人が失敗する時
2026年03月
それから、弟子たちに言われた。「私に付いて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従いなさい。 自分の命を救おうと思う者は、それを失い、私のために命を失う者は、それを得る。 たとえ人が全世界を手に入れても、自分の命を損なうなら、何の得があろうか。人はどんな代価を払って、その命を買い戻すことができようか。
マタイによる福音書 16章24節〜26節
ある時、主イエスは「サタン、引き下がれ」と、ペトロが驚くような厳しい言葉で叱責されました。しかしこの厳しさの中にこそ、主イエスの愛情があったと言えます。
ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と立派な信仰告白をして誉められた直後に、今度はこんな失敗をして叱られたというのは決して偶然ではありません。私たちもそういう時にこそ、道を外しやすいからです。しかも、なかなかそのことに気づきません。
主イエスは荒れ野で断食をされた時にもサタンの誘惑を受けられ、「退け、サタン」(4:10)と一喝なさいました。ここではペトロに対して「サタン、引き下がれ」と言われたのです。「退け」と「引き下がれ」には、日本語としてあまり意味の違いはないと思われます。しかし敢えて言えば、「退け」には「どっかに行け」という意味が含まれます。それに対して「引き下がれ」には、「引き下がって、そこにいなさい」という意味になるのではないでしょうか。
原典を見ますと「サタン、引き下がれ」の文章には、「退け、サタン」にはない言葉、「私の後ろに」という言葉が加わっているのです。ペトロは、主イエスに対して出しゃばりすぎでした。主イエスが神の御心をお話しになっているのに、ペトロは自分の感情や願いを主イエスに押しつけようとしたのです。だから主イエスは、「もう一度、私の後ろに引き下がって、そこにいなさい!」と命じられたのです。
それだけではありません。かつて主イエスが、漁師だったペトロを弟子にされる時、「私に付いて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(4:19)と言われました。 実は、この「私に付いて来なさい」という言葉の中にも、原典には 「私の後ろに」という言葉があるのです。
つまり、「私の後ろに引き下がりなさい、そこがあなたの場所だ」というだけではなく、そこから私に付いて来なさいという招きがあるわけです。「サタン、引き下がれ」というのは、まことに厳しい言葉のように響きますが、主イエスは決してペトロを退けたのではなく、「私の後ろから付いて来なさい。従って来なさい。ほら、追い越さないで!」と、深い愛情をもって招いてくださっているのです。
花言葉は「秘められた感情」「忍耐」
私たちも、このペトロのように主イエスから厳しく叱責されるように感じることがあるでしょう。しかしそういう時、その厳しさの中に、主イエスの愛情があるのですから、もう一度出発点に戻って、私の後ろからしっかり付いて来なさいという主の招きがあるという恵みを知ってほしいと思います。主イエスはペトロを叱った後に、弟子たち全員に向かって、「私に従いなさい」(冒頭聖句)という招きを語っておられるのですから。
ここで主イエスは、全世界と一人の人間の命を天秤にかけてお話しになっておられるようです。 そして一人の人間の命というのは、全世界をもってしてもその代償にはできない、それほどに重たいものだと断言しておられるのです。
にもかかわらず、今の時代はあまりにも命が軽視されています。自分の命、そして他人の命もです。
いつ収束するのか分からない国と国との争いもそうですが、「親に叱られたから、死んでやる!」「親を殺してやる!」「誰でもいいから殺したい!」という憎悪が周囲を覆っています。とても悲しいですね。
私たちはこんな社会に子どもたちを送り出して行かなければならないのです。しかし、だからこそ御言葉をしっかり心に留め、主イエスご自身の御心を子どもたちに伝えてゆく責任があるのです。
主イエスは私たちの命を全世界より重いものとして尊んでくださる御方です。だからこそ、時には厳しく叱り、誰一人失うことなく、父なる神のもとに連れ戻そうとしてくださっているのです。
文:真壁 巌 牧師