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試写状 スペース カウボーイ

SPACE COWBOYS

2000年アメリカ 監督クリント・イーストウッド 脚本ケン・カウフマン/ハワード・クラウスナー 撮影ジャック・N・グリーン 出演クリント・イーストウッド/トミー・リー・ジョーンズ/ドナルド・サザーランド/ジェームズ・ガーナー ●130分 ワーナー・ブラザース映画配給
2000年10月中旬より丸の内ピカデリー1ほか松竹・東急洋画系にて公開予定

●オフィシャル・サイト●http://www.warnerbros.co.jp
(c)2000 Warner Bros. all rights reserved

ソ連の旧型人工衛星の修理のため、宇宙へ旅だったオールドマン4人組の活躍を描く、イーストウッド22本目の監督作。

1958年、空軍より抜きのテスト・パイロットで構成されたチーム・ダイダロスは、アメリカ初の宇宙飛行士となるはずだった。しかし、ロケットの打ち上げ直前に計画がNASAに移行し、ダイダロスの4人はチンパンジーに名誉を奪われてしまう。40年後、いまは引退生活を送る元ダイダロスのフランク(フランク)のもとに、NASAの使者がやってくる。ソ連の旧型人工衛星がシステム故障で墜落の危機にあり、修理ができるのは、同じ型の人工衛星を設計したフランクしかいないというのだ。その任務を承諾する代わりに、フランクは条件を出す。それは、かつてのチーム・ダイダロスで宇宙へ行くこと。かくして召集されたホーク(ジョーンズ)、タンク(ガーナー)、ジェリー(サザーランド)は、40年ぶりの夢の実現に向けて邁進する。

頭からシッポまでイーストウッド印の映画
★★★
(2000/08/22 ワーナー・ブラザース映画試写室)

考えてみれば、宇宙ほど西部劇にふさわしい舞台はないんだよね。映画の巻頭を飾る1958年、宇宙は男たちの開拓魂をかきたてる広大なフロンティアだった。そして、40数年たったいまも、そこはフロンティアの姿を保ち続けている。だからこそ、この物語も成立するのだ。1958年、未知の宇宙にフロンティア・スピリットを燃やした男たちが、40年の時を経てロマンを達成させる! これぞ、カウボーイの復活と呼ばずして何と呼ぼう!! と、ビックリマークが2個もついちゃうこの映画は、「最後の西部劇作家」と呼ばれるイーストウッドの面目躍如たる純正ウェスタンだ。

宇宙行きの夢を実現させるのは、イーストウッド演じるリーダーのフランクを含めて4人。フランクは、沈着冷静かつマニュアルどおりのやり方を好むA型タイプのパイロット。現役を引退したあとは設計者に転じ、初期の人工衛星の制作に関わってきた。その彼と好対照をなすのが、トミー・リー演じるホーク。空軍時代はより高く、より速く飛ぶことに情熱を注ぎ、いまは観光用の小型機に客を乗せて曲芸飛行を演じている彼。操縦も人生も、カンを頼りにする自己流のやり方を貫いてきたB型人間の彼は、フランクとはつねに好敵手の関係にある。そんなふたりの緩衝材的な役割を果たすのが、軍を引退後、牧師に転身したナビゲーターのタンク(O型タイプ)。もうひとりのジェリーは、ジェトコースターの設計者に転じた腕利きのエンジニア。若かりしころ、マリリン・モンローのピクトリアルにヨダレをたらしていた彼は、いまもレディ・キラーぶりを発揮するマイペースなAB型オヤジだ。

この4人が、現役飛行士と同じ体力&知力の持ち主であることを証明するために、老体に鞭打って訓練に挑戦する場面は、『アルマゲドン』のオイルマンたちの訓練シーンと同様、多分に類型的なノリ。なんだけど、若者チームとはりあって、バーベル上げやランニングに精出すオヤジたちには、『フル・モンティ』の男性ストリッパー軍団に通じる愛嬌が感じられる。そう、ひとことで言えばチャーミングなんだよね。

