桜守公園(2004.04)



ベニシダレ。花はこれから


今日は観桜会。
世話人の方々が、訪れる人達にお酒を売ったり、お茶とお菓子を振舞ったりしていて、
一雨来そうな曇天ながら、雨の代わりに桜の花弁が舞い、和やかなムードが漂っていた。

笹部新太郎と言う人をご存知だろうか?サトザクラ、山桜の育成に生涯を捧げた人である。

1960年、岐阜県御母衣ダム建設に伴い、水没の憂き目に遭う筈だった、当時樹齢450年の荘川桜の移植に成功し、世界の植林史上に置いて非常に高い評価を得た人だ。(桜は移植が難しい。)

笹部氏の邸宅跡を、市が公園として整備した場所がある。通称『桜守公園』。笹部新太郎と、桜を愛して止まない人達を描いた、水上勉の同名の小説から付けられたものだ。

広大な敷地ではないが、小川が流れ、氏が大切にしていた桜が、今も綺麗に手入れされて存在している。

そこへ花見へ行った。街中も桜はほぼ咲きそろい、鳥達が喜んで蜜を頂戴している。・・・山の手にあるその公園は、桜は老いも若きも花(蕾)を付け、シーズン最盛期を迎えていた。

色々な種類の桜があったが、中でもその美しさに息を呑んだのは、氏の名前を取ったササベザクラと言う桜だった。・・・花弁の中に更に花弁があり、茎に毛が生えている種だ。その微妙で淡いピンクのグラデーションは、透き通るような美しさで、見る者を惹きつけて止まない。触れると音を立てて壊れそうなのに、風が吹くと揺れるが、牡丹のようにばさっと花弁を散らしたりしない。優雅にはんなりと花弁を風に乗せるのだ。

私は足を止めて長い間眺めていた。
件の、岐阜で移植された荘川桜の子孫(恐らく取り木されたものと思われる。)も、ほぼ満開の花を付けていた。
どれほどの労苦をかけて、笹部氏や関係者の方々は、桜を移植したのだろう。私の想像力では、推し量ることも出来ない。小さく貧相な苗木が、見応えのあるものに出来上がるまでには、永い永い年月が要る。永い年月、ゆっくり成長し、育てた結果が、日本全国に存在する信じがたい大木だ。笹部氏は、ダムに沈む運命の桜をどうしても見過ごせなかったのだろう。

(因みに、笹部氏の功績は、先にも書きましたが水上勉の『櫻守』に描かれています。とてもいい作品なので、まだ読まれていない方は、一度お読みになる事をお勧めします。)

いつか、氏が移植した桜に会いに行きたい。樹齢2000年の山梨山高神代桜、大正に天然記念物の指定を受けた岐阜根尾谷の薄墨桜、・・・全国の名木をいつか巡りたい。

日本人は桜が好き。・・・そう、大好き。大切にしなければね。 (不思議だけど、ここへ来ると、一般的な『ソメイヨシノ』が物足りなく感じられます。笹部氏が好まなかったからでしょうか?)


園内風景


写真左上:ササベザクラ


写真左:エドヒガンから出来た園芸種、イトザクラ


写真下:オオヤマザクラにオオシマザクラの血が入った品種。オカモトザクラ



行った日:04/02/2004