2025年 年間主題聖句
2025年1月
これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
コロサイの信徒への手紙 3章14節
2025年の主題聖句として、新約聖書コロサイの信徒への手紙から表題の聖句が示されました。この手紙は長い間、劇的な回心を遂げた使徒パウロの手紙とされてきましたが、近年は「パウロの名による手紙」とされ、著者はおそらく師であるパウロの思いを胸に記したと考えられます。
コロサイは、現在のトルコ南西部にあった町で、早くから住んでいたフリギア人や紀元前にバビロンから強制的に移住させられたユダヤ人たち、後に移り住んできたギリシア人たちという互いに異質な人々が住んでいました。つまり、コロサイには様々な文化、宗教、価値観が混ざり合った国際的な町でした。そのような地域に建てられた教会の人々に対して、著者はパウロの思いを汲み取りながら、人々が生きる指針を獄中(4:3)から書き送りました。そこで文中では著者をパウロと表記します。
12節から始まる文脈の中で、あなたがたキリストを信じる者は「神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」と勧めています。
「憐れみの心」とは話している相手に共感し、口をはさんで批判や非難をしないことです。「慈愛」は「親切」と同じで、自分の言動や行動を慎むということで しょう。
そして「謙遜」は自分よりも他者を大切に思う心を指し、「柔和」は自分のことを押し通す、自己主張の反対語です。最後の「寛容」は13節に「互いに忍び合い」とありますが、ここに挙げているような態度をキリストにあって身に付けなさいと勧めているのです。
さらにパウロは「赦す」ことを身に着けなさいと勧めています。キリスト教信仰の特徴は「赦し」にあるかもしれません。自分に不義を行なった敵を赦すことは決して簡単ではありませんが、赦すことより赦せないことの方が自分に悪い影響を及ぼすことがあります。赦すことにより、心に平安が与えられることを経験するのです。
パウロは、ここまで人に対する接し方や態度について説いてきましたが、その頂点として冒頭の聖句(14節)を明言しています。
聖書協会共同訳では「愛はすべてを完全に結ぶ帯です」となりましたが、この「愛」には「アガペー」が用いられています。この言葉は神の愛を現わすと言われますが、人が愛する場合にも用いられます。ここでも「アガペー」は、私にとってあなたは何よりも大切な存在ですという思いで相手と関わるときに「すべてを完全に結ぶ帯」となることを教えているのです。
新共同訳で「きずな」と表記されたこの言葉は「ひもをぐるぐる巻いて絡めること」に由来します。そこから「人を束縛する人情」を現わすようになり、本来はあまり良い意味ではありませんでした。それをあえて積極的な意味を持つ言葉として、励ましに満ちた力強い慰めとして語っているのです。この言葉によって伝えたいことは、相手を思いやり、大切にする、真実の愛によって結ばれる関わりとも言えるでしょう。
それは二人三脚で結ぶひものように、締め付けすぎても緩すぎてもダメで、それを結んで一緒に進んで行く者たちがお互いの呼吸やリズム、歩幅や方向を常に確かめ合う配慮が求められるはずです。
神の愛というきずなに結ばれている私たちには、神と隣人と共に人生というフィールドを歩んで行くことが求められているからです。
その上でパウロは、「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい」(一五節)と結びました。
2025年に神が私たちに求められていることを自覚しましょう。今も神の目が注がれるこの世界にまことの平和を実現するため、キリストの平和を祈り求めるために招かれている恵みの事実を。
主よ、与えられた新たな年、
あなたからの愛、あなたと
隣人を愛する歩みを通して
世界を一つにしてください。
文:真壁 巌 牧師