@Theatre(AUGUST 2001 in NY) 1
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ステージビル バーバラ少佐

Major Barbara

作ジョージ・バーナード・ショー 演出ダニエル・サリヴァン 出演チェリー・ジョーンズ/ダナ・アイヴィー/デヴィッド・ワーナー/デヴィッド・ランズバリー
OPEN:2001年07月12日 CLOSE:2001年09月02日 @アメリカン・エアライン・シアター

1905年にロンドンのロイヤル・コート・シアターで初演されたバーナード・ショー作のプレイの再演。
一幕中盤のコックニー攻撃に撃沈
(2001/08/16)

主演は、安定感のある芝居では保証付きのチェリー・ジョーンズ。父親役は、『タイム・アフター・タイム』で切り裂きジャックを演じたデヴィッド・ワーナー。母親役は、ブロードウェイの貫禄女優ダナ・アイヴィー。3人をはじめとする役者たちの充実した演技に、「上質の芝居」の味が楽しめた作品でございます。

物語は、世なおしの高い理想を掲げる救世軍の少佐バーバラが、武器製造でガッポリ金を儲けている父親と対立。その金の力に屈する救世軍に幻滅を感じながらも、現実を受け入れ、妥協の道を見出していく姿を描いたもの。現実主義と理想主義、父と娘、そしてイギリスならではの階級闘争という3つの葛藤の構図を芯に据えた、かなり骨太のドラマになってます。

そんななかから、「人間は、たとえ主義主張をわかりあうことができなくても、赦しあうことはできる」という結論が導き出されていくところは、『マグノリア』なんかにも通じる現代ふうの味わい。

と、わかったようなことを書いているけど、実は一幕中盤の救世軍を舞台にした場面は、プアー・ピープルたちのお言葉が全然聞き取れず、まったく理解できとらん状態。ここがちゃんとわかれば、階級闘争部分にも、もう少し理解がおよんだと思うのですが。

とはいえ、約1世紀前に書かれた芝居を、いまの時代にテーマ性が通じるビビッドな作品として甦らせたのは、役にいきいきとした生命力を吹き込んだジョーンズと、演出のダニエル・サリヴァン(『プルーフ』)のお手柄と言ってよさそう。少なくとも、昨シーズンのトニー賞で再演プレイ部門候補にあがった『カッコーの巣の上で』や『背信』なんかよりは、格段に素晴らしい舞台だと思えたよ。おそらく次のトニー賞では再演部門の有力候補になるんじゃないかな。

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ステージビル かもめ

The Seagull

作アントン・チェーホフ 翻訳トム・ストッパード 演出マイク・ニコルズ 出演メリル・ストリープ/ケヴィン・クライン/ナタリー・ポートマン/フィリップ・シーモア・ホフマン/クリストファー・ウォーケン/マーシャ・ゲイ・ハーデン/ジョン・グッドマン
OPEN:2001年7月24日 CLOSE:2001年8月26日 @デラコルテ・シアター(セントラルパーク)

1895年に書かれたアントン・チェーホフの芝居の再演。毎年セントラル・パークで行われるシェイクスピア・フェスティバルの演目として上演された。
完全なるメリル・ストリープ・ショウ
(2001/08/17)

この芝居は、パブリック・シアターが、セントラル・パークの野外劇場(デラコルテ・シアター)で毎年行っているシェイクスピア・フェスティバルの、今年2番目の演目(最初の演目は『尺には尺を』)。チケットは、当日分のみを、午後1時から3時までのあいだ、デラコルテとパブリック・シアターのボックス・オフィスで配るという仕組みになっているのだが、「世の中、タダほど高いもんはない」の諺どおり、チケット・ゲットの苦労話が全国ネットのニュースねたになるほどの白熱ぶり。ためしに、鑑賞日前の3時ごろ劇場の前に行ってみたところ、翌日分のチケットを求める徹夜組がすでに50人くらい列を作っておった。つまり、この芝居を見るために、ヤツらは29時間がかりで並んでるってことだ(並んでるのはバイトっぽい若者が多かった)。

