日本キリスト教団

西千葉教会

この上なく大きな神の愛

2020年12月

 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

ヨハネによる福音書 3章16節

 毎年、クリスマスが近づくと開きたくなる、大好きな絵本を紹介します。『おおきな木』(シェル・シルヴァスタイン作絵:篠崎書林)という絵本です。
 昔、おおきなリンゴの木がありました。木はひとりの男の子となかよしになり、毎日一緒に遊んでいました。木の葉をあつめて冠をこしらえたり、幹に登って枝にぶらさがり、リンゴを食べたり、かくれんぼしたりと、男の子はこの木が大好きでした。だから木もうれしかったのです。ところが男の子が少し大人になると、ぱったり来なくなりました。それから木はたいていひとりぼっちでした。
 ところがある日、その子がひょっこり来たので、木は大喜びです。「さあ、ぼうや、私にお登りよ」。でもその子は言います。「ぼくはもう大きいんだよ。木登りなんておかしくて。それよりお金をちょうだい」。木は困りました。自分にあるのは葉っぱとリンゴの実だけ。考えたあげくに木は言いました。「それじゃ、リンゴを採って町で売ったらいいよ」。男の子は木によじ登り、リンゴをみんなもぎとって行きました。木はそれで「うれしかった」のです。
 それからその子は長い間、来ませんでした。木は悲しかったです。何年ぶりでしょう、すっかり大人になった男の子が木のところに来ると、木は大喜び。でも男は言いました。「あたたかな家がほしい、お嫁さんがほしい、子どもがほしい」と言いました。木は「私には家はないのだよ。でも私の太い枝を持って行けば家はできるはず」。男は枝を切りはらい、みんな持って行きました。木はそれで「うれしかった」のです。
 長い年月がたってから男がひょっこり戻って来ました。木は大喜びで、ものも言えないほどでした。でも男は言います。「年はとるし、悲しいことや辛いことばかり。どこかへ行ってしまいたい。おまえ、船をくれるかい」。幹だけになってしまった木は言いました。「私の幹を切り倒し、それで船をお造り。それで遠くへ行けるよ。そして楽しくやっておくれ」。男は言われる通りにし、どこかへ行きました。木はそれで「うれしかった」のです。だけど、それはほんとかな。
 更に長い年月が過ぎ、すっかり年をとった男がまた木のところに戻って来ました。木は大喜びしますが、少し悲しそうに言いました。「すまないねえ、ぼうや。何かあげられたらいいんだが、もう何もあげるものがない。リンゴも枝も幹もない。今の私はただの古ぼけた切り株だから…」。すると年をとり、よぼよぼになった男は言いました。「今はたいしてほしいものはない。座って休める静かな場所がありさえすれば。もう疲れ果てた」。木はせいいっぱい背筋を伸ばし、「ああ、それなら、この古ぼけた切り株が腰かけて休むのに一番いい。さあ、ぼうや、腰かけて。腰かけて休みなさい」。男はそれに従いました。木はそれでほんとうに「うれしかった」のです。
 いかがでしたか?この本の原題は「The giving tree(与える木)」です。おおきなリンゴの木は自分を与え続けて、わがままな人間を愛し続けていきます。「木はそれでうれしかった」と口にするたびに、「それって、ほんと?」って思わずにはいられない自分がいます。
 そして私はなぜかクリスマスにこの絵本を読みたくなるのです。きっとこの木に、独り子をお与えになられたほど私たちを愛してくださった神さまを感じるからです。今までずっと神さまは私たちに与え続けられ、私たちがその愛に気づくまで待っていてくださいます。それで「うれしかった」と。

「すべてのものを あたえしすえ、
 死のほかなにも むくいられで、
 十字架のうえに あげられつつ、
 敵をゆるしし  この人を見よ。

 この人を見よ、 この人にぞ、
 こよなき愛は  あらわれたる、
 この人を見よ、 この人こそ、
 人となりたる 活ける神なれ。」

讃美歌21 280番
「馬槽のなかに」(三・四節)

文:真壁 巌 牧師