かくなる訓練シーンのなかで、ドラマの中核をなすのは、フランクとホークの意地のはりあいのエピソード。重力耐久テストのマシーンに乗り込んだふたりは、「どっちが先に失神するか?」を賭けて猛スピードでマシーンをまわしたり、酒場のウェイトレスを相手に魅力の競いあいを演じて、それが殴り合いの喧嘩にまで発展する。フライト・シミュレーターによる着陸訓練でペアを組んだときも、ふたりはまるで意見が合わない。それでいて、彼らのあいだには、強い仲間意識と信頼の絆、たがいの腕前に一目置き合う気持がきちんと存在している。『大いなる西部』のグレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンの血を引く男ふたりの関係。それが、ここでは涙チョチョ切れる西部劇の味を醸し出しているわけだ(実際、宇宙シーンのSFXよりも殴りあい場面のほうに、イーストウッドが演出の力を注いでいるのは明らかだ)。

そうこうしているうちに、ホークが末期ガンに侵されていることが発覚する。「オレ抜きで行け」と言うホーク、リーダーとして苦渋の選択を迫られるフランク。だが彼は、どこまでも「チーム全員で行く」ことにこだわって(キャトル・ドライブの心意気だ!)、狡猾なNASAの高官(ジェームズ・クロムウェル)相手に取り引きに打って出る。「お前に同情したんじゃない、お前が必要だから連れて行く」という志を掲げながら、ライバルの最後の夢の実現に一肌脱ぐフランクの男気。それを受けたホークが、シャトルで宇宙に飛び出したあと、「40年待った甲斐があった。借りができたな」と、フランクに礼を言う場面なんぞは、もうウルウルもんだ。

そんな彼らの、友情をバックボーンにした好敵手の関係、そして、ホークが空軍時代から抱き続けてきた月にはせる夢が、宇宙で思わぬアクシデントと遭遇する後半のドラマを大きくふくらませていく。

これは書くと問題あるかもしれないと思いつつ書いちゃうが、宇宙で起きたアクシデントを解決するために、ホークは地球へ戻ることを断念するという自己犠牲の行動に出る。これを見て、「『アルマゲドン』のブルース・ウィリスと同じじゃん」と、たわけたことをぬかす人間がいたが、そうじゃない。宇宙に残ることを決めたホークが果たそうとするのは、ただ単に地球を救うヒーローになることではなく、人生最後の大舞台で、月へ飛んで行く自らのロマンを達成させることなのだ。そんな彼の偉大さを胸に刻み付けながら、ホーク流のやり方でシャトルを着陸に導くフランク。帰還後、月を見上げる彼と、地球を見下ろすホークのあいだには、空間も時間も死さえも乗り越えて「やったな」の思いが通い合う。そこにかぶるのは、ホークのテーマ曲ともいうべき「フライ・ミー・トゥ・ザー・ムーン」のメロディだ。見ているこっちも、思わず「やったな」と叫びたくなる爽快な感動が、このラストシーンでドッと湧きあがってくる。

SF映画をゲーム感覚で楽しみたいいまどきのお子たちにとって、この映画は退屈の部類に属するかもしれない。山場を山場らしく作らないダラダラしたイーストウッドの演出スタイルは、実は私も苦手とするところなのだ。が、『ライト・スタッフ』のチャック・イェーガーの弟分にあたる「カウボーイの生き残り」たちが、気骨たっぷりにロマンを花開かせる姿には、エキサイティングな思いをかきたてられずにはいられない。視覚的なこけおどしじゃなく、スピリットを通じて血湧き肉躍る興奮を味わわせてくれる。これは、そんな映画だ。

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試写状 パパってなに?

