アイルランドの街の看板
アイルランドの街の看板

3日目

お姉ちゃんの大好きなアイルランド

Baker Streetへ

天候曇。早目に目を覚まし、身支度を整える。
今日は、いよいよ念願のアイルランドへ向かう。
朝のウエザー・リポートでは、天候不順と霧の発生を伝えていて、一抹の不安・・・。
7時を待ってホテルのラウンジで朝食。
バイキングのメニューは昨日の朝と変わりなく、目玉焼きが丁度切れていて少し残念。
イギリスの平均的朝御飯に、サラダと言うものは無いのであろうか?
日本のものより小ぶりのトマトがぶつぎりにされてお皿に盛られているだけ。
青い野菜が欲しい。
今日は大きなハムの薄切りと、フランクフルト、ちょっぴりしょっぱいベーコンに マッシュルームのソテーを取り分け、トマト風味の煮豆をかけて。
ドリンクはグレープフルーツと、コーヒー。
イギリスに来て何故紅茶を飲まないのか?
眼が覚めるようにとの半分おまじないのようなもの。
私にとって、紅茶はムードのある飲み物、気付けには熱いコーヒー。
今日は気合いを入れていこう!

部屋を片づけ、枕銭を置いて出発。8:00。
地上線(British Rail)に乗って、ゆっくり風景でも、等と思っていたのが甘かった。
まず駅(Chairing cross station )へ着くと、切符を買うべく、路線図を見たが、お目当ての駅への接続が良く分からない。
地下鉄の路線図は、至る所に載っているし、日本のガイドブックにも載っているのに、何故かBritish Railは詳しいものが無い。
駅の案内に居た小父さんに聞くと、それは地下鉄に乗れと言う。
しかし悲しいかな、小父さんの説明は半分も判らず、急ぎ足で職場へ向かう人の波は無情で、ぶつかって睨みをきかされてほうほうの体で地下鉄へ向かった。
Jubilee LineにてBaker Streetへ。(此所がシャーロック・ホームズ縁の地である事は知っていたが、この時はそんな余裕はない。
後で落着いてみると、言わずと知れたホームズの横顔のシルエットが、ホームの壁に描かれていた。)
それからHammersmith & City LineにてPaddington Stationへ。
ここから(British Rail) Heathrow Expressに乗り込んで、空港へ一直線。(FAMOUS FOR 15 MINUTE)のHeathrow Expressだね。
運賃は一寸高かったけど(一人当たり10ポンド エコノミー車? *98年9月現在)、時は金なり、を実感した15分だった。
シートも綺麗で、車内も清潔、随所にテレビがあり、ニュースを流していて、なかなかハイソな気分だったから、文句無し。

飛行機
ブリティッシュミッドランド航空

空港も飛行機も(^^;)

さて、やっと到着したヒースロー空港。
ブリティッシュ・ミッドランドのカウンターで搭乗手続きを取る。
これが一苦労。カウンターの女性はネイティブのイングリッシュ・スピーカーで 無いのか、最初全く聞き取れない。勿論日本語など論外だ。
ゆっくり話してもらっても駄目。
先方が何を言わんとしているのか‘予測‘も出来ないから、何度も話してもらって、・・やっと、搭乗時間には早すぎるから、フライトを早くするか、と尋ねている 事に気が付いた。
予定通りを何とか伝え、荷物はそれだけか、機内へ持ち込むのか、のやり取りを終えて、BOOTSの前までよろりらとやって来た私達は、少し疲労していた。

後は、乗るだけ。 免税店でアイルランドの本を二冊ほど買い込み、機内で食べようと、サンドイッチとジュースを買って、私達は気を取り直した。
アイルランドに着いたら、分刻みで行動し、予定をクリアしなければならない。

