キリストの昇天
2026年06月
こう話し終わると、イエスは彼らが見ている前で天に上げられ、雲に覆われて見えなくなった。 イエスが昇って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い衣を着た二人の人がそばに立って、 言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたイエスは、天に昇って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またお出でになる。」
使徒言行録 1章9節〜11節
イエス様は復活されました。そして、弟子たちの前に現れました。多くの話をしたのでしょう。そして、使徒言行録には「こう話し終わると」と書かれています。もうすでに語るべきことは語った。後は弟子たちに託しました。二人の人が言います。「なぜ天を見上げて立っているのか」。これは、今度は弟子たちお前たちの出番であるぞという意味です。イエス・キリストは生涯を通して多くのことを教えて下さいました。次は私たち弟子がいかにこの福音を語っていくか、それが求められています。
ここで「上げられた」と書かれている言葉は「神の受動態」と言われる文法で書かれています。つまり、イエス様ご自身が天に登ったのではなく「神」によって「上げられた」のです。他にも原文では、違う単語で「上げられた」という言葉が使われています。これはエノクやエリヤが天に上げられた時と同じ言葉が用いられています。
エノクという人物は創世記5章24節にこのようにあります。「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。」この文章は、系図が書かれている中で現れる言葉です。アダムが死んだ、ノアが死んだと明確に書かれている中で「神が取られたのでいなくなった」という含意を持たせて書かれています。
また、エリヤについてです。列王記下2章11節にこのようにあります。「彼らが話しながら歩き続けていると、火の戦車と火の馬が二人の間を隔て、エリヤはつむじ風の中を天に上って行った。」このエリヤの昇天から分かることはエリシャという「目撃者」がいたこと。火の戦車と火の馬の描写が細かいこと。また、外套を残していったことです。
これは、イエス様の昇天の時も弟子という「目撃者」がいて「雲に覆われて」という細かい描写があること。そして私たちに「聖霊」が与えられたということととてもよく似ています。
このようにイエス様はエリヤがエリシャを後継者として選んだように、弟子たちを後継者として選んだのです。
昇天はキリストの即位式である、という注解書がありました。ダニエル書7章13節にこのようにあります。「私は夜の幻を見ていた。 見よ、人の子のような者が 天の雲に乗って来て 日の老いたる者のところに着き その前に導かれた。」
ここで語られている「人の子」とはイエス・キリストのことです。つまり、ここでダニエルの預言は成就しているのです。
そして、最後に重要なことは「あなた方が見たのと同じ有様で、またお出でになる。」という言葉です。キリストは再臨されます。それも私たちが聖書で証されているように「同じ有様で」私たちの前に再び現れて下さるのです。
この昇天の前で私たちは今日的な課題をどのように解決するのか? 非科学的だと言って端の方に追いやってもいいのでしょうか?
あるいは象徴的に解釈するべきかもしれません。しかし、私はそのまま読みたいと思います。なぜなら、イエス・キリストは真の神にして真の人であり私たちには理解できない復活の体を持っていたのです。生きたまま天に昇り私たちのために取りなしの祈りを捧げておられる。科学が宗教を相対化しましたが、私たちは再びキリストの絶対的支配の中に戻っていくのです。その時、私たちは洗礼を促す弟子の一人になっているのです。
文:蓮沼 明伝道師