「もぅ いいかい?」
2018年9月
今年でもう20年になりますが、毎年夏に東京都東村山市にある国立ハンセン病療養所多磨全生園を訪問してきました。ただ園に行くのではありません。ある友人に会うため、その友人を多くの人に紹介したいために行くのです。その友人は森元美代治(もりもと みよじ)さんという今年80歳になる男性で、ハンセン病回復者です。多磨全生園内には国立ハンセン病資料館もあり、森元さんはいつも時間をかけてガイドしてくださいます。そのインパクトのある実体験は毎回、同行者の心をとらえ、その内の何人かは必ずリピーターとなります。
数年前、森元さんから電話があり、「ぜひ、観てほしい映画があるので一緒に行かないか」と誘われました。それは二週間限定のドキュメンタリー映画で、「もぅ いいかい―ハンセン病と三つの法律―」というものでした。高橋一郎監督によって製作された映画で、上映時間143分。長さ重さとも大作で、ぜひ知ってほしい実話でもあります。
三つの法律とは「癩予防ニ関スル件」(明治40年制定)、「(旧)癩予防法」(昭和6年制定)、「(新)らい予防法」(昭和28年制定)です。明治40年の法律は、当時家を追われ、神社や寺に身を潜めていた「浮浪癩患者」の隔離政策でした。それが昭和6年に一層強化され、すべての「癩患者」の一斉隔離政策となります。その背景には医学とは無関係な国策があったと言えます。つまり日露戦争に勝利した日本は今や一等国となった。だから国の恥となる「癩患者」は隠せという法律、更に満州事変が生じた昭和6年になると、国民の体力を強化することが国策となり、「癩患者」から国民を守れ!という法律となっていくのです。予防法とは名ばかりで、極めて軍国主義的な法律の制定だったのです。私がどうしても解せないのは戦後8年も経ち、しかもハンセン病の特効薬プロミンが出回っていいたにもかかわらず、この悪法「らい予防法」が残ってしまったことです。しかもそれが1996年まで続くのです。なぜでしょうか?
スクリーンに大きく、「彼らが送られたのは本当に療養所だったのだろうか」という字幕が現れますが、その通りです。そこはまさに療養所ではなく、アウシュヴィッツにも似た収容所でした。強制隔離された人たちは名前を変えさせられ、故郷へ帰ることも許されませんでした。ハンセン病という理由だけで、園内でひたすら死を待つ生活を強いられたのです。「全生園とは生涯をここで全うさせるための園でした!」(森元談)。
人々の視界から消し去られ、記憶の外に追いやられ、子孫断絶を強いた断種・堕胎を強要された人たちが涙ながらに証言します。「故郷で自分はすでに死んでいることになっているため、帰りたくても帰れない。『もぅいいかい お骨になっても まぁだだよ』なのです」。
90年に及ぶ悪法の下で、いかに多くの方々が人間として扱われてこなかったか…。強い憤りと人間の狭さ、哀しさを実感させられる二時間半でした。その中でも特に私の脳裏に焼きついた証言は、「絶対隔離と国民的忘却」です。こんな酷い国策があったということを国民は忘却してきたという事実、そしてこの私も忘却しないとは限らない!という事実、それを突きつけられました。人間は忘れるのだと。
だからこれまで毎夏に多磨全生園を訪ね、森元さんから教えられてきたのです。今も入所者のほとんどが療養所で生活しています。確かに悪法はなくなりましたが、人々の偏見や差別はいつなくなるのでしょう?「もぅいいかい お骨になっても まぁだだよ」と言う社会が「もぅいいよ」と言える日はいつくるのでしょう?
森元さんと知り合った頃、全国14か所のハンセン病施設入所者数は約5000人でしたが、今年は1300人ほどになりました。故郷に帰れないままご高齢で亡くなる方々が増加しているのです。今年の夏休みには群馬県草津町のハンセン病療養所栗生楽泉園内にできた重監房資料館を訪ねました。犯した過ちを風化させないために。
文:真壁 巌 牧師