そんな あなただから
2026年05月
主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を遣い、思い煩っている。 しかし、必要なことは一つだけである。マリアは良いほうを選んだ。それを取り上げてはならない。」
ルカによる福音書 10章41節〜42節
マルタは妹のマリアと一緒に暮らしていました。マルタは何でもできるしっかり者。マリアはもの静かでやさしい人でした。二人は仲良しで、主イエスとも親しかったようです。ある日、二人の家へ主イエスが来られたので、二人は大喜びでお迎えしました。
主イエスと弟子たちをマルタが案内します。全員が席に着くと、マルタは妹を主イエスのそばに座らせ、台所にとんでいきました。
しかし今日はなぜかうまくいきません。パンはこがし、水はこぼし、野菜は虫に食われ、お皿は落として割ってしまうという有様でした。
ふと見ると、奥の部屋で主イエスがお話しています。マルタの目には弟子たちといっしょに主イエスのお話を聞いているマリアの姿が映りました。「マリアはさっきからお弟子たちといっしょにお話を聞いているだけ」と思ったとたん、怒りがこみ上げてきました。そのうえ、マリアのことがすごくうらやましく思えてきました。気がつくとマルタは、つかつか前に進み出て、つんつんした声を主イエスに向けていました。「主よ、妹は私だけにおもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるように、おっしゃってください」(40節)。
その時、主イエスは静かに「マルタ、マルタ」と呼びかけられたのです(冒頭聖句)。この時のマルタの心中はどんなだったでしょう。
おそらくマルタは、突然大勢の客を迎えて大慌てだったに違いありません。そんな一人であたふたしているマルタを主イエスは温かい笑顔で見ていたように思います。もちろん、主イエスはおもてなしをするマルタの気持ちをよくご存じだったはずです。そう思うと、「マルタ、マルタ」と呼ぶ声は、穏やかで優しく聞こえてきます。
花言葉は「桜のようなバラ」
注目すべきは、カッとなったマルタに対する主イエスの呼びかけです。ここで主イエスは「マルタ、マルタ」と名前を二回繰り返して呼んでいます。実は、聖書の中でこんなふうに名前を重ねて呼ばれている場面は、そう多くはありません。使徒言行録九章に、教会の迫害者サウロ(後の使徒パウロ)が復活の主から「サウル、サウル」と呼びかけられて回心する場面が記されています。このような呼びかけ方には、神さまからの特別な恵みが表されていると考えられています。忙しさのあまり、妹のマリアを責め、しかも主イエスにさえ「何ともお思いになりませんか」と迫ったマルタが、なぜそんなふうに大事な呼びかけ方をされているのでしょう?
主イエスは大好きなマルタにも教えたかったのでしょう。たとえ一生懸命した奉仕の働きでさえ、主イエスの言葉を聞くことを失ってしまう時、主イエスを悲しませる結果となってしまうということになるのです。しかも、本当は主イエスに仕え、隣人を愛するためであったはずの奉仕が、主イエスに文句を言い、人を責めることになってしまうのです。
きっと主イエスは優しくこう言いたかったのだと思います。「マルタ、マルタ、あなたのおもてなしは嬉しいけど、本当はどんなごちそうよりも、あなたと話しをすることのほうが嬉しいよ」と。
それだけではありません。たとえ「いろいろなことに気を遣い、思い煩って」失敗してしまった奉仕であっても、主イエスは、「マルタ、マルタ、そんなあなただから、私の言葉をしっかり聞いておくれ!」と、愛する心をもって呼びかけられ、本来のありかたに立ち返らせてくださっているのです。
マリアはマルタを非難しません。終始沈黙しています。マリアはただ話す主イエスに相応しく自分の態度を選んでいるだけなのです。いろいろ言いたいこと、したいことはあったでしょうが、何よりも話される主イエスに相応しい態度を取っています。それこそ「必要なただ一つのこと」です。だからマリアは聞くことを選びました。
文:真壁 巌 牧師