日本キリスト教団

西千葉教会

悪魔の正体

2025年4月

 すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」

マタイによる福音書 4章10節

 サタンは「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言いました。しかしサタンが世界とその栄華を本当に所有しているのでしょうか?サタンが自由に誰かにあげることができるものなのでしょうか。私たちが心に留めておくことは、「悪魔は嘘つきだ」ということです。サタンは世界を所有などしていません。世界は神さまのものです。「見よ、天とその天の天も、地と地にあるすべてのものも、あなたの神、主のものである」(申命記10:14)とある通り、全ては主のものです。
 しかしサタンは、それをまるで自分が所有しているかのように言うのです。ここに嘘があります。
ですからこのサタンの誘いを聞き入れるなら、その時その人は、サタンが世界の所有者であることを受け入れてしまうことになります。つまりサタンに世界の支配者であるような地位を与えるのは人間なのです。「これをみんな与えよう」という誘いに乗せられて、サタンがこれらのものを持っていると錯覚してしまうのです。ある神学者が本にこう書いていました。「サタンを呼び出すのは人間の罪である」と。まさに人間の欲望が、その罪が、サタンに世界の支配者という地位を与えてしまうのです。 
 この「サタン」という言葉を置き換えて見れば分かると思います。サタンの代わりに「富」や「お金」という言葉が入るかも知れません。あるいは「地位」や「名声」という言葉が入るのかも知れません。そう、神ではなく、富や名声を第一に拝め。それを手に入れたら何でもできるのだ、と。
 主イエスはそれに対し「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」ときっぱりはねつけました。この言葉は、旧約聖書全体のテーマです。旧約聖書に何が書いてあるか、それを一言で言うならば、「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」に尽きるのです。
 この時、主イエスは「ただ神にのみ服従していくこと」をはっきり宣言されました。神は愛であるということを知っておられたからです。私たち一人一人を救うことができるのは神以外にはあり得ないことを知っておられたのです。ですから主イエスはその行く手に十字架があったとしても、神にすべてを委ねたのです。
 サタンはひとりも救うことができません。愛がないからです。サタンは私たちを愛していません。しかし主イエスがサタンを退けたとき、そこには愛がありました。全く神に従って、この滅び行く私たちと同じになられたという愛です。どこまでも私たちと共に行こうという愛です。十字架にも上ろうという愛です。死の果てまでも行こうという愛です。その主の愛が私たちを救うのです。その主イエスの愛が今日の聖書に現れています。
 主イエスが「退け、サタン!」と言われた時、サタンは退かざるをえませんでした。その時、御使いたちが来てイエスさまのみもとに仕えたと書いてあります。悪魔の誘ったこの世の栄華を主イエスが放棄した時、主イエスは幸福を失ったのではありません。その逆です。神の御使いが来て、主イエスに仕えたのです。私たちがこの主イエスに従って行こうとする時、私たちは喜びや幸福を失うのではありません。サタンはそのように脅かすかも知れません。しかし私たちが、私たちを愛してくださっている主に従って行こうとする時、やはり御使いが来て助けてくれるのを体験していくことができるのです。この世の何者も与えることのできない幸福が私たちを包んでいるのを発見していくのです。
「退け、サタン! ただ主に仕えよ」。この叫びは、実は悪魔に対して言われたというよりも、この世を生きる私たちへの励ましのエールなのではないでしょうか?

 主よ、受難節の歩みの中で、絶えず高さ強さを求めようとする私たちを憐れみ、十字架の死に至るまで従順であられた御子イエス・キリストの下に置いてください。

文:真壁 巌 牧師