そんな苦労をせずとも私がチケットを入手できたのは、6月の頭にパブリック・シアターの来シーズンの会員になったから。これは、150ドルでパブリック・シアターの芝居が5本見られて、オマケにシェイクスピア・フェスのいずれかのチケットが付いてくるというパック商品(!?)なのだが、『かもめ』のチケット・フィーバーが始まってからは、オマケを付けるのをやめちゃったらしい。並びごとが何よりも嫌いなYAZAKIは、早めに手を打っておいてよかったぜと、自分で自分を誉めてやったですよ。

さて、私が150ドルを投資してまでこの芝居を見たかった理由は2つある。ひとつは、メリル・ストリープの舞台を見たことがなかったのでぜひとも見たかったから。もうひとつは、『トゥルー・ウェスト』を3度見たほど大ファンのフィリップ・シーモア・ホフマンが出るからだ。で、結論から言うと、ストリープの芝居には大満足させてもらったが、ホフマンに対しては不完全燃焼の思いが残ったという感じ。

と言っても、何もホフマンの演技力に問題があったわけじゃない。問題があったのは、「映画スターをズラリと揃えたラインナップ」にこだわるあまりバランスを欠いたキャスティング、そして、そのアンサンブル・キャストのなかで若輩者であることを露見させてしまったナタリー・ポートマンの未熟な芝居だ。

ホフマンが演じるトレープレフは、女優の母アルカージナ(ストリープ)に強烈なコンプレックスを抱いている作家志望の神経質な青年。かたやポートマンが演じるニーナは、女優――というよりは名声に憧れる近所の地主の娘だ。劇の最初のふたりは、「誰が見てもお似合いの恋人同士」という設定。なのだが、ルックスから判断するかぎり、このコンビは「美女と野獣」にしか見えない。それを補って余りあるほどの演技上のケミストリーが、舞台のふたりのあいだに存在したかと言えばそんなことはなく、見れば見るほど「釣りあわねえなぁ」の思いがつのるばかりなんである。

で、このカップルがどういう運命をたどるかというと、ニーナは、アルカージナの愛人の流行作家トリゴーリン(ケビン・クライン)の有名人パワーに魅せられ、トリゴーリンも小娘の発する若いエネルギーの虜になっていく。結果、トレープレフを捨ててモスクワに行き、女優の道を歩みはじめたニーナは、トリゴーリンの子供を妊娠するが、子供を失ったあげく、アルカージナとヨリを戻したトリゴーリンにポイ捨てされ、ドサ廻りの役者に身をやつす(←この経緯は会話のなかで説明される)。

そんな波乱万丈の憂き目を見たニーナが、トレープレフと再会する場面は、劇のいちばんのクライマックス。のはずなんだけど、はなから恋人同士に見えなかったふたりだけに、この場面の感慨も薄い。いまだに愛の理想を信じ、ニーナをなんとか自分の元にひきとめておこうとするトレープレフと、現実の荒波に揉まれ、「諦めと妥協こそが人生だ」と悟ったニーナ。別々の道、別々の人生を歩んでしまった元恋人同士の悲哀がこの場面にはドバッと溢れ出て、すごーく切なくなってしかるべきなのであるが、ポートマンの芝居はここに至っても青臭く、「私達の仕事で大事なのは、名声とか栄光とか私が空想していたものではなく、実は忍耐だということがわかったの」というキメのセリフがちっともたってこない。そんな彼女相手に「苦悩」を空回りさせるホフマンのことが、私はなんだか気の毒になってしまったよ。

ポートマンも、『アンネの日記』のときは等身大の芝居がすごくよかったんだけどね。今回のような成熟を要求される役は、やっぱし無理があったみたい。まして、トレープレフに片思いするマーシャの役をマーシャ・ゲイ・ハーデンが演じているから、ますますキャスティングのアンバランスさが目立っちゃう。やっぱしニーナの役は、メアリー・ルイズ・パーカーあたりの中堅女優を持ってきたほうがよかったんじゃないかな。

