@Theatre(MAY 2001 in NY) 1
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プレイビル ベルズ・アー・リンギング

Bells are Ringing

脚本&作詞ベティ・カムデン/アドルフ・グリーン 作曲ジュール・スタイン 演出ティナ・ランドー 出演フェイス・プリンス/マーク・カディッシュ/デヴィッド・ギャリソン/ベス・フラワー
PREVIEW:2001年3月13日 OPEN:2001年4月12日 @プリマス・シアター

ジュディ・ホリデイのために作られたミュージカル(1956年初演)の再演。
ゴールデン・ハートを持つヒロインがプリンスにぴったり!
(2001/05/10)

舞台中央に設置されたTVモニターふうのスクリーンに、1950年代のモードを伝えるニュース映像が映し出される。その映像のなかの男性と、スクリーン内に浮かび上がった電話オペレーターのコーラス・ガールたちがからみあうオープニングのナンバー(「ベルズ・アー・リンギング」)から、演出はきわめて洗練されたムード。セットも、シンプルだけど考えぬいて作られているという印象を受けます。ひとことで言うと、センスがいい。

『42ndストリート』みたいなハデモノが好きな人にはおすすめしないけれど、私はこのステージ、おおいに気に入りました。

物語は、電話応答サービスのオペレーターをするエラ(プリンス)と、劇作家のモス(カディッシュ)の恋を中心に展開していきます。このエラは、『スウィート・チャリティ』のヒロインの系列に属するめっぽう気のいい女で、オペレーターの仕事をするときも、客の好みにあわせて声色を使いわけたりしている。たとえば、モスの電話の相手をするときは「ママ」になりきるという具合。

いっぽうのモスは、自己管理のできないプレイボーイ系列に属する男で、原稿の締め切りが迫っているのにパーティで浮かれている。その朝も、12時までにアウトラインを仕上げなければクビになるというのに、彼はすっかり酩酊状態。エラは、モーニング・コールに応答しないモスのことが心配になり、彼のアパートを訪ねて行く。

かくして出会ったふたりは、まんま恋するモードに突入。でも、エラが素性を偽ったため、モスは彼女が「ママ」だとは気づかない。かたやエラも、ホントの自分が愛されないことに悩みまくることになる。とはいっても、そこは古き良きブロードウェイ・ミュージカル。最後は、エラ=ママと気づいたモスがオペレーター事務所に現れて、お約束のハッピー・エンドを迎えることとなります。

という筋書きのなかで、私がいちばん気に入ったシーンは、エラが初めてモスのアパートを訪ねるところ。かねてから憧れを抱いていたモスが、想像していたよりもいい男だったと喜ぶエラ。その心の声を歌にしたナンバー「ベター・ザン・ア・ドリーム」にのせて、エラ&モスのあいだに生じるケミストリーが語られていくというのは、ミュージカルにしかできないワザ。ホントに何気ないシーンなのだけど、現実とイマジネーションの交錯具合の見事さ、それを軽快に演じるフェイス・プリンスのウマさに、私はしばし陶酔の気分を味わわせてもらいました。

ホント、このショウのプリンスは最高にカワイイ。私はオリジナルのジュディ・ホリデーを知らないし、プリンスの舞台も『リトル・ミー』しか見ていないのだけど、「ちょっと年季の入ったハートのいい女」というエラの役は、まったくもってプリンスのハマリ役に思えました。今回の再演は、まぎれもなくフェイス・プリンス・ショウとして成立していると思います。

それにひきかえ、ちょいと残念だったのは、脇役の薄さ。とくに、エラのおかげで夢をかなえることになる作曲家志望の歯医者のキャラは、ショウ全体の名コメディ・リリーフになるべきものなのだけど、これがいまいち爆笑を誘わない。エラをつけまわす刑事のコンビも、もっと味のある役者を持ってきてほしかった。プリンス以外に、大拍手を呼ぶ役者のいない点が、やっぱしミュージカルとしては弱いところなんでしょうね。

ところで、私がこれを見た日は、劇場の外に要人のSPらしき男が数名立っており、なにやら物々しい雰囲気。ジャケットの下に拳銃のホルスターをのぞかせた彼らは、007のように時計のマイクを使って無線交信しておるのです。いったい誰の警備じゃ!? と思っていたら、モナコのプリンス(=グレース・ケリーの息子)が来てたんだとか。彼らの一行は、オーケストラ・センターの前から3列を買い占めてのご鑑賞だったそうであります。

