『パンク魚屋』のプロフィール


その1

  1953年 1月 生まれ
       
  1997年

10月

第52回徳島美術展
初出品にて特選(審査員 U.G.サトー先生)
   

11月

”ごっついん阿波”展 出品 (文化の森)
   

12月

第1回個展開催 (ドクターエンドー鳴門店)
       
  1998年 4月 第2回個展開催 (森珈琲店)
    9月 ”ごっついん阿波”展 出品 (文化の森)
    10月 第53回徳島美術展 特選
(審査員 早川良雄先生)
       
  1999年 1月 南北軸6県交流美術展 出品 (岡山県立美術館)
    3月 写楽似顔絵展にて 特別賞
    4月 第3回個展開催 (森珈琲店)
    9月 ”ごっついん阿波”展 出品 (文化の森)
   

10月

第54回徳島美術展
     デザイン 部門  入選
     彫 刻  部門  奨励賞
     (審査員 小林 陸一郎先生)  
      11 常設展 開催中 森珈琲店金沢店(ハッピー内)
       
 

2000年

1月

〜3月
第4回個展開催 (トヨタ アトラツイン)
   

4月

第5回個展開催 (森珈琲店)
      29日〜5月7日 松茂住宅公園 10周年記念
  ミレニアムイベント 24人展 出品
   

6月

「徳光和夫の情報スピリッツ」テレビ東京・・出演
   

8月

〜9月10日 ガラクラアート3人展 山川町
(西山欣子さん・河野利枝さん と 阿波和紙伝統産業会館) 
    9月 ”ごっついん阿波”展 出品 (文化の森)
   

11月

徳島デザインドリームに出品 (徳島市木工会館)
       
 

2001年

「ビートたけしの誰でもピカソ」テレビ東京・・出演
   

4月

第6回個展開催 (森珈琲店)
       
  現在 藍住町南小学校グランド前にて、本業の魚屋を営業中

サッカーと音楽に興じながら、創作活動に取り組んでいる

サッカーは高校時代より始め、サッカー歴30数年
大阪地区の社会人リーグ、徳島県選抜代表として活躍
現在は、地元少年チームのコーチを務める
  『パンク魚屋』
小笠原 重昭 氏
  <個展のお知らせ>
 
トピックス に引越しました。

 


その2

 

小笠原重昭氏  「パンク鮮魚店」営むレコード収集家

"自然体"で鑑賞 若い気持ち保つ

   "パンク鮮魚店"の名が人に知られるようになったきっかけは、ロックミニコミ誌「ハードスタッフ」(小西昌幸編)の広告だった。文句は「人、この店をパンク鮮魚店と呼ぶ」。その広告に並ぶサンマ、ブリ、などの名前の間には、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ルー・リードといった名前が−−。人目を引くには十分すぎるほどのインパクトのあるあるコピーだった。
 徳島県板野郡藍住(あいずみ)町、このパンク鮮魚店を営んでいる小笠原重昭。"パンク"と言われるくらいだからいろんな想像を膨らませていたが、外見は全く普通。サラサラの髪にジーンズと、実際の年齢よりも十歳ほど若く見える。パンクどころかものすごくさわやか印象だ。もちろんお店も普通の魚屋。ではなぜ・・・・。
 
 

□ □ □ □

 
   実は小笠原は、「ニューヨークパンクコレクションなら西日本でも有数じゃないですか」(ハードスタッフの小西昌幸編集長)といわれる無類のレコード・コレクターわざわざしつらえたという自室の専用ラックには、千五百枚ほどのアナログ盤レコードがズラリと並んでいる。
 小笠原が音楽に興味を持ったきっかけは、高校時代までさかのぼる。「親友がバンドをしてて、フーとかのコピーをしよったんよ。それを聴いてからやね」。その後、大阪のある企業に就職。徳島にいてはなかなかお目にかかれないレコードを目の当たりにし、収集活動にいそしむようになった。
 大阪にいる時はジャズばかり聴いていたという。現在のようにパンクを聴くようになったのは、家庭の事情で徳島に帰ってきてからだ。とくに影響されたのは"テレビジョン"というバンドで、その熱の入れようと言ったら、海賊盤のカセットを手に入れて、自ら世界でたった一枚のレコードをプレスしてしまったほどである。ほかにも、ただ音楽好きというだけでは到底聞いたことのないようなバンドのレコードが棚に並ぶ。
 
 

□ □ □ □

 
   「楽しみにしていたレコードを聴くと時なんかは、電気を消したりしてね(笑)。まあ音楽を聴いている時はいつも気持ちのいい時間ですよ」。しかしこれほどの収集家であっても「何がなんでも」という力みはない。本当に「好き」と思えるレコードをできる範囲で集める程度だ。例えばそれは、レコードを聴くための機材を見れば分る。「新品で買うたのは、大阪の会社を辞めた時の退職金で買うたアンプとスピーカーだけやね。あとは全部中古(笑)」。休みの日などにリサイクルショップや質屋などで、せっせと集めたのだという。中には自分で組み立てた物もあるそうだ。
 「ずっとこんな音楽を聴いててよかったこと・・・・そうやね、気持ちが若いってことかなかな。同じ年代のほかの人よりは随分若いと思うよ」。小笠原はそう言うと「レコードでも聴くで?」とプレーヤーに手を伸ばし、お気に入りの音楽を聴かせてくれた。その時、小笠原の表情は子供のようになった。=敬称略 (H)
 
     
   

− 発 地方の流行人(しかけにん) -

日経流通新聞
当時の掲載写真と記事より

   

その3

2000年12月 《たけしの誰でもピカソ》 収録模様

 
地元コミニューティ誌 掲載記事


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