日本キリスト教団

西千葉教会

この町にはわたしの民が大勢いる

2018年1月7日 降誕節第2主日

 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。

使徒言行録 18章5節~11節

 明けましておめでとうございます。新しい年を迎えました。皆さまの上に今年も主の恵みと導きが豊かにあるよう祈ります。また今年は牧師の交代が行われます。この教会にとっては大きな出来事かと思いますが、神さまがこれまでと変わることのない恵みをもって教会の歩みを支えて下さるよう祈ります。
 さて、本日は年頭にあたりまして今年の年間主題聖句に関してお話し申し上げます。今年の年間主題聖句は説教題に掲げました「この町には、わたしの民が大勢いる」という使徒言行録18章10節の御言葉です。
 これは「橄欖乃枝」の今月号にも書きましたように、後任牧師として4月から赴任される真壁巌先生が選んで下さった御言葉です。先生はこの教会のモットーである「旺盛なる伝道精神」と「働く信徒の教会」を念頭におきながら、さらに100周年宣言の趣旨を生かしていくための御言葉を求めた結果、この御言葉を与えられたのです。
 本当に不思議ですが、昨年11月の教会創立113周年記念特別礼拝において、私が説教箇所として選ばせて頂いた御言葉と完全に一致しております。もちろんお互いに相談したわけではありません。まさに神さまが与えて下さった聖句であると思い、心から感謝している次第です。
 そういうわけで、この箇所については2か月程前に既に説教しているのでありますが、今日はその時とは違った角度からお話し申し上げたいと思います。
 「この町には、わたしの民が大勢いる」との御言葉の中でまず指摘したいことは、真壁先生も触れておられるのですが「わたしの民」と書かれていることです。先生はそのことについて「伝道する対象がすでに『神の民』であることを自覚することによって、・・・」と述べておられます。これは大切な点であると思います。
 神さまは私たちが伝道する以前にもうご自分の民となる人を選び定めておられるということです。しかも神さまはご自分の民を多数確保し、用意しておられるということです。
 パウロは今コリントの町で伝道しています。このコリントの町には神の民が大勢いるとおっしゃるのです。当時コリントの町には60万人の人が住んでいたそうです。大都市です。BC44年にユリウス・カエサルによって再興され、ローマの総督府がおかれ、アカイア州の州都として栄えていました。イオニア海とエーゲ海をつなぐ2つの港を持つ商業都市として世界中の富が集まってきたと言われています。
 しかし、道徳的には退廃し「コリントする」と言えばそれは不品行なことをするという意味であり、「コリントの娘」と言うと娼婦を表す程でありました。アフロディテの神殿には1000人もの神殿娼婦がいたとのことです。
 ゼウス、イシス、アフロディテ等の神々がおがまれ、町にはそれらの神々の神殿が建てられていたそうです。
 虚栄の町です。異教の世界です。不道徳のはびこる都市でありました。その影響はコリント教会の中にまで入り込んできていたことはパウロの手紙の中に記されている通りです。
 しかし主はパウロに「この町には、わたしの民が大勢いる」と言われるのです。耳を疑うようなお言葉ではないでしょうか。このような町に神の民が大勢いるのだろうか?到底信じられないようなお言葉であります。しかし、それが神さまのみ業です。人間の目には見えない神さまの現実です。人間には信じられないような事をなさるのが神さまです。
 この現実の上に立って、だから「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。」と命じられるのです。パウロはこの現実を信じました。そして、コリントに滞在して伝道し続けることが神の御計画であることを悟り、1年半の長きにわたってコリント伝道に励んだのです。
 私はペトロがガリラヤの湖で主イエスのお言葉を信じて網を打ち、信じられないほどの大漁に恵まれたことを思い出しました。一晩中漁をして1匹の魚も獲れなかった。そこに魚などいるわけがないと思った。「でもお言葉ですから」と言って網を下したのでありました。その結果の予期せぬ大漁でした。
 日本は異教世界です。経済復興を遂げました。その結果物質主義的な考え方、生き方が支配的です。だから日本の伝道は難しいと言われています。事実クリスチャンの数は人口の1%にも満たない。それどころか教勢は低下し続けている。これが目に見える現実です。 
 しかし、主は「この町にはわたしの民が大勢いる」とおっしゃる。この日本には、この千葉市には、この松波にはわたしの民が大勢いると言われるのです。だとしたら恐れずに、黙していないで、語り続けたいと思います。まずこの町の人々のために祈りたいと思います。そして「神さまはあなたを愛しておられる。恵みの内に生かしておられる」と伝えたい。これが今年の目標です。
  これまで行ってきたふくろうコンサートや教会フェスタなど、地域の方々と共に行う地域に開かれた行事はその具体的な業の一つでしょう。できることをコツコツと行っていくことが大切です。主が共にいて下さると信じて、今年も変わることのない歩みを進めたいと願います。

文:木下 宣世 牧師