トニー賞ノミネート:作品賞リバイバル・ミュージカル部門、主演女優賞ミュージカル部門(F・プリンス)

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プレイビル ストーンズ・イン・ヒズ・ポケット

Stones in His Pockets

作マリー・ジョーンズ 演出イアン・マクエルヘイニー 出演ショーン・カンピオン/コンレス・ヒル
PREVIEW:2001年3月23日 OPEN:2001年4月1日 @ゴールデン・シアター

オリヴィエ賞の最優秀コメディ賞を受賞した新作プレイ。主演の2人が、15人の登場人物を演じ分ける。
2幕目のリバー・ダンスが圧巻
(2001/05/11)

ふたりの役者が15のキャラクターを演じ分ける、というのは、オフで上演中の『フリー・コミッティッド』や、リリー・トムリンのひとり芝居『サーチ・フォー・サインズ〜』に似た趣向。前者を大いに楽しみ、後者は英語がわからず挫折したYAZAKIとしては、「今度はどっちだ?」という気構えでのぞんだのでありますが、ネタが映画のメイキングってことも手伝って、つつがなく楽しむことができました。ま、アイルランド訛りの英語は、よくわかんないところも多かったのですが。

舞台の設定は、アイルランドの小さな村。そこに、ハリウッドから映画の撮影隊がやってきて、地元の人間がエキストラに雇われる。そのなかのふたり、チャーリー(ヒル)とジェイク(カンピオン)が、いちおうの劇の主人公。彼らの目を通して描かれる撮影現場の人間模様には、イギリス人の監督、彼の女性アシスタント、アイルランド訛りのしゃべれないハリウッド女優、彼女のボディガード、『静かなる男』に出演した経験を持つエキストラのじいさま、ドラッグで命を落とすジェイクの甥などが登場。これを、ヒル&カンピオンが、一瞬にして別人になりきるワザを駆使して演じきっています。

ひじょうにうまく作られていると感心したのは、誰の「見た目」で物事を表現するかという視点の切り替え方。たとえば、「撮影風景」は、カメラの向こう側で行われる「アクション」に対する監督&アシスタントの「リアクション」を通じて描かれ、これが見事に爆笑を誘うシーンになってます。

でもって、2幕目には、この劇のなかで初めて、カメラの前のアクションが舞台上でも繰り広げられるシーンが用意されているのですが、これがもう、ハイライト中のハイライト。リヴァー・ダンス1曲分を、役者ふたりが15のキャラクターで踊り分けていくという。これは見なくちゃわかんないおかしさだと思いますが、もし半額チケットで見るなら、この部分だけで十分にモトは取ったと思えるでしょう。

ただ、劇の内容は、映画のメイキングものとしては物足りない感じがするのも事実。というのも、ハリウッド人種をおちょくるというより、アイルランド人気質を物語っていくほうに、エピソードの重点が置かれているから。映画にたとえるなら、ロバート・アルトマン作品というより、クリストファー・ゲスト監督作のアイルランド版に近い感じ。ってな味わいの出し物だと最初から思っていけば、間違いなく楽しめるでしょう。

トニー賞ノミネート:主演男優賞プレイ部門(S・カンピオン、C・ヒル)、演出賞プレイ部門(I・マクエルヘイニー)

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ステージビル 生活の設計

Design for Living

作ノエル・カワード 演出ジョー・マンテロ 出演アラン・カミング/ジェニファー・イール/ドミニ・ウェスト/マリサ・ベレンソン
PREVIEW:2001年2月17日 OPEN:2001年3月15日 CLOSE:2001年5月13日 @アメリアン・エアラインズ・シアター

エルンスト・ルビッチ監督の映画版で知られるノエル・カワードの戯曲(1933年初演)の再演プレイ。
アラン・カミングのファッション・ショウ!?
(2001/05/12)

ルビッチ監督版の脚本を予習して挑んだ舞台でしたが、ノエル・カワードのプレイとは思えない品のなさにアゼン、ボーゼン。真っ赤なコートに白黒コンビのエナメル靴、はたまたファー付きの黒いコートにショッキング・ピンクのシャツ&ネクタイ+ゼブラ柄の靴で登場するアラン・カミングは、黒人のドラッグディーラーかポン引きかという風体(おまけに眉毛ピアスをしてる)。この奇のてらい方じゃ予定より4カ月早くクローズになるのも無理ないわなぁ、と思いました。さすがに会員制のラウンダバウト・シアター作品とあって、客の入りはよかったですけど。

