OH、HAPPY DAY !
2021年12月
ゴスペルの定番とも言えるこの名曲、皆さんもこれまで何度か聞いたことがあるでしょう。「Oh, Happy day, When Jesus washed my sins away」〈イエスさまが私の罪を洗い流してくれた。何と幸せな日だろう!〉これが「Oh, Happy Day」の意味です。映画「天使にラブソングを2」で熱唱されるシーンは圧巻でした。
この中で歌われる「罪」とは、いわゆる犯罪のことではなく、人間の心の中に沸き起こる悪しき思い―つまり憎しみ、嫉妬、怠惰、慢心、差別、偏見―のことで、それが聖書の言う「罪」です。愛さなければならないのに憎んでしまう心、信じなければならないのに疑ってしまう自分、信頼に応えなければならないのに裏切ってしまう私、希望を持たなければならないのに絶望の中で投げやりになってしまう日常生活。そういう様々な「罪」をイエスさまが十字架にかかることによってゆるしてくださった。「Oh, Happy Day」は、その喜びを全身全霊で歌っているのです。
しかし「罪がゆるされた」とは、「いいよ、いいよ。ゆるしてやる。無かったことにしてやるよ」ということではありません。それでは本当の「ゆるし」にはなりません。そうではなくて、本来、「ゆるしとは変えられる」ということだと思います。「Oh, Happy Day」では、先の歌詞に続いて次のように歌われます。「He taught me how to watch, fight, and pray. And live rejoicing everyday.」〈彼は教えてくれた。いかにして物を見、闘い、そして祈って、生きていくか、ということを。そしていかにして毎日を喜んで生きていくか、ということを。〉
この歌を歌ってきたアフロアメリカンの人たちは苦渋に満ちた歴史を強いられてきました。肌の色が黒いというだけの理由で差別され、偏見によって貧しさの中に追いやられ、とても「Happy」とは言えない状況の中で生きてきた人たちでもありました。そんな現実の中で、絶望し、憎しみと怒りに我を忘れ、愛を見失い、投げやりになってしまう自分たちの心を、でもイエスさまは変えてくれる(罪をゆるしてくれる)。そしてそんな辛い中でも、いかに人間らしく生きることが大切であるかを教えてくれる。そのことを知ることができた、だから「Happy」なんだ! その気持ちを胸に抱きながら勝利を望み、前を向いて生きよう! そんな思いを込めて歌われ続けてきた希望と喜びと感謝の歌です。
誰にでも辛い体験の中で自分の心の中に沸き起こってくる悩みや苦しみがあります。でもそれを乗り越え、その先に見出すことのできる本当の生きる喜びを歌うのが「Oh, Happy Day !」なのです。辛い体験をしたからこそ歌える「Happy」には恐れがありません。
昨年に続きコロナに翻弄された2021年でしたが、だからこそ全世界のすべての民のためにお生まれくださった神の御子という「Happy」によって締めくくられる年となりますよう、祈っています。
「わたしは逆らわず、
退かなかった。
打とうとする者には
背中をまかせ
ひげを抜こうとする者には
頬をまかせた。
顔を隠さずに、
嘲りと唾を受けた。
主なる神が助けてくださるから
わたしはそれを嘲りとは
思わない。
わたしは顔を
硬い石のようにする。
私は知っている
わたしが辱められることはない、と。
わたしの正しさを認める方は
近くいます。
誰がわたしと共に
争ってくれるのか
われわれは共に立とう。
誰がわたしを訴えるのか
わたしに向かって来るがよい。
見よ、主なる神が助けてくださる
誰がわたしを罪に定めえよう。
お前たちのうちに
いるであろうか
闇の中を歩くときも、
光のないときも
主の御名に信頼し、
その神を支えとする者が。」
(イザヤ50:5‐10)
文:真壁 巌 牧師