神が、あなたに与えたいもの
2026年08月
女は言った。「私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを知っています。その方が来られるとき、私たちに一切のことを知らせてくださいます。」 イエスは言われた。「あなたと話をしているこの私が、それである。」
ヨハネによる福音書 4章25節〜26節
Ⅾ・ボンヘッファーはドイツ人でしたが、世界全体の将来という視点からドイツが戦争に負けるよう真剣に祈りました。当然、それは一般のドイツ人には理解されず、彼は戦後、「民族に対する裏切り者」と言われました。主イエスも地縁血縁を超えた世界的な視点から物事を見たため、反感を買いました。そのため異邦人が多数を占めるガリラヤへ向かいますが、主イエスはわざわざサマリアを通る道を選んだのです。
サマリア人は元々ユダヤ人と同じ民族ですが、紀元前八世紀に大国アッシリアに滅ぼされて以来、宗教的にも純粋さを失ってユダヤ人から疎まれるようになります。少し情況は違いますが、今日のイスラエルとパレスチナのように、殆ど修復不可能な敵対関係にありました。そんな地域にわざわざ足を踏み入れ、水を汲みに来たサマリア人女性に声をかけたのも、主イエスが地縁血縁から全く自由であったからでしょう。
「正午ごろのことである」(6)とありますが、この地方では、日中の暑熱を避けて朝早く井戸に行って水を汲むのが常識でした。日中に行くのは、井戸端会議を避けるためでした。なぜなら、この人はかつて五人の夫を持ち、「今連れ添っているのは夫ではない」(18)からです。日ごろから噂話の餌にされていたことは容易に想像がつきます。
主イエスは、堂々と人中に出て行く自信を持てないこの女性に声をかけたのです。しかも、同情や憐れみの対象としてではなく、「水を飲ませてください」(7)と助けを求めました。そこから問答が始まります。「ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私に、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」(9)という問いへの主イエスの答えに注目しましょう。
主イエスは言われました。「神があなたに与えたいものが分かっていれば、あなたは頼みます」(10:ドイツ語聖書の直訳)。
神はまず、彼女のありのままを受け入れます。注目すべきは、主イエスが彼女の渇きを癒されるために特別な水を与えていることです。これまで数人の男性と関係があったのは、彼女の心の渇きを表現しています。サマリアの女性は少しずつ、主イエスが人間より偉大な方であることを見分け、その結果、彼女は「本当の泉のそばにいる」と悟ります。この人は私がしたことをすべてご存じです。私のありのままを認め、私の切なる渇きを癒してくださった。彼女は今まで求め続けたのは、もう終わっていることに気づきます。そして主が与えようとしている水を受け取るのです。
ユダヤ人である主イエスがサマリアの女性と話し、男性である主イエスが女性と会話し、神の独り子である主イエスがサマリアの女性に水を求めるのです。この三つのことから、主イエスは誰と接することも恐れません。私たちは人と人の間に目で見えない壁を作りますが、主イエスはそれを無視しておられます。主イエスにとってはいつも、一人の人間の方が昔からある掟より大切なのです。人が自由に生活するためにある決まりが邪魔するなら、主イエスは迷わずそれを捨てます。主イエスにとって私たち人間一人一人が何よりも大切だからです。この人間のために、主は自分の人生のすべてを与えてくださいました。更に十字架において命をも捨ててくださったのです。
今も世界各地で外国人への差別や暴力が報じられています。連日事件が生じ、日本でも聞くに耐えない状況を耳にします。人が肌の色や宗教の違い、性の違いで差別されているのです。
サマリアの女性と主イエスの出会いから、今でも神と出会うことができる恵みを知らされます。神がこのサマリアの女性に与えたものを、すべての人々に与えたいと願っておられるからです。
文:真壁 巌 牧師