主人公は、画家のオットー(カミング)、劇作家のレオ(ウェスト)、美術装飾家のギルダ(イール)の3人の男女。最初、ギルダはオットーとパリで同棲生活を送っていたが、訪ねてきたレオとベッドインしてしまい、オットーとはブレイクアップ。ロンドンでレオと暮らし始める。と、そこにオットーが訪ねてきて、今度は彼とギルダがベッドインしてしまう。で、どっちの男も好きなことに気づいたギルダは、アメリカに渡るという年配の画商と衝動結婚。残された男ふたりは、同類相憐れむの気持からおホモだちの仲になり、2年後、ギルダのNYの家を訪ねて行く。「もう一度ぼくらと暮らそう」と言うオットー&レオ。果たしてギルダの結論は?

と転がっていく話は、パーキーに演じられてこそカワード劇らしいイキさが出るってものだと思うのですが、今回のプロダクションは出演者3人&演出のテイストがバラバラで、ただただ散漫な舞台という印象が残るばかり。

イールは、ギルダの内面の葛藤を表現しようとやたらリアルな芝居をやりたがり、男ふたりにとっての「ミューズ」の魅力を失っちゃってる。先に紹介したファッション・ショウを繰り広げるカミングとも、まるで演技の波長が合わない。ので、このふたりのシーンには何のケミストリーも感じられず。唯一、「見られる」レベルに達しているのは、カミングがウェストと絡む2幕目の最初。捨てられた者同士の孤独をなぐさめあううち、キスまで発展していく男ふたりのコンビぶりは、「あんたら、もうギルダなんかいらないでしょ?」と、思えるほどインティメイト。ってわけで、そこから先は、ふたりのゲイ・カップルぶりを楽しませるがごときショウ・パブの世界に突入し、もはやノエル・カワードのノの字も見えなくなってしまうのです。

演出は、『ラヴ! ヴァラー! コンパッション!』のジョー・マンテロ。テレンス・マクナリー作品には有効かもしれないアラン・カミングのケツ出しも、この劇には無用の長物って感じでした。

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プレイビル ニュールンベルグ裁判

Judgment at Nuremberg

作アビー・マン 演出ジョン・ティルリンガー 出演マクシミリアン・シェル/ジョージ・グリザード/マイケル・ヘイデン/マルト・ケラー
PREVIEW:2001年2月15日 OPEN:2001年3月26日 CLOSE:2001年5月13日 @ロングエーカー・シアター

スタンリー・クレイマー監督の映画版でも知られるTVドラマの舞台化。映画版で被告弁護士を演じオスカーを受賞したマクシミリアン・シェルが、主人公の被告ヤニングスを演じる。
ブツ切れの構成がモロにTV
(2001/05/12)

白熱の法廷劇を期待して行ったら、「TVドラマの再現ドラマ」を見せられたんで驚いた。とにかく、シナリオの構成が「段取り」に終始してるんでやんすよ。一幕目では10数個のブツ切れのシーンをつなぎあわせて状況が説明され、ニ幕目では、ひとりだけ有罪を認める被告(シェル)、その弁護人(ヘイデン)、判事(グリザード)が大見得を切る見せ場が用意されているという。ただ単に「要素」を並べただけの芸のない劇の組み立てに、私はかなりビックリしました。

が、それより驚いたのは、主演のマクシミリアン・シェルが、一幕目でずーっと「貝」になっていたこと。一ヵ所、被告人仲間と会話を交わすシーンがあったけど、それ以外は、ノートにメモをとっているか、頭に指を押し当ててうつむいているかのどちらか。その彼が、ニ幕目でいきなり発言することで、客を驚かせようという作劇上の狙いがあったみたいなんだけど、それもここでは空振り気味。どこまでも先の読めちゃうパンチ不足の芝居に、私は眠気を誘われどおしでした。

演出としては、舞台の三面と床にタイル状にミラーになったモニターをちりばめ、そこに収容所で殺されたと思しきユダヤ人の顔写真を散りばめるという、大掛かりな装置が導入されている。つまり、モニターのユダヤ人が裁判の傍聴人になるような雰囲気が作りあげられているわけですね(と、私は思った)。

でも、そのモニターによって、劇全体のTVっぽさがますます強調される皮肉な結果を生んでいる。法廷モノといより、ホロコーストもののテイストを全面に打ち出したテーマの立て方も含め、この芝居には思いっきり肩透かしをくらっちまいました。

