日本キリスト教団

西千葉教会

思い通りにならない時

2025年07月

 きっと誰にでも思い通りにならない時があるでしょう。志望校に入れなかった、希望した会社に入れなかったという痛みを経験した人もいるはずです。その上で、あの大伝道者パウロも思い通りにならない行き詰まりを経験した人でした。行きたい所へ行けず、やむなく「トロアスに下った」というのです。その原因は「御言葉を語ることを聖霊から禁じられ」、「イエスの霊がそれを許さなかった」からでした。驚かされます。熱心に伝道しようとしていたパウロを、なぜ主イエスが妨げたのでしょうか。
 私たちは自分の思い通りになる順調な時には、これは主のお導きだと感謝しますが、そうでない時には気落ちして、それが主の御心だと受け入れられなくなる時があります。しかし、聖書はそんな行き詰まりの中でこそ、静かに主の御心を尋ね求めることを求めているのかもしれません。
 パウロにとってトロアスとは当初は行くつもりのない場所でしたから、行き詰まりの象徴でもありました。その先は海でした。しかしそのトロアスからマケドニア(ヨーロッパ)行きの船が出ているのです。つまり行き詰まりの象徴であるトロアスは、同時に新しい道が備えられる場所となったのです。実際パウロは幻の中で一人のマケドニア人と会い、世界宣教への幻(ヴィジョン)を示されるのですが、一説ではこの人が後にパウロの主治医として伝道の助け手となるルカであったと言うのですから驚きです。迂回と思えた道でしたが、そこにこそ恵みのご計画があったのです。
 もしもここでパウロがルカと出会わず、自分が思った通りの道に進んでいたとしたら、彼の健康管理をする人もなく、早くにこの世を去っていたかもしれません。それだけでなく、もしパウロがトロアスで幻を見なければヨーロッパ伝道も実現せず、キリスト教が世界宗教になることも、日本に福音が伝えられることもなかったかもしれません。だとすれば、この回り道は救いの順路です。

ベルガモット 別名タイマツバナ
 花言葉「燃える思い」

 人は誰でもトロアスを経験することがあります。でもそんな行き詰まりの時だからこそ神さまのご計画の中に置かれていること、これからの歩みも間違いなく神さまの計画があることをしっかりと心に留めたいと思います。
ある牧師の言葉です。「私たち、は皆、直接マケドニアに行くことはできない。いつもトロアスを経由して渡って行くのだ。」年を重ねるほど、実感できる言葉です。思い通りにならない時でも、神さまの御手に包まれていることを信じましょう。
 世の中では、予定を変更せず、計画通りに歩む人が評価されるのかもしれません。確かに予定を変更しない人は立派だという印象がありますが、冷たい感じもします。逆に予定を変更できる人にこそ、優しさや思いやりを感じることがこれまで多くありました。
 主イエスもいつも予定変更を強いられたお方でした。旅の途中で呼びかけられ、衣の袖を引っぱられて歩みを止められたこともあります。しかしそこで出会いが生じ、寄り道をし、歩みを止められた主イエスに、人々は愛を感じたのです。そして最後に大きな予定変更がありました。それは十字架です。十字架上で主イエスは、「わが神、わが神、なにゆえ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれました。それは「どうして予定変更をなさったのですか」という叫びのようにも聞こえます。
 しかし神さまは、主イエスを復活させられました。もちろん、神さまの側からすれば、十字架も復活も予定通りのことだったかもしれませんが、私たちには全く驚くべき予定変更の出来事でした。
 聖霊によって知らぬ間に予定変更の道に押し出されたパウロも、やはり予定変更の生涯を送られた主イエスに従うことになったことを実感したことでしょう。

文:真壁 巌 牧師