BOP

1997年ロシア=フランス 監督・脚本パーヴェル・チュフライ 撮影ウラジミール・クリモフ 出演ウラジミール・マシコフ/エカテリーナ・ドレニコワ/ミーシャ・フィリプチュク ●97分 コムストック配給
2000年10月中旬よりシネマスクエアとうきゅうにて公開予定

●オフィシャル・サイト● http://www.comstock.co.jp
(c)1997 NTV-Profit Ltd. all rights reserved

泥棒稼業に母と自分を巻き込んだ男に、愛憎半ばする思いを抱く6歳のサーニャ。アカデミー外国語映画賞候補になったロシア映画の佳作。

1952年、若く美しい未亡人カーチャ(ドレニコワ)は、6歳の息子サーニャ(フィリプチュク)を連れ、あてもなく列車に乗った。そこで出会ったのは、たくましい軍人のトーリャ(マシコフ)。たちまち彼と恋におちたカーチャは、小さな田舎町で列車を降りた。トーリャが軍人であることから、すぐに共同住宅が借りられ、3人は家族のように暮らし始める。しかし、トーリャの正体は軍人ではなく泥棒だったのだ。彼が共同住宅の住人たちの家財道具をあさっている現場をみつけ、ショックを受けるカーチャ。だが、もはや彼と別れることはできない。以来、3人は町を転々とする生活を続けるが、ついにトーリャが警察に捕まる日がやって来る……。

生涯、父親を持つことがなかった少年の物語
★★★
(2000/07/04 徳間ホール)

生まれる前に戦争で父を亡くしたサーニャは、母カーチャに連れられてあてもなく各地を転々としている6歳の少年。父の姿を夢想し、幻影を追い求める彼にとって、母の愛人となったトーリャは、生まれて初めて知る「生身の男」だった。

このトーリャは、胸にスターリン、背中に虎の刺青を入れている。それは、軍人を装って泥棒稼業を続けるトーリャにとっては商売道具のひとつでもあるんだけど、幼いサーシャの目には、まるで男性のシンボルのように映る。権力、強さ、たくましさ、脅威、セックス・アピール。刺青が物語るのは、幻影に浮かぶ父親からは感じられないものばかり。それにサーニャは恐怖と憧れが入り混じった気持を抱き、さらに、マッチョぶりで母を翻弄するトーリャにかすかな嫉妬をつのらせるのだ。

そんなサーニャが、警察につかまって刑務所へ護送されるトーリャに、初めて「パパ」と呼びかける場面が切ない。といっても、それはメロドラマ的な切なさにあらず。トーリャが自分たちのもとから去っていく局面になって初めて、彼がパパであったことに気づくサーニャの思いが、切ないのだ。

つまり、この少年は、現実の生活のなかで、父親の存在を実感する機会がついぞなかったということ。そして、それは、母カーチャの死によって永遠に失われてしまう。

物語は、このあと、サーニャがトーリャと再会する6年後のエピソードに続いていく。トーリャが、母のことを「列車で一発やっただけの女」と語るのを聞いてショックを受けるサーニャ。亡き父の幻影が消えたあと、トーリャの幻を追い求めて生きてきたサーニャの幻想は、このとき無残に破壊される。あとに残ったのは、トーリャをマネて入れた虎の刺青のみ。

通過儀礼と呼ぶにはあまりにも苛酷すぎる結末は、個人的な好みから外れているものの(生涯「幻の父」しか持てなかったサーニャが自ら父となる姿を描き、そこに一筋の救いの光を感じさせてほしかった)、メインの登場人物3人の「こうしか生きられない」姿を残像として焼きつかせるチュフライ監督の演出は、十分に力強いと思った。

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試写状 フィオナが恋していた頃

THIS IS MY FATHER

1998年アメリカ 監督・脚本ポール・クイン 撮影デクラン・クイン 出演アイダン・クイン/ジェームズ・カーン/スティーブン・レイ/モイヤ・ファレリー ●121分 日本ヘラルド映画配給
2000年10月上旬よりシャンテ・シネにて公開予定


(C)1998 Filmline International (Father) Inc./Hummingbird Communications,Ltd. all rights reserved

ポール、アイダン、デクランのクイン3兄弟が、アイルランド移民の母親から伝え聞いた悲恋物語を映画化。閉鎖的な宗教社会に阻まれた恋人たちの物語を、瞼の父を求めてアイルランドに渡った息子の視点から描く。

