日本キリスト教団

西千葉教会

神の子イエス・キリストの
福音の初め

2020年06月

 復活節に入っています。イエス・キリストがよみがえられた。その喜びを覚えつつ、私たちは、ライブネット礼拝を捧げています。
 マルコによる福音書の最初に「神の子」という言葉が書かれています。ローマの皇帝は自分自身を神とし、神の子と名乗りました。著者マルコは、皇帝がローマを支配していた時に、イエス・キリストこそ、神の子と書き記しました。巨大な国を治める王ではなく、世界を創造された神。その神様から私たちの所に遣わされた御子主イエスこそ神の子だと伝えています。
 神の子主イエスは私たちの所に来てくださり、父なる神様のために働かれました。それが、イエス・キリストの生き方です。
 イエスは「神は救いである」キリストは「救い主」という意味です。つまり「主イエスは救い主である」。また「主イエスは救い主であると信じます」。という信仰の告白でもあります。
 マルコが神の子、イエス・キリストと書き記したのは、主イエスが父なる神様から世に遣わされて、父なる神様に従順に歩むと言う事です。イエス・キリストのご生涯、復活された後は神の右に座されて執り成しておられる事が神の子、イエス・キリストのお働きです。
 1章11節に「あなたは、わたしの愛する子、わたしの心に適うものという声が天から聞こえた」と書かれていることからも明らかです。   
 著者マルコは、「福音の初め」と書き記しました。福音は、喜ばしき知らせですが、なぜ、福音が喜ばしいのでしょうか。私たちは、み言葉を糧とし生かされているからでしょうか。本日の箇所も、キリストの名が語られ、復活された主イエスを賛美している。そう思われるお方は多いでしょう。その上でなぜ福音が喜ばしき知らせなのか。それは、主イエスが私たちを罪から贖われ救われるために、神が真の人となられてなされた神のみ業が福音を通して私たちに知らされ、そこに感謝があるからです。
 マルコは主のご計画に基づいて、主イエスのみ業を書き記しました。神様のご支配が明らかにされた。神様が私たちを罪から贖いだし、救われる。神の恵みの中でマルコは福音書を書きました。そして約二千年間、教会にて福音書からみ言葉が語られ、神のご支配の中で救いがされている。その事に気づかされます。 
 私たちも礼拝を捧げていますが父なる神が尊い、神の子主イエス・キリストを私たちの所に遣わされ十字架と復活において神の恵みが明らかにされた事を改めて思わされます。
 西千葉教会は現在ライブネット礼拝、ネット環境がない方も共に礼拝を捧げていますが、み言葉がどのような形で私たちの所に届き、福音書が聖霊の導きによって書かれた事を私たちは、あまり考えないのではないでしょうか。「神様がどこにおられるのか」。と私たちはどこかで思う事があります。けれども、そうではありません。実はいつでも私たちは神様のご支配の中歩んでいます。
 コロナウイルスの影響を受け辛く悲しく、なぜ、と誰もが思います。しかし、喜ばしき福音はもうすでに十字架と復活を通して世界へと伝播されました。
 私たちは、神のご支配の中、それぞれが同じ試練を受け主を頼り皆が心を合わせて礼拝を捧げています。マルコによる福音書が書かれ、福音が語られ、教会はみ言葉によって慰められました。私たちも主によって恵みを与えられる中、一日でも早くこの状況が終息し、終息した後、みなで西千葉教会に集い大きな声で主を賛美し礼拝を捧げたい。と同時にこの状態でもなお主の守り、導きのもと私たちは主と共に礼拝を捧げ歩んでいる。その事をこの時、覚えたいと思います。 
 著者マルコは最初に「神の子イエス・キリストの福音の初め」と書き記しました。イエス・キリストによって神の国の到来が宣言され、今は主のご支配の中、主が再び来られる時まで、教会は、コロナウイルスの影響化においても喜ばしき福音を宣べ伝え私たちは神の恵みを受けて歩んでまいります。神の右に座されている主イス・キリストの執り成しに支えられて。

文:川添義和副牧師