日本キリスト教団

西千葉教会

まだ、生きている

2019年03月

 エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。 パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」

使徒言行録 20章9節〜10節

 使徒言行録の著者であるルカは医者でした(コロサイ4:14)。つまり人の命を預かるその道のプロでもありました。そのルカが三階から落ちた青年を診て「もう死んだ」と判断したのですが、パウロは「いや、まだ生きている」と言いました。その結果、パウロの方が正しかったのです。
 この時、パウロの一行は諸教会で集めた献金を母教会であるエルサレム教会にささげるため、再びトロアスを訪れていました。そこはかつてパウロが行き詰まり、マケドニア(ヨーロッパ)伝道への幻を示された原点とも言える場所でした。彼らはこのトロアスに一週間滞在したのですが、その最後の夜にこの出来事が起きたのです。
 週の初めの日(主の日)、彼らは「パンを裂くために集まって」(7節)共に礼拝をささげていました。パウロは思い出深いトロアスで、熱心に説教したのでしょう、その話は夜中まで、「長々と続いた」のです。そのためにエウティコという青年が三階から下に落ちてしまいました。きっと二階建ての建物の屋上で礼拝していたのでしょう。
 その場にいたルカは間違いなく医者として青年の脈をとったはずですが、慌てていたのでしょうか「もうだめだ」と思ったのです。しかしパウロは「彼の上にかがみ込み、抱きかかえて『騒ぐな。まだ生きている』」と宣言したのです。一同はホッとして礼拝を続け、更に遅くまで語り合い、翌朝エルサレムに向けて旅立ちました。
 この出来事が告げているメッセージは何でしょう?長い説教は禁物という牧師たちへの戒めですか?決してそうではないでしょう。
私たちは辛いことや厳しい状況に置かれた時、つい「もうだめだ」と呟きます。自分の失敗に対して呟くだけでなく、他人の失敗を見て「あいつはもうだめ、おしまいだ」と言い放ちます。それが社会や世界を覆い、その声に押しつぶされて人々は希望を失っています。
 しかしそんな世の中だからこそ、教会は「いやだめじゃない。まだ生きている」と言い続ける場所ではないでしょうか。「もうだめだ」と思える状況は「人間の目に」であり、「神の目に」ではありません。預言者イザヤの「ああ、災いだ(もうだめだ)」という叫びにも、神は「大丈夫。あなたの罪はわたしが覆った(私訳)」(イザヤ6:7)と宣言してくださるお方なのです。
 最初の任地だった津軽にいた頃、とても小規模な浪岡伝道所を兼務していました。この伝道所は隠退した牧師と一人の医者によって始められたのですが、財政面の全てをこの医者に依存していたため、医者が亡くなるとたちまち財政難となり、専任牧師を迎えられなくなりました。それでも教区や分区の援助によって活動は支えられていたのですが、ある年の分区総会で「浪岡伝道所への支援打ち切り」案が出されたのです。つまり「自立する意欲が全く見られない伝道所にこれ以上の支援は必要ない」という判断でした。その時の私は兼務牧師として肩身の狭い思いでしたが、反論できずにいました。
 あれからもう三〇年近く経った今、浪岡伝道所には地元出身の専任牧師夫妻が定住し、力強い伝道が展開された結果、昨年のクリスマスには受洗者が与えられました。その牧師夫妻の持論は「毎主日に礼拝がささげられていることこそ、教会が死んでいない、まだ生きている証しです。」
本当にその通りだと思います。私たちが毎週ささげている礼拝は教会を生かす「息」であり「血流」そのものです。「自分はもうだめだ」と失望し、「あいつもおしまい」と他人を見下す私たちです。でもそんな私たちに代わって十字架に死なれ、復活された主は「あなたはまだ生きている」と宣言され、毎主日礼拝で「その命は決して終わらない」と約束しておられます。

文:真壁 巌 牧師