・・・ところが。

やっと乗り込んだ飛行機が、待てど暮らせど離陸しない。10:50 のフライトがただでさえ遅れ気味だというのに、滑走路をゴロゴロ 走って、エンジンをふかしているらしい気配もするが、全然動かな いのだ。
やがて機内アナウンスが流れる。
早口で良く分からない。
ま、良くある事なんだろうとガイドブックに目を落とした。
30分、1時間、1時間半・・・機内アナウンスが何度か響く。
隣の人に聞けば、霧が出ていて離陸できないのだそうだ。
私達は少し苛々し始め、周囲の乗客達はため息を吐き、騒がしくなってきた。
再びアナウンスがかかり、乗客が嘆息を漏らした。
離陸のめどがたたないと言う。
飛行機から一端降ろされると聞いて、私達はアイルランド行きを断念しようかと考える。
何時フライト出来るかも判らず、一日を浪費するなら、ロンドン市内で観るところがあると思ったのだ。
でも、キャンセル手続きってどうしたらいいんだろう・・。
いよいよ降ろされる時、隣の人が別の飛行機に乗るのだと教えてくれた。 え、そうなの?
タラップを降り、バスに乗せられて、違う飛行機まで連れて行か れる。
全く同じ席順で座り、シートベルトを締めて・・あ、あれ? もう出発?  ・・・時は1:20過ぎ。
おおよそ2時間と30分の遅れで私達はアイルランドへ向かった。
結局、何が遅滞の理由だったのか。
霧は言うほど酷くなさそうだったし、飛行機を変えて直ぐに出発できたところを見ると、飛行機に問題があったのではないだろうか?
この時ほど、英語の分からない我が身を口惜しく思った事はない。
でも、お隣の多分アイルランド人の若夫婦、私が早口の機内アナウンスが解らないと言うと、親切に状況を説明してくれた。
感謝、感謝である。

ヤット降りたあ!と勇んで、入国審査のゲートをくぐろうとした私達は無情にも制止される。
何でぇ?みんなすいすい通ってる。
・・??ナニ? EU? そう、ここアイルランドは、EU加盟国。
そうでない国々は別ゲートから。
じっくり審査官に眺め回されるって訳。
スゴスゴ戻ると、NOT EUのゲートは長蛇の列。
別の飛行機が到着したらしい。
ここで又、20分ばかりタイムロス。
審査官は鷹揚に(アイルランド滞在は)一日だけか? 明日帰るのか? おー、いえーす!だから早く通せっての! 私、もう苛々。
私達には時間がないんだっ!!

空港バス
ダブリン行き空港バス

James Conorry

さて、何が何だか解らない。 異国とは此れほど心細いものかと実感したのは、空港からのバスを中央バスステーションで降りた時。
手には「地球の歩き方」。
一応、地図もあるのに・・。
方向がまるで解らない。
道の端で地図を眺め、通り掛かりのショップに飛び込んで地図を買い、支払ついでに藁にもすがる思いで「ここはどこ?」。
現地の人は地図なんか見ないのだろう、暫く眺めた後に示してくれたポイントは、行きたい方角とはまるっきり逆方向だった。
とにかく双六で言えば、‘振り出しに戻る‘。
心細さを隠し、すでに日は傾いているという、計算外の事態に焦りを隠せないまま、私達はてくてく歩く。
信号がやかましい。
日本で言うところの盲人用信号だろうか、赤から青に変わるや否や、ひどい警 報音(私はそう思った)が響く。
カスタムハウス(税関)の建物が判った。
それを足がかりに歩き、大通りを外れない様、(でも車の往来が、想像をはるかに超えて多かったのには閉口。)それでも、あっちかな?いや、こっちかな?形式でうろうろしていた東洋人は、現地の人には、さぞ奇異に映った事であろう。

それでもJames Conorryの像を見つけ、写真も撮り、機嫌が回復? した頃、アイルランドで最も古く由緒ある、トリニティカレッジ(Trinity College)に到着。
英国のエリザベス一世によって建てられたプロテスタント系の大学である。
ここには8世紀に書かれた福音書の写本がある事でも有名。
古いアイリッシュハープも見たかったが、何しろ時間が無い。
先にインフォメーションを見つけなければ。
この時はまだ、自分の立てた計画に少しでも沿っていくつもりだった。
けど、新しく来た土地でそうきびきび歩けるはずが無い。
少なくとも私は、銅像を見つけては誰だと近寄り、石像を見てはカメラを構えてしまう有り様で、ちっとも先へ進まないのだ。

程なくインフォメーションに着いたものの、その時に私は郊外へのツアーを断念した。
このままではダブリン市内すら回れはしない。
何がアイルランドか、一日で理解できる訳が無いのだから、ならば、自分の足で心行くまで歩きまわった方がいい、そう思ったのだ。
時はすでに4:30分。 先に今晩のお宿を見つけておいた方が得策か。
アイルランドの風景を撮った写真集を買い、数冊のパンフレットを抱えて私達は再び賑やかな町へ出た。
インフォメーションは尖塔を持つ、石造りの少なくとも外見は教会であるかのような雰囲気の建物であった。

