ビロード うさぎ
2024年12月
神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
ヨハネの手紙一 4章9節
クリスマスになると読んであげたくなるマージェリー・ウィリアムズの『ビロード うさぎ』(石井桃子訳)というお話を紹介します。
ある年のクリスマスのこと、男の子がもらったプレゼントの中に、ビロードでできたうさぎの縫いぐるみがありました。でも、男の子は最初に少しだけこのうさぎを相手に遊んだきり、あとはゼンマイで動く機関車や本物そっくりのボートの模型など、新式のおもちゃに夢中になってしまい、うさぎの縫いぐるみのことはすっかり忘れ、長い間、戸棚の中にしまわれたままになってしまいました。だから、この縫いぐるみは、自分はつまらない、見栄えのしない存在で、他の新しい機械仕掛けのおもちゃの方がずっと素晴らしい存在なんだと思いこんでいたのです。こんなビロードうさぎにとても親切にしてくれたのは、男の子のお父さんの代からこの家にいる、古ぼけた木馬でした。
ある日、うさぎの縫いぐるみは、木馬のおじいさんに尋ねます。「みんな、自分たちは本物だって自慢してるけど、本物ってどんなもの?」木馬はうさぎに教えます。「本物っていうのは、わたしたちの心と体に何かが起こるってことなんだ。もし、そのおもちゃをもっている子どもが、長い長い間、そのおもちゃをただの遊び相手ではなくて、心から可愛がっていたとする。すると、そのおもちゃは、本物になるんだ。」つまり、本物とは、はじめからそのようにできているんじゃなくて長い時間、愛されることによって、なっていくものなんだと、木馬は答えたのです。
うさぎは更に尋ねます。「そうなる時、苦しい?」「時にはね。でも、本物になると、苦しいことなんか、気にしなくなるんだよ。」「ネジを巻いた時みたいに、急にさっと変われるの?それともだんだんそうなるの?」
「急にはならない。だんだんになるんだ。だからとても長い時間がかかるんだ。たいていの場合、おもちゃが本物になる頃には、そのおもちゃは、それまであんまり可愛がられたので、体の毛は抜け落ち、目はとれ、体のふしぶしはゆるんでしまったりして、とてもみっともなくなってしまうのさ。でもそんなこと、すこしも気にすることじゃないんだよ。なぜなら、本物になってしまえば、もうみっともないなんていうことは、どうでもよくなるからさ。それが分からない者たちには、みっともなく見えてもね。」
さて、そんなある日、男の子が伝染病の猩紅熱にかかってしまいます。男の子はその病床でもうさぎの縫いぐるみをしっかりと抱き続けていました。でもそのために消毒されなくてはならなくなり、火の中にくべられることになってしまいます。それを知ったビロードうさぎは悲しみました。どんなに愛されても、おしまいがこんなんじゃ意味ないよと思いました。そして、目から涙が、不思議なことですが、本物の涙が一粒落ちるのです。すると、涙が落ちたところからたちまち一輪の花が生まれ、そこから妖精が現れました。そして、ビロードうさぎに「あなたを本物にしてあげます」と約束してくれるのです。「ぼくは、今まで本物じゃなかったの?」そう、ビロードうさぎは妖精に聞きました。すると妖精は答えます。「ぼうやにとっては、本物でした。ぼうやはあなたが大好きでしたから。でも、これからは、だれがみても本当のうさぎになるのです。」
妖精はビロードうさぎを森に連れて行き、一羽の本物の野うさぎにしてくれました。この物語は、命のないものが命を与えられ、それが本物になるということを伝えています。その命とは、死によっても滅ぼされない命のことです。
そしてそれを私たちに与えてくださるのは子ども部屋の妖精ではありません。イエスさまを通して、私たちを本気で愛してくださった神さまの愛によってです。
文:真壁 巌 牧師