トニー賞ノミネート:助演男優賞プレイ部門(M・ヘイデン)、助演女優賞プレイ部門(M・ケラー)

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プレイビル カッコーの巣の上で

One Flew Over the Cuckoo's Nest

作デイル・ワッサーマン 演出テリー・キニー 出演ゲイリー・シニーズ/エイミー・モートン/ロス・リーマン/ティム・サンプソン
PREVIEW:2001年3月16日 OPEN:2001年4月8日 CLOSE:2001年6月17日 @ロイヤル・シアター

ジャック・ニコルソン主演の映画版で知られるケン・キジーの小説の舞台化。
コンパクトにまとまってるけどテーマの打ち出しは映画が上
(2001/05/13)

刑務所行きを逃れようとして精神病院に入ったマクマーフィは、陰険な婦長ラチェットの抑圧下にあった患者たちの心を解放に導いていくが、彼自身はロボトミーの手術を施されて廃人となり、その姿を哀れに思ったネイティブ・アメリカンの患者チーフの手であの世へ送られる。

と、一気にまくしたてたストーリーは、映画版とほぼ同じ。だけど、映画版の微妙なニュアンスがこぼれ落ちていることから、私にとっては、いささか大味に感じられた舞台でありました。

主人公のマクマーフィを演じるのは、ステッペンウルフ・シアターを率いるゲイリー・シニーズ。「オレがマクマーフィだぜ、よろしくな」と、患者たちに愛想をふりまくシニーズのマクマーフィは、のっけからかなりのハイ・テンション。思いっきりあけっぴろげな役作りは、映画版のジャック・ニコルソンと大分ノリが違います。ニコルソンが、自分の世界を押し広げるようにして患者たちの世界に入りこんでいったのに対し、シニーズは、他の患者たちをしょっぱなから自分のペースに巻きこんでいる。

そういう役作りによって、医者すらもマクマーフィのペースに巻きこまれしまうセラピーのシーンなどが、おおいに笑えるものになってるのは事実ですが、個々の患者とマクマーフィの心の触れ合いが、映画ほどには立ってこない。ってところが、映画を先に見ちゃってる私には、いささか物足りなく思えました。

映画とこの舞台のもうひとつの大きな違いは、チーフのキャラの扱い。舞台版のチーフは、ラチェット看護婦よりも大きなキャラとして扱われ、冒頭とシーンの変わり目では、舞台にひとり残る彼の心の声がナレーションになって流れるという演出の工夫がほどこされています。つまり、彼の葛藤が、抑圧されたすべての者の心を代弁するような形。

だがいかんせん、演じるティム・サンプソンがゾンビみたいなんですよ。キャラクターも自己憐憫と臆病の塊と化していて、映画版のチーフのような超然とした味わいが微塵もない。

というチーフ役に関する不満が爆発するのが、廃人になったマクマーフィの顔に、彼が枕を押し当てるラストシーン。ここは、「こんな姿で生きてるくらいなら、いっそ殺してやったほうがマクマーフィの魂は自由になれる」と思ったチーフが、意を決して殺人に手を染めるという涙&涙のシーンなのでありますが、ムクッと物陰から起きあがり、いきなりマクマーフィに枕を押し当てるチーフからは、その思いが伝わってこない。

さらに、そのあとのオチが、「他人が鍵を開けてくれた窓からチーフが逃げていく」というふうに仕立てられているため、マクマーフィの自由な魂がチーフに受け継がれていくという、このストーリーの肝心なポイントが伝わってこないわけでして。ここはやっぱし、マクマーフィが持ち上げようとして持ちあがらなかった機械で窓を割ったチーフが、自ら外の世界に解放を求めて飛び立っていくという映画パターンを踏襲してほしかった。そこにいちばんのカタルシスがある話だと思うのですが、チーフが機械を持ち上げたときに出る火花に驚けという舞台版の演出には、何の感慨もかきたてられず。なんだか、マクマーフィの死が、思いっきり犬死に見えてしまいました。

おそらく、ラストシーンをこんなふうにしたのは、映画版と極力似ないようにとの配慮からでしょう。映画を踏襲してしまうと、ロイヤリティを映画会社にも払わなきゃならなくなっちまいますからね。という苦しさをわかりつつも、映画版の後に上演された再演作品ならではの工夫を、もうちょい感じさせてもらいたかったところであります。

トニー賞ノミネート:作品賞リバイバル・プレイ部門、主演男優賞プレイ部門(G・シニーズ)

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