同じ空気を吸って
2023年07月
イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
ヨハネによる福音書 20章21節〜22節
ヨハネ福音書の記者は、使徒言行録を書いたルカとは違う聖霊降臨の書き方をしています。ルカによれば、主イエスの復活から聖霊降臨まで五十日間という時間がありました。しかしヨハネは主の復活の出来事の中で、弟子たちへの聖霊降臨を語っています。つまり復活と聖霊降臨が同時なのです。
主イエスが十字架の上で殺された後、弟子たちはユダヤ人たちを恐れて、自分たちの家に閉じこもり、鍵をかけてじっとしていました。そこへ突然、主イエスがすっと入って来られたのです。弟子たちはどんなに驚いたことでしょう。
それ以上に彼らは主イエスに対して、合わせる顔がありません。この箇所で「イエスさま、迷わず成仏してください」と題して説教した牧師を知っています(笑)が、この時の弟子たちの心中はそんな感じだったのかもしれません。
しかし主イエスは彼らの真ん中に立って、こう言われたのです。 「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす(冒頭聖句)。」そうおっしゃってから、彼らにフウッと息を吹きかけられたのです。ヘブライ語でもギリシア語でも「霊・風・息」は同じ言葉です。ヨハネ福音書ではこの瞬間、つまり主イエスの復活の瞬間と同時に聖霊降臨が起こったということになります。復活の主イエスの口から出た息を弟子たちは聖霊として受けたのです。使徒言行録より直接的な描き方ですが、ルカのような続編のないヨハネにとっては、これが最もよい聖霊降臨の証言だったと思えます。
教会はこの世的に言えば、主イエスを信じる人々の共同体です。しかしもっと正確に言えば、聖霊を受けて主イエスに召された人々の群れです。たとえ自分の意志でここへ来たと思っていたとしても、実は神さまの見えない導きによってここに招かれ、主の群れに加えてくださった。それが教会です。そしてこの群れは常に神の息を受けて生かされているのです。
数年前、ある神父が寄稿された文章に心洗われる思いがしました。
「風が吹く。ときに激しく、嵐のように。ときに穏やかに、そよ風のように。すべてのものは風となって吹き寄せる空気を呼吸する。息はいのち。息は愛情。(中 略)まさに弟子たちが聖霊降臨の日に呼吸した空気を、あらゆる時代の、あらゆる場所のキリスト者たちも、二千年かけて呼吸し続けてきたのであり、同じ空気を私たちも呼吸している。もはや、神の慈しみの息吹と無関係な場所も時代もありえないのだ」(阿部仲麻呂)。
私はこの文章を読んで、ハッとさせられました。主イエスが呼吸されたその空気は、今日この時まで私たちのいる所にまでつながっています。主イエスが弟子たちに向かって吹きかけられたその息は弟子たちの中に入り、弟子たちの息となり、今私たちが吸っている空気も、その息を共有しているのです。空気は時代を越え、場所を越えて、世界中へ広がっています。二千年前と今日を生きる私たちとの不思議な一体感が生まれます。
今年度数名の教友を天にお送りしましたが、私たちが呼吸しているこの空気は、すでに天に召された方々が呼吸しておられた空気とつながっているのです。その方々にいのちを吹き込まれた方の息を、私たちはまた吸っている。その方々を生かした霊が、私たちにも働いて、私たちを生かしている。そして主イエスの息とつながり、弟子たちの息とつながっています。信仰の先達が呼吸されたその空気を、私たちも同じように呼吸して生かされていることに深い感動を覚えます。
「神の息よ われを生かし
つねに主のものと
ならせたまえ」
(讃美歌21-348:4)
文:真壁 巌 牧師