日本キリスト教団

西千葉教会

「救われた者たち」

2021年06月

 イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。 人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。 イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。 そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。 そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。 ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。

マルコによる福音書 3章1節〜6節

 復活節第二主日の礼拝を捧げています。本日はマルコによる福音書3章1―6節から御言葉を聞きます。主イエスが会堂に入ると、片手の萎えた人がいました。人々は主イエスを訴えようと思い、安息日に、片手の萎えた人を癒されるかどうか、注目しました。仮に主イエスが癒したとしたら、安息日に仕事をしたことになり、人々はそれを根拠に主イエスを訴えようと思いました。当時は、命の危険がある病気やその時、対処しなければならない事態の場合、安息日に治療を行ってもよいとされていました。「片手の萎えた人は、命までとられるということではない。安息日が終わるまで待ってその後、治療を行うのが適切だろう。安息日が終わってからぜひ、この人を癒せばよいのではないか」と思いました。今日の箇所にて登場する人たちは主イエス、人々、片手の萎えた人、ファリサイ派、ヘロデ派の人たちです。人々は、主は癒されるか、癒されないかという思いを持ちつつ、主イエスの動向に注目をしています。私たちは、教会に来て神様に癒してほしい。神様を頼り、何よりも礼拝において力を与えられて歩みたい。そう思い礼拝に出席しています。
 主のご計画を今日の聖書の箇所から見るとき、主イエスが「真ん中に立ちなさい」と語られたのも分かります。安息日を備えてくださった主イエスが片手の萎えた人を癒されると決められた。なぜなら、その人が癒されることにおいて神様との関係が回復されるからです。ただ病が癒されるのではありません。「手を伸ばしなさい」と主イエスは語られました。神様が、その人に手を差し伸べること、その言葉を信じて手の萎えた人は、主イエスに手を伸ばしました。主イエスが手の萎えた人にお声をかけ、手を取ってくださる。主のみ手は決して離されない。私たちも主の招き「真ん中に立ちなさい。手を伸ばしなさい」この言葉を聞き主に手を取っていただき主に従い、神様のみ手の内にて礼拝を捧げ2020年度を歩むことができました。新型コロナウイルスの影響を受け、リモートによる礼拝、ネット環境のない方々は自宅にて礼拝を捧げました。分散礼拝も捧げました。今日の箇所にある人々のように様々な思いを持ちながら、この一年歩みました。西千葉教会員だけでなく、世界中の人たちが新型コロナウイルスの影響の中歩みましたが、神様のみ手のうち歩むことができました。
 主イエスが私たちの中心におられ、教会に招いておられます。私たちは、主のみ手のうち、主に招かれて主の言葉によって力づけられ歩み続けてきました。 
 主イエスは、「安息日に律法で許されているのは、全を行うことか。悪を行うことか。命を救う事か、殺す事か」と語られました。「人の子は、安息日の主でもある」。主イエスが語られた御言葉は、主が私たちのために安息日を特別なる日として定めてくださった。私たちが、心から安息することができる。更にいえば、主イエス・キリストによって罪贖われ、イエス・キリストにおいて新しい命与えられる。救いの事柄がここに描かれていることが分かります。
 教会の暦は復活節の時を迎え、歩んでいます。主イエスが十字架にて死に三日目によみがえられた、このことを覚えながら、改めて本日の聖書を見る時に、人々の思いが交錯する中、主の宣言によって手の萎えた人が真ん中に立たされ、主の言葉によって主に招かれ、癒された。救いのみ業がなされた。これが、主イエスから与えられる命を得るということを知らされました。私たちは、主イエスのおかげで尊い命が与えられ主と共に歩んでいるのです。
 第一礼拝が終わりますと教会総会を執り行ないます。2021年度の歩みについて説明があり可決されます。役員選挙も行われます。 選挙も主のみ手の内にあり、主の導きによってなされます。主イエスが私たちの手を取り癒された。その手は決して離されることなく、主、教職、教会員たちが役員を支えてくださいます。役員になられた方は主と教会に支えられて役員の務めをしていただきたい。今語った言葉は、神様の御心であり、皆様方の思いでもあります。
 私たちは、主に手を取られ、主の恵みを受け喜びと感謝をもってこれからも主と教会に仕えて歩みます。

文:副牧師 川添義和