗っている間、どこからか視線を感じた のだが、あえて無視を
決め込んだ。感じた視線の数が多かったからだ。
 きちんと全部を見た訳では ないから断定しがたいが、ここは、僕の
故郷より小さな農村に見える。多分外から来た人間が珍しいのだ ろう。
 顔を洗い終えて縁側に戻ると、奥の部屋から老婆が顔だけ出して
「飯を食え」と一言告 げて、引っ込んだ。
 僕は再び何も言えないまま、縁側から上がって、老婆が顔を覗か
せた部屋に入 った。

 部屋の中はふんわりと湯気で温かく、いい匂いがした。
 丸いちゃぶ台には既に朝食が 用意されている。南瓜の煮物に金平に
香の物。ご飯の炊ける匂いと、味噌汁の匂いもする。
 質素では あるが、それらは独り者を充分に満たされた気持ちにさせる
事が出来る物だった。
 「座れ」と味噌汁 とご飯を盆に載せて運んできた老婆が、ぶっきらぼう
に言った。
 僕は急に空腹になり、いそいそと その場に座った。よくよく考えてみれ
ば、僕は昨日の朝から何も食べていないのだった。
 「いただ きます」と言いながら、箸を持ち上げた時、ふと、ちゃぶ台に
僕の分しか用意されていない事に気がついた。
「お祖母さんは、召し上がらないのですか?」
 僕がそう訪ねると、老婆はこっくりと頷いた。
「わしらは後で食う」
 老婆のその言葉から、やはり、まだこの家には他にも誰かいる事が
解った。
 僕は先に頂くのが申し訳ないようにも思いながら、味噌汁に口をつけた。

 いつの間にか歌声は 聞こえなくなっていた。


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