日本キリスト教団

西千葉教会

2023年 年間主題聖句

2023年1月

 

ルカによる福音書 12章32節

 2023年の年間主題聖句として、ルカ福音書から表題の聖句が示されました。新型コロナウイルス影響下の歩みが四年目に入ろうとする中、今年もウィズコロナの歩みとなることが予想されます。昨年は旧約の預言者(第二イザヤ)に託された御言葉「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」(43:19a)を通して、過去を懐かしむ民としてではなく、すでに始まっている神様の新しい御業を信じて歩む希望と励ましを与えられました。

 今年は主イエスご自身の御言葉(冒頭句)になります。ここで主は「小さな群れよ、恐れるな」と呼びかけられます。クリスチャン人口が1%の日本で、西千葉教会は決して小さな群れではないと思います。しかしそれは人数の大小ではありません。主イエスはマタイ福音書で「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける」(10:42)と言われました。つまり主は弟子本来の姿として「小さな者」を挙げられているのです。

 では「小さな者」とは誰なのでしょう。子どもを祝福された主イエスのことですから、子どもを指しているのかもしれません。あるいは飼い主のいない羊のような群衆を見て深く憐れまれた主イエスですから、社会的、経済的、精神的に追い詰められた弱い立場に置かれた人々を指しているとも考えられます。しかし主イエスは「小さな者」を、冷たい水一杯でも飲ませてくれるのを待っている者だと言われたのです。

 水一杯への期待と言われても、私たちにとっては現実的でないかもしれません。しかしパレスチナの灼熱の太陽の下で生きなければならなかった人々にとっては、よく分かったことだったのでしょう。彼らは水一杯によって生死を分ける命のはかなさを知っていました。

 日頃、私たちは命そのものよりも、命の装いである地位や財産に気を取られているように思います。主イエスが「なぜ、食べ物や衣服のことで思い悩むのか」(ルカ12:23)と嘆かれた通りです。ですから、水一杯に期待している「小さな者」とは装いではなく命そのものを大切にしている人であり、「鳥や野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない」(同27)と言われた主イエスの言葉をしっかり心に留めている者と言えるでしょう。

 ところで、父なる神様が喜んで与えてくださる「神の国」とはどこにあるのでしょう。主の祈りで「み国を来たらせたまえ」と祈りますが、この「み国」こそ「神の国」のことで、「神の支配」を意味します。その支配は恐れとは反対で、天地万物を創造し、私たちを造られた神様がこの世界を深い愛で満たされ、いつも守り導いてくださっていることを表しています。

ある日、主イエスは子どもたちを招いて「神の国はこのような者たちのものである」(マルコ10:14)と語られ、はっきりと「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」(同23)と言われました。神の国が力ある者や大きな働きをなす者に対してではなく、小さな者、自分を低くする者にこそ約束されていることが示されていると思えてなりません。

だから私たちは今もこれからも主を信じる群れ(教会)の小ささに臆することはありません。むしろ

「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」との御言葉を繰り返し聞いて歩む教会でありたいと願います。 

 そして神の国(支配)は主イエスがこの世に来てくださったことによって既に到来しているのです。ですから主は「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17:21)と言われました。でもまだこの世の全ての人が神の愛に応えているわけではありません。私たちは神の国の完全な到来を待ち望みながら「すでに」と「いまだ」の間を生きる群れなのです。

 今年一年、与えられた年間主題聖句を心に刻み、しっかり地に足をつけ、世のために祈りましょう。

 最初のクリスマスにヨセフとマリアが、そして羊飼いたちも聞いた「恐れるな」という言葉は聖書に365回出てくるそうです。今日から始まる2023年も毎日、主イエスは告げてくださるはずです。

文:真壁 巌 牧師