キアレン・ジョンソン(カーン)は、シカゴに住む高校教師。妹とその息子ジャックの住む家に寝たきりの母フィオナを訪ねた彼は、偶然、屋根裏部屋で母の古い写真を発見する。その写真に母と一緒に写っていたのは、キアレンと同じ名前の男だった。これが自分の父親なのか? 真相を知りたくなったキアレンは、ジャックを連れてフィオナの故郷アイルランドに渡る。そこで彼が知ったのは、16歳のフィオナ(ファレリー)と、純朴な農夫キアレン(クィン)をめぐる悲しい恋の物語だった。

父の苦しみが息子によって報われるラストに、涙
★★☆
(2000/08/21 日本ヘラルド映画試写室)

映画全体の主人公は、父親が何者かを知らずに育った孤独な中年教師(ジェームズ・カーン)。彼は、ルーツ探しに出かけたアイルランドの村で、若き日の父キアレンと母フィオナの悲恋物語を知ることになる。その悲恋物語が、カーンの宿泊するB&Bの老婆だけを語り手にすすめられる点から、劇全体の構成が平板になっちゃってる印象は否めないものの、良心作と呼べるクオリティは感じさせる作品になっています。

純朴で働き者の農夫キアレンと、アメリカに渡ることを夢見る16歳のお嬢さまフィオナ。彼らの恋の障害になるのは、「信仰と呪い」が生活の根本にある村の因習。自由恋愛の許されない世界で情熱のままに愛し合おうとしたふたりは、けっきょく村のなかで居場所をなくし、キアレンは死、フィオナは彼の子を身ごもったまま村を去る道を選びます。それは、状況のもたらした悲劇と言えるものだけど、私には、彼らが恋に落ちてしまったこと自体がそもそもの悲劇の始まりであるように感じられました。

キアレンは、土地にドッシリ根を下ろして生きる土着の人。かたやフィオナは、新世界に旅立つことを夢見る冒険者。彼女は「去る者」の宿命を負い、キアレンは「残る者」の宿命を負っている。そんな彼が、フィオナと出会い、恋に落ち、駆け落ちして「去る者」になろうとしたところに、そもそもこの悲劇の根っこがあるんじゃないか、と。そんなふうに感じたわけです。

キアレンがフィオナと結ばれたいと願うことは、神の定めた運命に逆らって生きることを意味します。これが、信仰心の厚いキアレンの心に大きな葛藤を生む。加えて、キアレンのフィオナに寄せる思いは、孤児の彼を引き取って育ててくれた里親に対して不義理を働くことにつながってしまう。そのプレッシャーのなかで、「去る者」になりきれなかったキアレンには、死ぬことしか残された道がなかった。となるところが、この物語の悲しさのツボであります。

そんな彼の苦しみぬいた気持ちが、カーン演じる息子に伝えられ、「父さん、さぞやつらかっただろうな」と報われる点が、映画の感動のポイント。「生きていればきっといい父親になった。ぼくと気が合った」と墓に向かって語りかけるカーンと、無念な思いを抱えたまま死んでいったキアレンのあいだに、心の通い合いが生じたかのような感じを抱かせるところが、この映画のなかで私がいちばん気に入った点(父親の違う妹以外に家族を持たないカーン自身、「父親になりそこなった男」だという設定もきいている)。

劇の中盤には、自由のシンボルのような形で、ジョン・キューザック演じるアメリカ人のパイロットも登場。彼の存在を通して、恋愛も信仰も自由なアメリカの偉大さをたたえる視点を打ち出したところには、アイルランド移民の子孫たるクイン兄弟の、先祖を誇りに思う気持ちがうかがえる感じ。

と、全体的には好感の持てる映画ではありますが、ディテール面に物足りなさを感じさせるのも事実。いちばん気になったのは、シンティロマの女(のちのB&Bの老婆)が予言したとおりの「呪い」の兆候に見舞われるフィオナの母親が、どういう末路をたどったかが描かれていないこと。彼女の運命にまつわるエピソードが宙ぶらりんのまま放置されているせいで、フィオナとキアレンの悲恋物語から神話的&伝説的な輝きが失われてしまったのは、惜しい気がしました。

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