日本キリスト教団

西千葉教会

ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる

2021年10月

 イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。 大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、 イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、 周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」

マルコによる福音書 3章31節〜35節

 主イエスの周りには「主イエスの言葉が聞きたい。また病を癒して欲しい。主イエスに何とかして欲しい。」と思う人たちが集まりました。それに対して主イエスの家族は、主イエスを自分たちの所に連れ帰ることが目的でした。「外に立つ」という言葉は「気が変になっている」という意味です。「気が変になる」ということは、神様を失い、何をしているのかが分からない状態です。神から離れて、何も分からなくなるということです。主イエスの家族は、何としてでも主イエスを連れ帰る。その思いに駆られ、その結果、外に立っていたことが分かります。
 このことは、主イエスの家族のみに限らず私たちの身の周りにもあります。世界を視野に考えますと様々なことが起きています。隣人同士の争い、戦争、略奪などです。私たちも時に疑心暗鬼になる経験をいたします。 
 主イエスが福音を語られた時代も現在も様々な問題を抱えながらの歩みです。約二千年前、イエス・キリストは、喜ばしき福音を宣べ伝えました。福音を聞き、主イエスとはどういうお方なのか。そこに立ち返るとき、私たちは、主イエスに招かれ、主イエスが執り成しておられる礼拝に出席し、このお方によって励まされ、慰められていることが分かります。
 主イエスは周りに座っている人々を見回し「見なさい。ここに私の母、私の兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ。」と語られました。 多くの人たちは主イエスの側に座っていました。主イエスが語られる、み言葉を聞くためです。主イエスの家族は、主の言葉を聞くためではなく主イエスを連れ戻す思いで外に立っています。けれども、主イエスは、主の言葉を聞く人たち、外にいる人たちに対しても「見なさい。ここに私の母、兄弟がいる。」とおっしゃいました。教会は、主イエス・キリストのみ名により召し集められた神の民です。主イエスは、み言葉を聞く人たち、教会の外にいる人々に対してもみ言葉を語られます。西千葉教会が松波の地に建てられているのは「見なさい。ここに私の母、兄弟がいる。」という主イエスの言葉を伝えるためです。神様は教会に来た人、いや全世界の人たちに目を留められておられる。世界中の人たちが真の救い主にお会いする場所が教会です。
 「見なさい」という言葉は、あなた方の周りにいる人たちを見なさいということです。主イエスの周りにいる、すべての人たちに語られています。主イエスの周りにいる人たちは、「見なさい」という主の言葉を聞き、自分の周りを見たに違いない。皆様、周りを見てください。各家庭、会堂にて場所は違えども心を一つにして礼拝を捧げています。主が私たちを召し集めてくださって「見なさい。ここに、私の母、兄弟がいる。」そう宣言されておられる。この宣言に私たちは日々新たにされて、礼拝から世に遣わされてこの一週間、神様のお守りの中、歩むのです。 
 主イエスは「神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、母なのだ」と語られました。神様の御心とは何でしょうか。神様の救いのご計画を福音によって知らされて、神様の御心を問いながら神様のご栄光を現していくことです。
 主の祈りに「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」とあります。神様の御心は天にある。その御心を問い、それが仮に自分の思いではないけれども、神様のご栄光を現すことになるのであれば、従っていくということです。そこに神様のご栄光が現され、神様、そして私たち、教会の喜びが与えられる。外に立つ者から、主イエスを中心とした教会に招かれた。時に、その喜びを忘れることがあります。しかし、主は、私たちを、み言葉にて立ち返らせ「神様の御心はここにありますよ」と、おっしゃる。その恵みに答え歩む時に、天にある喜びが地にても与えられます。
 西千葉教会の一階の和室に掛け軸があります。「人の心には多くの計画がある。然し、ただ主のみ旨だけが堅く立つ。」箴言19章21節のみ言葉です。西千葉教会をはじめ、世界の教会が主の言葉によって召し集められ、喜ばしき福音に力づけられ、励まされますように。西千葉教会に新来者が与えられ西千葉教会の皆様方と共に主を中心とした礼拝を捧げ、共に主の御心を問い、主に生かされて歩むことが出来ますようお祈りいたします。

文:川添義和 副牧師