まことの平和
2020年08月
ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
ルカによる福音書 10章31節〜34節
栃木県塩谷町に開設された「アウシュビッツ平和博物館」(現在は福島県白河市に移転)を訪れた時、館長の青木進々氏から問いかけられました。「『アンネの日記』を読んだことがありますか。 彼女は収容所解放の一月前、15歳で死にました。でもアンネのように日記も残さず、同じ運命を辿った何万人もの子どもたちがいます。もし日記を皆さんが読んでくれなければ、アンネは忘れられていきます。それはアンネを再び殺してしまうことにならないでしょうか。」
聖書では、単に戦争がない状態を「平和(シャローム)」と言うのではありません。M・L・キング牧師の「善いサマリア人の譬え」での説教は、鋭く人間を分析しています。「祭司、レビ人が傷ついた人を助けなかった理由は、この人を助けたら自分がどうなるかを考えたからだ。そしてサマリア人が助けた理由は、この人を助けなかったらこの人がどうなるかを考えたからだ。」この洞察こそ、まことの平和とは何かを指摘しています。
しかし私たち現代人にとって、犯した罪が指摘されるのならまだしも、しなかったことまで問題視されたら納得できるでしょうか。もうずいぶん前、中高生キャンプで「いじめ見ぬふり中高生の四割超」との社説について話し合った時、ある中学生が「いじめに加担したのならともかく、見ぬふりを問われたら大人だって困るはず」と言ったことが大変印象的でした。
この時、私の脳裏に浮かんだのはマルティン・ニーメラー(1892―1984)という牧師のエピソードでした。彼は第一次大戦中、Uボートの青年艦長として活躍した人ですが、その体験が彼を牧師へ、また平和運動家へと進ませます。そしてヒトラーが政権を握り、再び戦争への急傾斜を始めた時、彼は「牧師緊急会議」を組織し、さらに有名な神学者カール・バルトたちと「告白教会」を結成して国家への抵抗運動を始めるのです。そのため彼は捕らえられ、強制収容所送りとなりますが、危うく処刑を免れ、ドイツ敗戦時に連合軍によって救出されました。
ところがその後、彼は不思議と毎晩同じ夢に苦しむようになります。その夢の場面は天国で、正面には神が座しておられ、その裁きの座にニーメラー自身が立たされているのです。神は重々しく彼ではなく、彼の背後に立っている者に尋ねられます。「お前は、何かよいものを携えて来たか」と。するとニーメラーの背後からベルリンのスタジアムに響きわたった聞きなれた声、あのヒトラーの声が答えるのです。「いえ何も。それは私に対して人々は称賛や非難はしても、誰一人、直接私にあなたの子イエス・キリストの福音を語ってくれなかったからです。」
ニーメラーはヒトラーとその追従者を批判し、処罰するだけでは新しいドイツとまことの平和を実現できないことに気づかされます。そしてまず自らができなかったこと、しようとしなかった罪責告白をすることから始めなければならないと強く悟ったのです。
この精神を基軸としてニーメラーが起草したドイツ福音教会のシュツットガルト罪責宣言には次の一節が盛り込まれました。「我々がもっと大胆に信仰を告白しなかったことについて、もっと忠実に祈らなかったことについて、もっと喜んで信じなかったことについて、もっと熱烈に愛さなかったことについて罪責を認める。」
戦後のドイツとドイツの教会の再建は、このようにヒトラーに迎合した人たちの罪責ではなく、むしろ迫害され、九死に一生を得た人たちの徹底した罪責告白から生まれたことを忘れてはなりません。
その後、ニーメラーはこの夢を見なくなりました。まことの平和がどのように実現されるかを考えさせられる出来事です。
文:真壁 巌 牧師