町は賑やかだ。 <愛蘭土のやうないなかに・・・>と言うからには、町の中心とはいえ、それ程ごみごみしてないだろう、とぼんやりしたイメージを粉砕されてしまった。
そう広くない道路にも引っ切り無しに車が通る。
幹線道路か何かなのか、広い4車線の道路などにも驚いてしまった。
ところが、アイルランド人(イギリス人もだったが)という民族は、交通ルールを何と思っているのか? 歩行者は、星の数ほどもある信号を守ろうとはしないのだ。
まさに‘「隙あらば」渡ってやれ’的な歩行者の横暴ぶりには、呆れるほどであった。
言い換えれば、車の間を擦り抜けて行く姿はカッコ良くもあったのだが、それにつられると、トロイ私などは何度轢かれるか知れない。
隣りを歩くダンナさんは寿命が1分ぐらい縮まったか、何度も叫び、私を歩道へ引き戻し、怒っていた。

教会

スイートでなくても

さて、トリニティ・カレッジを目印にして、地図を辿り、ようやく土地感覚が掴めてきた。
テンプルバー・ストリートの標識を見つけ、路地を折れて十数メートル程入ったところにホテルはあった。
路地に直接面していて、間口も広くないが、外から見た分には、小奇麗でさっぱりしている。
これは期待高し。早速入る。
チェックインはすんなり済んだ。
今回は3階。日本では4階、か。
 入るとう、わあー!! 綺麗なんだ!!これが。
イギリスのホテルで辟易していた私達にとっては、スイートでなくてもそれ並みの嬉しさがあった。
ベッドリネンの綺麗な事! イギリスの煙草の焼け焦げがあるそれとは、大違いだ。
そうそう、こんなロマンチックな部屋に憧れていたんだ!!
‘93に建てられたホテルは当然だが、新しく、掃除も手が行き届いていた。
ひとしきり喜び、写真を撮った後、私達は町を散策しようと外へ出た。

きれいな部屋 テンプルバーは若者の情報発信源だと言う。
まだ、日が落ちる前だが、あちこちでギネス・ビールの電飾が光る。
通りは石畳で、お洒落なカフェやレストラン、土産物屋が並ぶ。
リフィ川に夕闇が落ちてくる頃、持っていたカメラがいう事を聞かな くなった。
見れば電池が切れかかっていると言う。
それはない! 旅行の前に買ったばかりのカメラ、フィルム14本分は撮れる電池が 入っているんじゃなかったのかっ!!
されど現実とはいつも予測不可能。
Canonに悪態の限りをつきながら、予備の使い捨てカメラを買った。
当然コダックで、値段も9ポンド(プラス端数)した。
1ポンド250円で、等と考えるとむらむらと怒りが込み上げてきた。

教訓:メーカーのいう事はまるきりアテにならない。 旅行の際は、予備の電池をカナラズ持っていく事。

オコンネルの像
オコンネルの像

やれやれ夕食

そうこうするうちにクライスト・チャーチ大聖堂迄来る。 ここは、ダブリンやグレンダロッホ地区の主教会。
1038年にデーン人によって 建てられたという。
既に閉館時刻を過ぎており、ひとけの無い聖堂は、威風堂々としてはいたが、 寂しいものを感じる。 庭園はシンプルながら手入れのされた、綺麗なものだ。
夕焼けの残照と一緒に写真を撮り、ひとしきり眺めていたらお腹が空いてきた。
それにしても、カレッジ・ストリートからディム通りへと、一際車が多い。
辺りも暗くなってきた。
さて、何処かで御飯にしましょうか。

夕食はキャッスル・アンド・エレファントで。
どうもこの名前には縁があるようだ。(戦争博物館への最寄駅もこの名前だった)
ナカナカ美味しいサーモンとチーズのサンドウィッチに、オムレツで二人ともお腹一杯になった。

可愛いウエイトレスさんは、瞳を覗きこむようにして、こちらの言う事を聞いてくれたし、お隣の紳士は山盛りのチップスを、陽気にもりもり食べながらおしゃべりを楽しんでいる。 陽気なカントリー風の音楽で、気分も良い。 アイルランドに来ている事を、実感しながら、酢漬けのキャベツと思しき物をつつく。 これ又、日本には無い味! 食事を済ませ、まあまあ、スマートに会計を済ませて外へ出た。
疲れていたから、アルコールは遠慮したが、本場アイルランドでギネスを飲めないのは、ちょっぴり淋しい気がしなくも無かった。

その日はもう、直に眠りに落ちた。
お腹も一杯で、何より無事に屋根のあるところで(しかも綺麗なホテル)眠れる事を誰にとも無く、感謝したくなった。

トリニティカレッジ
トリニティカレッジ