■北の里山Report■
No.1----02/04/28
ある里山の使い方
孫田  敏

里山というと、薪炭林や落ち葉をかき集めての腐葉土というあたりを思い浮かべませんか。今日は、ちょっとイメージの違う里山の使い方を紹介します。

散骨ということばを聞いたことがあるでしょうか。死んだあと骨を山や海に撒いてしまうような葬送の仕方です。これから紹介する里山の使い方は、葬送と関係があります。「ふぇみん」という新聞(2002/03/15,第2653号)からエンディングセンター清水玲子さんの記事を紹介します。

里山が生活と密着した場であるとすると、ここでは様々なつきあい方が生まれるのでしょう。いろいろ考えてみたいものです。

木々の間でねむる

清水玲子

 いつもは静かな東北の駅に、にわかに続々と人が降り立ち、駅前のバスに吸い込まれて行く。行き先は「樹木葬墓地」。

 その日は年に一度の「樹木部墓地」での合同供養の日だ。「樹木葬」とは遺骨を直接土に埋め、墓石などの人工物を一切建てず自然に還す葬法である。埋めた所に目印として樹本を植える。墓地として許可された区域に埋めるという点が、遺骨を海や山に撒く「散骨」と異なっている。

 90年頃から地域の環境保護に取り組んでいた岩手県一関市・祥雲寺の千坂住職は、里山の荒廃を止めるのに必要な資金を樹木葬墓地から得ることを考えついたという。

 一方、墓を持たない人、継承者のいない人やエコロジー運動の一環として自然に還ることを希望する人たちが、自分たちにふさわしい葬法を模索し始めたのも90年代てあった。この樹木葬はそれらの人たちの二ーズにぴたりと合い、申し込み者は全国にわたっている。

 目印として植えられた樹々は、やがて林となる。林は墓地購入の際納められた環境管理費で手入れされ、継承者がいなくても遺骨は自然に還って守られる。自分が自然に還るだけでなく、後の世代によい環境を残す手助けもできるのだ。

 里山の斜面にある墓地は他の雑木林と見分けがつかないが、よく見ると購入者が決めた埋骨場所から赤い杭が頭をのぞかせている。低木が植えられている所はすでに埋骨された場所なのだろう。自然ではあるが適度に手入れされているのがよくわかる。間伐材は炭窯で木炭になり川の浄化にー役貿う。樹木葬は地域づくりに見事に組み込まれているのだ。

 合同供養では読経の後に賛美歌も歌われた。ここでは信教の自由も尊重される。継承者がいなくとも寺や自然を愛する人々が供養してくれる。購入者同士「お隣ですね、よろしくと挨拶しあう光景が微笑ましい。遠方からの参加者が多いので、この近くの温泉に泊まって登山や山野草観察をしながら交流を深めるメニューもある。近くに契約者のためのログハウスができ、炭焼き、散策なども楽しめる。ここは契約者の第二の故郷になるだろう。

 訪問者の高齢化を予測して墓地のバリアフリー化も進められている。しかし事情があって遺骨をここまで運べない人、遺族のいない人も当然でてくる。その時は市民団体「エンディングセンター」がサポートすることになっている。

*エンディングセンター
03-3329-0208

(この記事は、「ふぇみん」およびエンディングセンターの了解を得て引用しています。
なお「ふぇみん」のURLは、http://www.jca.ax.apc.org/femin/index.htmlです。)