日本キリスト教団

西千葉教会

すべてを全うする愛

2023年11月

 愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。

ローマの信徒への手紙 13章10節

 150年も前、札幌での話です。今の札幌は大きな建物が立ち並ぶ大都市ですが、その頃はまだ住む人も多くはありませんでした。そこに新しく学校ができました。日本中から若者を集めて、これから北海道のあちこちで働くことができるよう、特別の学校が作られたのです。
 新しい学校の校長はウィリアム・S・クラークという人でした。アメリカ人のクラークは札幌で新しい学校を作るため特別に呼ばれ、一年間だけの約束で日本に来たのです。彼は大きな夢を持って日本に来ました。そして新しい学校の生徒たちに勉強だけでなく、主イエスのことを教えようと願っていました。だからアメリカから聖書を何十冊も持ってきたのです。
 新しい学校の最初の生徒になるために20人ほどの若者が集められました。皆とても元気がよくて、勉強もよくできる若者たちでしたが、はしゃぎすぎて、入学式の前から色々と教師たちを困らせました。心配した教師たちは校長先生に相談しました。「新しい学校にも、きちんと校則を作り、それを守れなかったら厳しく罰するようにしましょう。そうでないと、生徒たちはどんどん悪い人になってしまいます」。ところが、クラーク校長はこう言ったのです。「この学校に校則は要りません。ただ一つ、生徒たちに守ってほしいのは『ジェントルマンになりなさい』ということだけです」。
 「ジェントルマン」とは日本語で「紳士」ですが、自分で良いと思ったことを大切に守り、他の人たちのために進んで何かをすることのできる人です。クラーク校長は校則をたくさん作って生徒たちに守らせるより、一番大切なことを生徒たちにきちんと分かってもらいたいと考えたのです。
 クラーク校長は、それから生徒たちに聖書を一冊ずつ配り、毎日心を込めて聖書を教え始めました。生徒たちもやがて神が自分たちや他人々のことを、どんなに大切にしてくださっているかを知るようになりました。そして自分のことも他人のことも大切にできる「ジェントルマン」になりたいと心から願うようになったのです。
 旧約聖書中、最も大切な律法は「十戒」です。出エジプト記には エジプトでの奴隷の境遇から神によって奇跡的に救い出されたイスラエルの人々に神の民として生きるための指針として「十戒」が与えられたことが記されています。「あなたにはわたしの他に神があってはならない」に始まり「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな(偽証するなと父母を敬えはここでは省略)」という基本的な戒めから成るこの「十戒」をもとに社会的・宗教的な定めや戒めが詳細に定められ、そのすべてが「律法」として重んじられてきました。
 しかし、人間の心の狭さはたちまち律法を空しくつまらないものにしてしまいました。信仰生活が、「律法を守っているかどうか」に集約され、どれだけ律法を守っているかで人を判断するようになっていきます。聖書にいちいち書かれていない細かい事柄について詳細な規程が作られる一方、様々な抜け道も考え出されました。何より律法の前提であった、人間を救ってくださる愛に満ちた神との活き活きとした出会いの感動が、律法の背後にしりぞけられてしまったのです。本来の律法の意味からは遠くかけはなれてしまった「律法主義」は、神のイメージを冷たく恐ろしいものとし、また隣人との間に裁きと隔たりをもたらすものとなってしまったのです。
 主イエスの教え、またその十字架の死と復活はこのような「律法主義」を乗り越え、もう一度、愛なる神さまとの喜ばしい出会いと、共に生きる隣人との豊かな交わりを回復させるものでした。そのことを端的に言い表したのが、冒頭に記されたパウロがローマの信徒に宛て記した手紙の一節なのです。

文:真壁 巌 牧師