そんなこんなのポートマンから、完全にヒロインの座を奪ってしまったのが、アルカージナ役のメリル・ストリープ。いつも自分が輪の中心にいなければ気がすまない天下無敵の大女優の役柄を、コケティッシュに演じる芝居が、もううまいったらない。劇中には、「あーら、私だって若いのよ」と言いながら側転する見せ場(!?)が用意されていたり、もはや完全に劇全体がメリル・ストリープ・ショーと化している感じ。兄のソーリン(クリストファー・ウォーケン)とふざけあう場面など、役をとことん噛み砕いて作り上げてる感じがするストリープの演技の緻密さには、とにかく舌を巻くばかりだ。

なかでもスゴいのが、トリゴーリンがニーナに心を奪われていると知ったアルカージナが、彼の心を取り戻そうとくんずほぐれつのラブシーンに持ち込む場面。ここは、トリゴーリン役クラインの優柔不断男演技も最高に魅力的で、「『ソフィーの選択』のダイナミズムを生で見せてもらいました」的なありがたさに、思いっきり浸ることができた。

もうひとりの場面さらい役者は、今年『ポロック』でオスカーを受賞したマーシャ・ゲイ・ハーデン。出番は決して多くないんだけど、田舎に埋もれたインテリ女ふうのキャラ作りが絶の妙。彼女が演じたマーシャや、ソーリン、ドクターのキャラに、ボヘミアン的なノリを持たせたところが、今回のマイク・ニコルズ演出のいちばん新鮮に感じられた点。

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割引券ポストカード トップドッグ/アンダードッグ

Topdog/Underdog

作スーザン=ロリ・パークス 演出ジョージ・C・ウルフ 出演ジェフリー・ライト/ドン・チードル
OPEN:2001年07月10日 CLOSE:2001年09月02日 @パブリック・シアター

『Venus』でオビー賞を受賞し、『In the Blood』でピュリッツァー賞候補になった黒人女流劇作家スーザン=ロリ・パークスの新作プレイ。『バスキア』のジェフリー・ライトと『トラフィック』のドン・チードルが兄弟を演じる。オフ・ブロードウェイ公演。
演技に神が宿る瞬間を初めて見た!
(2001/08/19)

『トラフィック』のアンサンブル・キャストのなかでいちばん光っていた(と私は思った)ドン・チードルが見られる! ってことで鑑賞におよんだプレイだったが、見終わったあとはジェフリー・ライトの演技のスゴさにぶっ飛んだ状態になっておった。チードルも確かにウマいんだけど、ライトの場合はもう次元が違うウマさなのよ。声のトーンと己の肉体を自在に操りつつ全身から発散されるオーラで劇場を満たし、近づきがたいような崇高さをビンビン漂わせている感じ。この空気感は、ぜったいにナマでなきゃ味わえない。「演技に神が宿る」とはこういうことかと、つくづく思いましたです。

そう感じたのは私だけじゃなかったようで、芝居が暗転になって終わったとたん、客席全員がいっせいにバッと立ちあがり、舞台が再び明るくなってライト&チードルがおじきをしだす前に、「ブラボー」のスタンディング・オベーションが巻き起こった。ブロードウェイに頻繁に通い続けて6年くらいたつけど、こんな経験は初めて。私にとっては、一生忘れられないプレイになりそうです。

物語は、カインとアベル以来の伝統を持つ兄弟のお話。ライト演じるリンカーンは、かつてストリート・ハスラー(トランプ3枚を裏にして、1枚だけ入っている赤いカードはどれかを客に当てさせるヤツ。正確にはThree Card Monteと言うらしい)を商売にしていたが、相棒が殺されたことをきっかけにその道を引退。いまは顔を白塗りにして、カーニバルのショウでリンカーン大統領を演じている。いっぽう弟のブースは、万引きとコソ泥稼業で日銭を稼ぎつつ、兄のようなストリート・ハスラーになろうと日々練習を積んでいる。

