日本キリスト教団

西千葉教会

世の光・地の塩

2023年08月

 「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」の中に次の一節があります。
 「『世の光』『地の塩』である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい批判をなすべきでありました。しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを内外に向かって声明いたしました。まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました…」。
この部分は、マタイ5の13以下の「地の塩・世の光」の具体的な応用と言えます。「塩」は腐敗を防ぎ、一つまみ加えるだけで食べ物のうま味を引き出します。正にそのような役割を教会は果たすべきだ、と言っているのです。
 「世の光」についても同様です。たった一本の蝋燭の明かりでも、「家の中のものすべてを照らし」、物があるべき所を明らかにします。まさに教会はこの世でそのような役割を果たすべきことが求められているのでしょう。
 日本のキリスト教人口は全人口の僅か1%と言われます。頼りないほど小さな数です。しかし、たとえどんなに少数であっても、教会には神さまから託された使命が与えられているのです。ちょうど少量の塩が重要な役割を果たすように。また、たった一本の蝋燭が「家の中のものすべてを照らす」ように。この考えに立って「戦争責任告白」は、「『世の光』『地の塩』である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした」と告白したのです。これは、聖書に照らしても正しいことと言えます。
 しかし「わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。当時の教会の指導者たちは、この政府の要請を契機に教会合同にふみきり、ここに教団が成立いたしました」。日本基督教団は今年6月で創立82年を迎えましたが、教団は政府の要求に従い、戦争に協力するために成立させられ、「教団の名においてあの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを声明した」のです。 
 政治思想家の宮田光雄氏は『権威と服従』の中で、こうした人々の発言を丹念に資料に当たって紹介しています。それによれば、ある人は『古事記』の神話を用いて、天照大神と「世の光イエス」とは同じだとか、天照大神の「天岩戸隠れ」はイエスの復活に類似しているとか、「天孫降臨」は神の子の受肉と同じだとかいう「こじつけ」を行なったことが指摘されています。彼らによれば、日本は真の神の国であり、満州事変は天の摂理だと言った軍部指導者の主張に全面的に同意した人も多くいました。
 その一方で「世の光」「地の塩」として立派に役割を果たした人々もいました。宮田氏は彼らのことも敬意をこめて紹介しています。 内村鑑三、高倉徳太郎、矢内原忠雄、村田四郎、鈴木正久等です。その上で「私は、中でも柏木義円(1860‐1938)に注目させられた。柏木は同志社を出て群馬県安中で牧師となり、生涯一貫して戦争反対を唱え、天皇制国家を批判し続けた人物である。彼らは、我々の教会にとって疑いなく〝正の遺産〟であり、これを正しく相続することによって大きな力を受けることは間違いない。しかし、我々は〝負の遺産〟も相続しているのである。それを認めることは実に辛いことであり、できるなら目をそらしたい。しかし、過去の罪責を乗り越えるためには、臭いものに蓋をするわけには行かない。それと誠実に向き合うことが、唯一の道なのである」。
 近年、柏木義円は「真の平和主義者」として注目されています。失敗をするのが人間です。それを覆い隠そうとする時、人間は過ちを繰り返し、そればかりか神にさえなろうとするのです。教会はたった1パーセントであっても、その塩味を失うことなく、また小さくとも世を照らす主なるイエス・キリストの光を指し示し続ける群れでありたいと切に願います。

文:真壁 巌 牧師