アメリカ史に詳しい人は、ここでピンとくると思うが、ブースはリンカーン大統領の暗殺者の名前だ。これを「暗示」として張り巡らせたプレイは、兄を超えようとして超えられない弟と、その弟の元にしか帰る場所がない兄の、LOVE/HATEな関係を浮き彫りにしつつ、「共有しなかった過去の出来事」を引き金に、ふたりの運命が悲劇へと転じていく様を綴っていく。

その過程で、シーソーのようにふたりの力関係がバッタンバッタンしていくところは、同じく兄弟2人プレイの『トゥルー・ウェスト』なんかと一緒。で、そのシーソーがバターンと大きく傾き、それまでどちらかというと「静」のポジションを受け持っていたリンカーンの存在がブースを大きく圧倒するのが、ニ幕目の後半、リンカーンがディーラーとなって兄弟で1000ドルの3カードの勝負をやる場面だ。ここんとこのライトのストリート・ハスラーぶりが、もうビリビリに緊張感のある芝居で、見ているほうはまさに目が釘づけになる。それまで抑制モードで表現されてきたリンカーンのカリスマ性が、一気にドバッと噴出する感じ。

で、そうした役者のリズムをいかすことだけに集中したジョージ・C・ウルフの超シンプルな演出も好感度大。『オン・ザ・タウン』『ワイルド・パーティ』と失敗作続きだった彼だけに、この作品をオンに持っていって、ぜひトニー賞を狙ってほしいもの。ライト&チードルも、このテンションをオンのステージ(サークル・インザ・スクエアあたりの規模の劇場なら大丈夫だと思う)に持ち込むことができたら、間違いなくトニー賞にWノミネートされると思うよ。

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プレイビル バット・ボーイ/ザ・ミュージカル

Bat Boy The Musical

作キース・ファーレイ&ブライアン・フレミング 作詞&作曲ローレンス・オキーフ 演出スコット・シュワルツ 出演デヴン・メイ/ケイトリン・ホプキンス/ショーン・マッコート/ケリー・バトラー
PREVIEW:2001年03月03日 OPEN:2001年03月21日 @ユニオン・スクエア・シアター

洞窟で発見されたコウモリ青年を主人公にした、B級コメディ・タッチのミュージカル。
ティム・バートンのファンにおすすめ
(2001/08/19)

このミュージカルを見てまず思ったのは、「なぜ、誰も『シザーハンズ』のミュージカル化を考えなかったのか?」ということ。だって、ストーリーの流れがそっくりなんですもの。

説明すると。洞窟で発見されたコウモリ青年(メイ)が、医者一家の母親(ホプキンス)に気に入られ、彼女の家族と同居。そのうち娘(バトラー)と恋仲になるが、殺人の濡れ衣を着せられて町の人々から追われる身となり、結局は悲劇的な運命をたどることになる、という物語。

『シザーハンズ』との大きな違いは、コウモリ青年と医者夫婦のあいだに「血の因縁話」が用意されていること(このエピソードは、悪趣味が過ぎて私は買えなかった)だが、それ以外は、ハサミ男をコウモリ男に置き換えたみたいな仕上がり。

コウモリ青年が、生き血がなくちゃ生きていけない自分のサガに苦しんだりするところなんぞ、「異形の者」の悲しみがグワっときわだつ展開も、モロにティム・バートンの世界なので、バートン映画の好きな人は、B級のテイストも含め、ぜったいにハマっちゃうと思うよ。

ま、そうじゃなくても、ぬいぐるみの動物を使ってチープさを醸し出した演出(『白雪姫』のパロディが入ってるところが、『マーズ・アタック!』のラストを連想させる)は、素直に笑えるし、楽しい。バット・ボーイ役のデヴン・メイが、これまた噂どおりの大熱演で、週8回ももこんなハイ・テンションな芝居をやってて身体は持つのか? と、ちょっと心配になったりもする。

とりあえず、オンのミュージカルに見るべきものがないとお嘆きのあなたに、オススメ。

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